エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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先週日曜日に大阪龍馬会で下関歴史博物館の古城春樹さんの講演を聞いてきました。 
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今までも何度か長府に行っていろいろと教えていただいていたのですが(→ここここここ)今回は三時間の長い枠があったので「長州藩(萩藩)と支藩」の関係から、しっかりと説明いただけました。
僕からラインで誘った方にも一般的には「長州藩=吉田松陰」的な話が従来から多いんだけど、このような支藩からの見方があるんだなと興味を持ってもらえてよかったです。


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# by enokama | 2017-09-02 10:10 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)

映画「関ケ原」

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映画「関ケ原」を見てきました。今年二月に監督さんのトークは聞いてきたので、京都や姫路などの名刹でのロケシーンの多かった映像は迫力があったし、最近の大河ドラマではしょぼい合戦シーンばっかりだったので、久しぶりに関ケ原を見たって感じがしました。
いつの間にか準主役を張れるようになった平岳大の島左近や西岡さんの前田利家は迫力あったし、東出君の小早川秀秋もまあまあ雰囲気は出ていたと思う。
島津のやる気の無さや毛利の迷走ぶりってのが出てくるのも珍しいのじゃないかな。
ちょっと物足らなかったのは、三成が合戦に向かうあたりや敗走して囚われるまでのあたり、感情をもっと出した方がよかったんじゃないかな。ちょっとクールすぎる感じがした。
島左近や有村架純に会うシーンは、まだよかっただけに少し残念。。。

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# by enokama | 2017-09-01 18:55 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(0)
加治将一の記事がよく上がるなと思っていたら
加治将一が映画を作って一部新聞に広告が出てたそうだが、いい加減「真実」とか「新発見」とか
今までの日本史は嘘とか言うとか(まあ星亮一や原田伊織のトンデモ本でもよく使われるけど)宣伝するのはやめてくれ。
この人ね、今までの著書の内容見てても中岡慎太郎の事全然知らんやないか。古臭い平和主義者と武力討幕者の対立のくくりだけで慎太郎を語ってないわけ。
歴史上の人物を裁判にかけるやり方は古川薫先生がよく書いているね。

広告によると 
龍馬を新選組が守った? 大政奉還で同意ができていた?

明らかに当時の新選組は大政奉還阻止で幕府大政再委任派のはずなんやけど。
慎太郎と伊東甲子太郎は狙ってて、龍馬と対立軸にしたいのかな。
今までも触れてきたけど加治将一で許せないのは散々「薩長同盟」をフリーメーソンたらイギリスの背景って書いてるけど、薩長同盟の前提である長州征伐における長州の救済から復権に向けた福岡藩士の働きと尽力した慎太郎の動きを全然書いていないこと。
そこで龍馬暗殺のところで「武力討幕者だから」ってだけで龍馬暗殺の真犯人ってポコって出してくる。慎太郎のそこまでの背景はもっと書きようあるのに触れてないことが問題。
あと天満屋騒動で紀州藩士の三浦休太郎を警護してたのは新選組だけど、三浦は強硬な大政奉還反対派やね。陸奥宗光の父親の政敵だったし、龍馬の一件だけが動機じゃない。大政奉還で龍馬と新選組が同意してつながりがあったなら、警護もしないわな。

別に加治将一の映画の妨害をしたいんじゃない。一作品として楽しむのなら結構だし、別に見るなとは言わない。ただ「真実」って言って宣伝されるのが不愉快なのと見た人が「これが真実だ」と思われるのが嫌なだけ。あくまでフィクションとして見てほしい。


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# by enokama | 2017-08-24 20:42 | 総合 | Comments(0)

佐賀関では近年研究が進んで現在の街並と幕末当時の屋号の照合が進められて、現在当該地には駒札が建てられて、わかりやすく散策できるようになっている
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# by enokama | 2017-08-09 19:02 | 歴史連載 | Comments(0)
昨年夏、もうちょうど一年前になりますが大分県の佐賀関に行ってきました。

ピンと来る人は幕末に中岡慎太郎や西郷隆盛の立ち寄った場所で御存じでしょうが、僕は全然知らなかったんだけど勝海舟と坂本龍馬が立ち寄った場所と言うこともあって地元の方でも盛り上げられているということでした。
詳しくは中岡慎太郎を書いた原稿と大阪龍馬会の会報で書かせていただいてますので、こちらではその他のポイントを中心に書きたいと思います。

