エノカマの旅の途中

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カテゴリ:歴史全般( 140 )

たまに、よみうりテレビのこの番組も見ることがあるんですが(日曜の昼間なんで見逃し無料動画の時も多い)
いきなり、町田明広先生が地上波に出ていたので少しびっくりしてしまいました。
僕の方は大阪なり京都なりで最新の幕末史研究には触れられる機会も多くって、いろんな先生にお聞きしてきたこともあるので「実際の龍馬像」ってのはなんとなく掴めてきたようなこともあるのですが
スタジオの出演者の方はそれなりに「知ってる方」を集めたつもりでも、番組で表現していた「贅肉」の面だったり、船中八策や「世界の海援隊」のような話があまりにも大きくなりすぎた「作家や映像によって作られた龍馬像」にとらわれすぎたような感じがどうしても強かったので
せっかく町田さん呼んだのに「もったないな」って印象が残りました。
ただし町田さんの最新の研究「坂本龍馬は薩摩藩士」「亀山社中の実像」というあたりやいわゆる「薩長盟約」の木戸への裏書は「長州に帰る木戸が成果として薩摩藩士である龍馬の印を持ち帰るのが必要だった」
このあたりはしっかりと伝えられていたので、よかったかなと思いました。

一つ気になったのは「坂本龍馬は他人と違う別格」と言う意識の強い人が多すぎ。
例えであった万国公法や入れ札あたりの西洋の事情に詳しい点は、最新の研究では幕末の大ベストセラーだった福沢諭吉の「西洋事情」で知っている人は多かったと言うし
井沢元彦が「龍馬に頼めば他国の情報や人物にコンタクトを取ることができる」あたりは、龍馬の書簡にもあるように長州の人間に薩摩の動きを伝えたり
あるいは逆に薩摩に長州の情報を流したりってことはしてたんだろうけど、これは石川清之助と名乗っていた中岡慎太郎も同じようなことをしてるし
近藤長次郎も彼自身も「薩摩藩士」として、井上聞多を薩摩に連れて行って具体的な武器の供与にかかわったりと、龍馬以外のツールもあったと思う。
「情報」と「人脈」このあたりで龍馬も慎太郎も薩長両藩の信頼を得て、自身の活動にも融資や便宜も図ってもらった事実もあるし、この両人が土佐藩に復帰したら「海援隊」「陸援隊」と一定の場を与えられた(残念ながら藩の総意ではなく、一部の同志に留まった面もあったが)
パネラーで「グラバーと親しい」って書いていた人がいたけど(フリーメイソンの影響)実際に龍馬とつながっていた記録ってあるのかな?僕は知らないけど。
あと実は「龍馬は薩摩藩士だった」って件は「そんなことあるんですか」ってびっくりしてたけど
名前は出なかったけど土佐脱藩で薩摩スチューデントの一員になった土佐脱藩の大石団蔵こと高見弥一。
洋学者だったら、本間郡兵衛、嵯峨根良吉、石河確太郎も薩摩藩士よね。適塾出た秀才も大鳥圭介あたりは幕臣になったり。

「龍馬はすごい」ってことで幕末史知られるよりも
当時の時勢なり幕府や各藩の日本がグローバル化になる課程での、人材の登用や取り組みあたり
もっと幅広く知られないとダメなんじゃないかなと改めて感じました。

by enokama | 2019-03-16 23:02 | 歴史全般 | Comments(0)
幕末の時代から日露間の北方領土交渉に関しては、以前から興味を以てきたので(関連記事→こちらこちら
北方領土交渉がニュースになるぐらい日露間で進みだしていて今回も書こうと思ったんですが
10年前(→こちら)に書いた頃から全く進んでいなかった(書いた当初よりもかなり追記してます。長くブログもやるもんだな)ことが改めてわかりました。
結局は失脚させられた鈴木宗男氏が収監され、一旦は政権交代等もあり野党陣営に入って
また自民党の外交に携わるようになって、改めて鈴木・佐藤優の考えのラインで進みだしたということなんでしょうね。

