エノカマの旅の途中

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泉涌寺と皇室

「京の冬の旅」の公開で泉涌寺に行ってきました
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今回は舎利殿の公開で孝明天皇と皇女和宮の寺宝が展示されておりました。
鳴き龍もいい音を出してましたよ!


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by enokama | 2018-03-26 12:09 | 私の好きな京都 | Comments(0)

堺台場跡と旧堺燈台

2月のことになりますが、堺に「堺事件150年」の展示があって行ってきました(→こちらに追記してます)
そのあとに堺旧港から堺南台場跡~旧堺燈台と歩いてきました。
1月に枚方で「台場」についての講座(高槻市立しろあと歴史館・館長 中西裕樹氏)があり、この堺台場に関しても解説がありましたので合わせて紹介します!

旧堺港を挟んで南北二箇所の台場があって、嘉永七年(安政元年・1854)のプチャーチンの摂海侵入(→こちらこちら)と言う事態から幕府直轄地であり危機意識を持った堺奉行からの幕府への上申も契機となって、翌年にかけて北台場がまず完成し、安政五年に南台場が完成した。
当初は筑後柳河藩が警衛を命じられたが、のちに彦根藩が担当。
井伊大老暗殺後の失墜からの回復を図った彦根藩のやる気もあって、それまでは方形の土塁囲みのみであった(北台場は南北90m・東西70mのコの字型)南台場は石垣・堀も設けた本格的な稜堡式砲台に強化された。
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by enokama | 2018-03-22 22:59 | 大坂発見 | Comments(0)
明治150年ですが、相変わらず「明治維新否定論」やら、そこから現代の政権批判やら
いい著作の研究書もたくさん出てはいるのだけど、ちっとも読み込むことなく自説に固辞して「トンデモ論」がいつまでも蔓延りくだらない議論が多くって、当時の世情ってのを掘り下げることもなく・・・
何だかな?それって重要なことなの(世間は報道されればすごいって思ってしまうから)って言うような新発見もあるしって、愚痴ってしまうわけですが

今月のPHPのぬるい歴史だけは長い「歴史街道」って雑誌で越前藩と佐賀藩の記事が出ておりました。
内容はざっと知るにはいいかもしれないけどまとめ方が相変わらずね。
越前でも佐賀でも、もっと表に出ていれば「薩長の倒幕路線」が変わっていたとか、戊辰戦争の悲劇はなかったとか。
越前の場合は「公儀論」で大政奉還を早くから春嶽も唱えていて平和論者的なことも言うけど
長州征伐の時は初期の薩摩同様に「長州厳罰論」だったし、鳥羽伏見の戦い以降でも会津の態度には「厳罰」って言ってたんですよ。
佐賀も「日和見」って言うより「一藩割拠」の形ですね。薩摩のように近衛家とのつながりみたいに長けた朝廷工作に有利な条件もないし
慶応期京都の朝廷の下での慶喜や小松のような「新しい政体」の模索には無理に加わる必要も、なかったんじゃ。
「薩長と共に倒幕に参加しなかったから」ってのも、倒幕って言うより「慶喜」や背景の一会桑勢力の打倒ってことで
倒幕じゃなくって「廃幕」は慶喜も容堂も認めたことだし「王政復古」も薩摩や越前土佐も一致した行動だった。
これはいろいろと言う人もいるけど「朝敵」ってことが確定した上での大義名分もあっての「鳥羽伏見」以降の行動だから、そこに同調していればってことは意味もないように思う。
薩長のくくりも長州は王政復古まで「朝敵」なので、その出兵は薩摩によってコントロールされたものだったので「薩長」とは軽々しく言ってほしくないの。

「戊辰の戦乱」も言われるけど、これだけ戦乱も伴う国家の変革期には当然、犠牲はついてくるものだけど世界史を紐解いてもこれだけ「犠牲者」の少ない「維新」はなかったんですよね。
270年続いた幕藩体制、徳川家に忠誠を誓う譜代藩や親藩。
そこに「武士道」があったから、例えば最後まで抵抗した榎本武揚らの旧幕軍や、情報網や流通網がつながっていて西国の事情も知っていたはずなのに新政府軍に徹底抗戦した庄内藩なんて「越前や佐賀が入っていたら、話し合いで解決できた」とか、そんなもので計れないものだと。
何が何でも「武力で圧倒する」ってのは愚策だし、薩長を中心とした新政府軍がそればっかりに訴えたってことはない。
どれだけ兵力を損なうことなく、戦争が膠着すれば交渉の口があれば駆け引きも行うし、戦いもどれぐらい短く収めるかで「錦旗」もその一策。
現代の人間が一番わかっていないのは「軍事力を強化」って言うと、すぐに戦争につながるって言うけど「抑止」が大部分だし、実際に「戦争」に至ることはそうないことで、あれだけの兵力を持っている国ってわかったら踏み込めないし
簡単に「専守防衛」って言うけど、一般国民を確実に巻き込んでしまうこんなものは「愚策」でしかありえない。

「公儀論」の越前なので、坂本龍馬が生きてれば(邪魔になったから薩摩が暗殺したことにもされるけど)って話と一緒にして、維新後すぐにでも「話し合い」のできる国会ができたとかよく書いているものもあるけど国民はまだ成熟してないし、明治新政府の偉いところは「学校」教育を重視したことなので
その一通りの一定の教育が行き渡った時点で、維新後20年ほどのの「国会開設」や選挙制度に至る経緯は「有司専制」でまず急ピッチで新体制に持っていき、そこから国家が成熟していくと言う流れはおかしくないものだと思う。
第二次大戦敗戦後の現代日本の今の枠組みも、何も話し合いで決めたわけではないしょう。

ともかく実際に何が起こったのか、背景の歴史に何があったのか。
あまり踏み込まない時点で、イメージだけで推論するのもいかがなものか。

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by enokama | 2018-03-04 23:42 | 歴史全般 | Comments(0)

「西郷どん」~第八回

少し飛んでしまいましたが、正直6~7回はあんまり感想もなかった。
意外にも斉彬の時代が終わらないし(謙さん出てるからかな)自分自身そのあたりの知識があまりないので書きようがなかったのです。
それにしてもこのペースで明治まで行けるものなのだろうか?

祖父と両親の死が一時みたいなことも史実だし、一年のうちに二人が墓に入ったら三人目を求めるという迷信。
ジョン万の薩摩入りも実際に基づいたことからの話であり
今回の「離縁」の話も、江戸出府話は誉なことだけど自弁であり経済的に大変だったことも絡めて
脚本としては、うまくまとめられていたと思います。


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by enokama | 2018-03-02 08:57 | ドラマ感想 | Comments(0)