今回はボランティァガイドさんを依頼しました。
オーダーは慶応元年五月に西郷や慎太郎を乗せた薩摩船がどのあたりの入港したのかと言うことと、慎太郎の泊まった「大島屋」の場所がどこなのか?ということでした。
本来なら幸崎駅(もしくは大分駅から直行)から路線バス利用なんですが、ちょうどガイドさんが駅の近くにお住まいと言うことで、駅から車で乗せて行っていただけることとなって、幅広い範囲を回ることができました。
(団体案内なら一人300円だそうですが、個人案内は無料でされているということで何から何までお世話になりっぱなしで感謝でありました!)
ちなみに地名は神崎(こうざき)だけど、先に佐賀の神埼駅があったためにこちらの駅は「幸崎」になったと言う事で、現在は神崎と幸崎の名が混在しているようです。




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# by enokama | 2017-08-07 23:08 | 歴史連載 | Comments(0)
ブログも長くやっていると、たまに「画像提供」の依頼ってのがあるんですが
今は「神社ブーム」でもあるそうで、その紹介する文庫本の御霊神社(福知山市)の項で私の写真が使われております!
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豊国神社や建勲神社、南洲神社あたりもブログに載せてるんで「なんで福知山の光秀」の画像だったんかなとも思いますが帯にも書いてあるし、少し追いかけている明智光秀絡みなのでうれしいものですね。
提供のお礼に本を送っていただきました!
個人的には山形に水野忠邦が祭神になっている神社があるってのは知らなかったし、興味深いです。。。


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# by enokama | 2017-08-03 19:11 | 私の好きな京都 | Comments(0)

先日。表門から入って建屋にも上がれて、学芸員さんの案内を聞けるイベントがあったので再度(→関連記事)行ってきました!
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# by enokama | 2017-07-27 05:50 | 私の好きな京都 | Comments(0)
Eテレの「知恵泉」と言う番組で宇和島の伊達宗城のことをやっていた。
知ってそうで実は知らなかったことも多かったのでまとめてみます。
この方も旗本の出で幕末の賢候に多い養子なんですね。高野長英や渡辺崋山の影響もこのころからで、海外情勢や科学技術への関心も元来からあったようです。
宇和島にはロシアやイタリア史、化学技術、航海術軍事と言った専門書が多数残されています。


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# by enokama | 2017-07-24 09:04 | 歴史全般 | Comments(0)

筑前赤間宿と五卿の滞在

小倉・常盤橋を起点とする長崎街道は直線的なルートで内陸の筑豊を経由して鳥栖から佐賀へと至る。
現在の鹿児島本線沿いから博多を経て、唐津まで海側を通るのが唐津街道である。

黒崎宿に三泊した五卿は一月十八日に長崎街道を木屋瀬宿まで進み、ここから渡し船で遠賀川を越えて赤間宿に入った。
ここでは赤間宿本陣(御茶屋)に入ることとなる。
赤間宿は木屋瀬宿への分岐点であり、バックに筑豊の産炭地や玄界灘に面した各漁港からの程よい距離から「物資の集散地」として、当時は商工業が栄え、大いに賑わったと言う。
しかし明治になって鉄道が開通してからは、この地域の中心地が東郷(宗像市役所の所在地)となり
赤間駅もこの宿場から離れた場所に設置され、寂れて行った。
現在は宿のほど近くに教育大前駅(福岡教育大学)が設置されたが、昭和63年とかなり後になってのものである。
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駅にほど近い法然寺のそばには「五卿西遷の碑」がある
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# by enokama | 2017-07-20 06:00 | 福岡藩 | Comments(0)
小倉から八幡西区の宿場町だった黒崎に移動します。
実は最近まで知らなかったことだけど、イメージ的に遠賀川だったり北九州市で分かれてそうな
「豊前」と「筑前」の境界ってのは、今の小倉と戸畑の間であり、同じ北九州市でもカテゴリ(福岡藩へ)変更いたします。
福岡藩の上方への玄関口としての湊町でもありました。

元治元年の長州征伐での「征長軍解兵」条件の一つは、いわゆる「五卿」の第三国への動座であり
元治二年(1865)一月十五日。長府の功山寺に滞在していた三条実美、三條西季知、東久世通禧 壬生基修、四条隆謌の五卿は長州領の彦島から船で九州で向かい、黒崎に上陸した。
なぜ小倉や門司に渡ったのではなく黒崎なのかなと思ってたんだけど、前述の通り筑前領(福岡藩)となってるので
譜代藩の小倉領を避けて「五卿動座」や長州救済にも尽力した福岡藩士も待ち受けるこの地になったものと思われます。
今回は行けなかったのですが、その上陸地の碑も建てられています(→こちら
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# by enokama | 2017-07-09 10:53 | 福岡藩 | Comments(0)