日本の外交なんて「今の安倍はひどい無茶苦茶だ」と言う人もいるようですが
長期の政権となった小泉内閣(一応は不完全だが北朝鮮は動いた)を除いた前後の短期政権なんて、それ以前に何にもできてないじゃないか。
一年ほど内閣があって問題が出てきて、マスコミが叩いて「辞めろ辞めろ」で世論調査で評判落として、国際陣営で顔を売る前に首相は辞任に追い込まれるから。
10年前も麻生さんが首相をもっと長くできていたら、もっと交渉は進んでいたのかもしれないし、まあ民主党政権の外交なんて中韓に媚びるだけでノウハウもなかったから何にも進まなかったからね。
結局はずっと停滞していたことがやっと再開したってことだし、今の世界首脳の在任が長いのがプーチンと安倍さんってことでの進行なのでしょう。




全島返還で何ができる>>
by enokama | 2019-01-22 18:03 | 歴史全般 | Comments(0)
話題の? 百田氏の「日本国記」チラ見したけど、あまりに旧態然なところもあって「やっつけ仕事」としか見えない部分もあった。
じっくり腰据えて10年とか長いスパンで取り組まないと「決定版」とは言えないし不完全じゃないかな。
百田氏や有本女史には賛同する面もあるんだけど、当人たちの思想と(歴史をかじってるものからしての)書評は別なので言わせてほしい。

たまにあるんだけど、著者が嫌いだから「読まない、読まず嫌い。読むな」って人はおかしい。
だからこのブログでも書ける範囲で率直な書評も書いてきたんだけど、そう書くことでその著者に近い人たちが実は結構いたりして一斉に無視されたこともあったんだけど、そんな人たちはそんな程度の人間なんだろう。


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by enokama | 2018-11-14 14:15 | 歴史全般 | Comments(0)
話題になっている新書を読みました。
なかなか爽快に斬ってくれて、わかりやすい内容でした。
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by enokama | 2018-05-28 18:59 | 歴史全般 | Comments(0)
わかやま歴史館で三月に幕末の勘定奉行だった茂田一次郎の展示があったので行ってきました(終了してます)
この施設は和歌山城下にごく近年にできたもので、博物館の陳列保管にもいろんな規制が出てきたので(いい方向と思います)
最近は保存建築(城や御殿、屋敷)の中に展示されていた史料等は、空調等の整った別棟(展示をしなかった箱館奉行所だったり、柳川や高知のような)に新たに展示されることが増えているのでこちらもその一環かと思います。
天守閣との共通券もあるし、こちら単独では100円の入場料があって同建物には観光案内所と土産売り場も入っております。






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by enokama | 2018-04-05 10:48 | 歴史全般 | Comments(0)
明治150年ですが、相変わらず「明治維新否定論」やら、そこから現代の政権批判やら
いい著作の研究書もたくさん出てはいるのだけど、ちっとも読み込むことなく自説に固辞して「トンデモ論」がいつまでも蔓延りくだらない議論が多くって、当時の世情ってのを掘り下げることもなく・・・
何だかな?それって重要なことなの(世間は報道されればすごいって思ってしまうから)って言うような新発見もあるしって、愚痴ってしまうわけですが

今月のPHPのぬるい歴史だけは長い「歴史街道」って雑誌で越前藩と佐賀藩の記事が出ておりました。
内容はざっと知るにはいいかもしれないけどまとめ方が相変わらずね。
越前でも佐賀でも、もっと表に出ていれば「薩長の倒幕路線」が変わっていたとか、戊辰戦争の悲劇はなかったとか。
越前の場合は「公儀論」で大政奉還を早くから春嶽も唱えていて平和論者的なことも言うけど
長州征伐の時は初期の薩摩同様に「長州厳罰論」だったし、鳥羽伏見の戦い以降でも会津の態度には「厳罰」って言ってたんですよ。
佐賀も「日和見」って言うより「一藩割拠」の形ですね。薩摩のように近衛家とのつながりみたいに長けた朝廷工作に有利な条件もないし
慶応期京都の朝廷の下での慶喜や小松のような「新しい政体」の模索には無理に加わる必要も、なかったんじゃ。
「薩長と共に倒幕に参加しなかったから」ってのも、倒幕って言うより「慶喜」や背景の一会桑勢力の打倒ってことで
倒幕じゃなくって「廃幕」は慶喜も容堂も認めたことだし「王政復古」も薩摩や越前土佐も一致した行動だった。
これはいろいろと言う人もいるけど「朝敵」ってことが確定した上での大義名分もあっての「鳥羽伏見」以降の行動だから、そこに同調していればってことは意味もないように思う。
薩長のくくりも長州は王政復古まで「朝敵」なので、その出兵は薩摩によってコントロールされたものだったので「薩長」とは軽々しく言ってほしくないの。

「戊辰の戦乱」も言われるけど、これだけ戦乱も伴う国家の変革期には当然、犠牲はついてくるものだけど世界史を紐解いてもこれだけ「犠牲者」の少ない「維新」はなかったんですよね。
270年続いた幕藩体制、徳川家に忠誠を誓う譜代藩や親藩。
そこに「武士道」があったから、例えば最後まで抵抗した榎本武揚らの旧幕軍や、情報網や流通網がつながっていて西国の事情も知っていたはずなのに新政府軍に徹底抗戦した庄内藩なんて「越前や佐賀が入っていたら、話し合いで解決できた」とか、そんなもので計れないものだと。
何が何でも「武力で圧倒する」ってのは愚策だし、薩長を中心とした新政府軍がそればっかりに訴えたってことはない。
どれだけ兵力を損なうことなく、戦争が膠着すれば交渉の口があれば駆け引きも行うし、戦いもどれぐらい短く収めるかで「錦旗」もその一策。
現代の人間が一番わかっていないのは「軍事力を強化」って言うと、すぐに戦争につながるって言うけど「抑止」が大部分だし、実際に「戦争」に至ることはそうないことで、あれだけの兵力を持っている国ってわかったら踏み込めないし
簡単に「専守防衛」って言うけど、一般国民を確実に巻き込んでしまうこんなものは「愚策」でしかありえない。

「公儀論」の越前なので、坂本龍馬が生きてれば(邪魔になったから薩摩が暗殺したことにもされるけど)って話と一緒にして、維新後すぐにでも「話し合い」のできる国会ができたとかよく書いているものもあるけど国民はまだ成熟してないし、明治新政府の偉いところは「学校」教育を重視したことなので
その一通りの一定の教育が行き渡った時点で、維新後20年ほどのの「国会開設」や選挙制度に至る経緯は「有司専制」でまず急ピッチで新体制に持っていき、そこから国家が成熟していくと言う流れはおかしくないものだと思う。
第二次大戦敗戦後の現代日本の今の枠組みも、何も話し合いで決めたわけではないしょう。

ともかく実際に何が起こったのか、背景の歴史に何があったのか。
あまり踏み込まない時点で、イメージだけで推論するのもいかがなものか。

by enokama | 2018-03-04 23:42 | 歴史全般 | Comments(0)
ちょっと正月から話題になっていた記事だけど→こちら(福井新聞)

まあ、あくまで初夢(仮定)の記事で福井の方が喜べたらいいやと取る人もいるかもしれないけど
「坂本龍馬研究の第一人者」とされている方で、例の新書簡で年末にドラマ(あくまでフィクション)の原案を作られたようですが、おそらくここ数年の「越前藩で大河ドラマを」の流れが今の動きになっているのだろうけど、なんか無理くり坂本龍馬であれば多少のフィクション(イメージ)でいいだろうと作ってるように感じる部分も気になるんですよね。
この文からするとこの方は当時の通史で例えば薩摩・慶喜あたりには通じていないってことがちょっと感じられるし、二つ前の記事にも少し書いたけど、鳥羽伏見の戦いが起こらずに薩摩藩強硬派の大久保・西郷が退けられて、慶喜が議定の筆頭になったとする(こうなったらこうなったで会桑の処遇も紛糾してそうだが)
これも仮定にすぎないけど何かの責任問題ができて慶喜が転けてしまったら、やはり例えば小松帯刀(龍馬自身は小松を首相格にと思っていたことは十分考えられる)をもってでもそのころの経緯から薩摩から代表は出せないだろうし、その時は春嶽の出番がある可能性はきたのかなとは思います。
また慶応三年十二月あたりは「公議派」が実を結ばなかったことで知られることは無くなったけど、中根雪江は結構大事な仕事をしてるのですが(年齢がもっと若くって後藤ぐらいの年だったら、十分新政府に出仕して参議にもなれたかもしれない)ある程度の役目は回ったかもしれない。

歴史に「もしも」はないが、龍馬が暗殺されず、春嶽が国のかじ取りを行っていれば、武力ではなく、話し合いで物事を決する国家ができていたかもしれない。戊辰戦争から日清、日露、太平洋戦争へと続く「戦争の70年」に突入しなかった可能性があるように思う。少々、想像を膨らませすぎたが、大国が覇権を争う現在の世界情勢や日本が置かれた立場を顧みるとき、龍馬の新国家構想に立ち返ることは意義がある。

問題はこの最後の四行が引っ掛かりまして、龍馬が大人物になりすぎですね。
藩単位であったり、江戸からも幕府軍も出兵してきているのに龍馬がそれらを抑えて「言論」で解決なんてできるんですか。
大政奉還に反対する会桑や幕軍、薩摩の強硬派や上洛を目指す長州軍や芸州軍と有力諸侯を差し置いて、どうやって話し合える。
大政奉還は龍馬の手柄を後藤が取ったとか言うくだらない意見も、後藤の実行力を軽視しすぎだし「龍馬の存在だけで当時の政局が回った」とかありえん。
個人が動くだけで何が成るのだ、それができるのは将軍ぐらいで鳥羽伏見の戦いも慶喜がある意味、想像以上の行動を起こしたおかげで収束に向かったのですよ。
何度も書いてきましたが、当時の世界史では黒船来航にしろ、ロシアの南下にしろ、清における列強の勢力争いも当然「兵力」をバックに外交を行うんです。ある意味、現代の中国もそういう考えでしょう。
明治以降も国を富まして、徴兵制も取り軍事力を整備することでようやく「条約改正」と言った列強と対抗できるようになった。例えば軍艦の隻数あたりで兵力を以ての抑止力だったり、時期に応じたお互いの軍縮ってのもあったのです。
なんだか、これだけの文章で明治以降をくくってほしくはないのです。


>本題に入りますが
by enokama | 2018-01-10 07:43 | 歴史全般 | Comments(0)
ブログではまだあまり触れてませんが最近、特に慶応三年を調べていて陸援隊の絡みもあって紀州藩に関心を持っております。
天満屋事件や陸援隊が高野山に行ったこと、鳥羽伏見の戦いでの敗残兵が紀州を経て江戸へ戻ったエピソード
第二次征長(幕長戦争)の芸州口での幕府軍の戦いぶりで旧態の目立った中での紀州藩の奮戦ぶりなど興味深いものも多いです。

和歌山市立博物館(→HP)はこの時以来です。
なかなかその時もいい展示をされていたので、今年は期待できるかなと楽しみにしてましたが期待以上でありましたね!
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陸奥宗光のトートバックがもらえた。今回の図録と過去の図録、今回の講演の記念品と合計三つもらってきました(笑)
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by enokama | 2017-11-09 23:48 | 歴史全般 | Comments(0)
新聞や雑誌、テレビを見てみると、相変わらず現在の安倍首相を引きずりおろしたくってたまらないような人が多いようだ(その報道があるので鵜呑みにした人たちがアンチ安倍になる)
今回の選挙も比例票の自民票が大きく伸びたことでも「自民圧勝」に間違いなく、日頃から「民意を問え」「民意を無視」とか安倍自民党の打ち出す政策の一つ一つに批判をし文句を言っているのなら、今回の選挙は(民意を問う)「民主主義」と言う最も象徴的なチャンスだったのに「投票率が低い」「野党が結束できなかったからで、得票率自体は低い」「安倍首相本人の支持は低い」(世論調査ってものの信頼度もどうかと思うが)とかゴタゴタごねているのは見苦しく思う。
一つ一つの政策で「国民を無視」といつも言ってるんだから、しっかりと批判をして並べて選挙に対する「争点化」すべく報道すべきであって「大義がない税金の無駄使い」みたいな表現はおかしいし、選挙制度がおかしいのならその「民意」が反映されるような選挙制度を提案すべきだ。
逆に半年も無駄に国会論議の大半を浪費し、何にも出てこない「モリカケ隠し」だけの理由で今回の選挙が行われたようなことを、知事上がりの大学教授(なんでこの人たちがいとも簡単に教授になれるのか)たちが言うテレビコメンテーターのレベルも推して知るべきである。
よく言ってることだけど選挙って「政策で選ぶんだ」って僕は習った。今回は野党が政策面で自分たちが今の政権より勝るっていう点でなく、最後の方は小池の周辺も「モリカケ」批判だけでしょう。べつにモリカケ(問題?)を解決する気はなく、批判のネタとしていつまで引っ張るかと利用しているだけやないか。

いずれにせよ安倍政権は当面安泰です。
僕は肝心な外交・経済がうまく言ってることが政権が長く続いている理由で、そこが最大の支持要因なんですが、次はいよいよ「賃金上昇」に成果を出さなダメと思う。例えばJRとか大阪近郊なんて運賃安すぎるよ。事故が起こるたびに「ホームドア」つけろとか新聞は無責任に書くけど、設置だけじゃなくってメンテの維持費もあるから負担が大きく増えるのよ。委託の駅員募集も年がら年中出てるけど「給与が安いから」集まらない。「待遇改善」「安全の確保」ちゃんとこれで運賃値上げの理由になるでしょう。バスとか運輸業界も今世紀になってからブラックになってしまったでしょう。それがやっと改善しつつあるし、安全にもつながるし。
今回の選挙のタイミングもいろいろ言われたけど、来年が天皇陛下の譲位や東京五輪、北朝鮮問題あたり本腰に入れるのなら今のタイミングでよかったのだと思う。
今までの積み上げがあったからこそ次のステップにつながるわけであって、今から誰かさんの言うように「リセット」して形を作って、さらに改善するとしたら何年かかるって言うの。これまででもそれに至るまでに簡単に首相を変えてしまって、マスコミは「○○おろし」ってことで、その首を取ったことで「世を動かした」って自己満足していただけじゃないのか。鳥越俊太郎なんてそんな典型って思うよ。


本題に入りますが過去の首相在任日数のベストスリーが桂太郎・佐藤栄作・伊藤博文ってことで、もう二年ほどしたら安倍さんもこれらに並ぶってことです。
共通点は「山口県出身」って言うことですね。まあ「長州出身」ってだけでロクなのがいないって言うのが今の「アンチ安倍」って人たちにもいっぱいいるし、星亮一あたりは「薩長勢力」は武力で東北を屈服させ、その後の明治新政府はアジアを侵略したってことでいっぱい本を書いているわけで、今うじゃうじゃ沸いている原田伊織を始めとする「薩長史観はデタラメ」「明治維新はデタラメ」ってのもその類にしかすぎません。
正直「徳川慶喜公伝」をしっかりと読み込むだけでも、その辺に転がってる安物の幕末史よりはしっかりとした書物は書けると思うのですが、維新後の明治政府や国会開設に至る経緯を知るにはやはり伊藤博文だと思ってたのですが、今まで本格的な評伝ってのはなかったように思います。
この著者は明治近代史研究でも知られる京都大学教授の伊藤之雄氏で2009年に出されていたもので、膨大な文字数でなかなか読めてなかったのですが、最近になって文庫化されたので長い時間をかけて通勤の合間等に読んできました。
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by enokama | 2017-10-26 16:12 | 歴史全般 | Comments(0)

連日、雨天続きでなかなか予定もうまくいかないのですが先日日曜日、屋内の展示を見に行こうということで大阪城天守閣に行ってきました。
「大政奉還150年」で各地で幕末維新の展示が行われているのですが「幕末大坂城と徳川将軍」と言う特別展です。
徳川時代の大坂城は鳥羽伏見の戦いのあと原因不明の失火が相次ぎ、多くの建造物が焼けてしまったのですが、慶応二年長州再征の幕府軍滞在時や慶応三年三月と十二月に将軍慶喜が各国公使と会見を行った際等、当時の大坂城の写真やスケッチが多数展示してありました。ブリュネのスケッチがまとまって残っていて、ほんと綺麗に描かれていました。
プチャーチンのロシア艦隊の大阪湾侵入時の資料やサットン・ボードインらのスケッチや写真もあり、大坂城自体の写真も「こんなにあるの」って言うぐらい展示してありました。がっつり二時間ほど見て大満足で、図録も手ごろな価格だったので購入してきました。

雨が止めば散策もしたかったんですが、本降りが止まないので天王寺に移動してハルカス美術館の「北斎展」を見てきました。ネットでチケット購入しても待ち時間1時間半ってことでしたが(3時ごろ)40分ほど待って入場。こちらもゆっくりと進まざるを得ない状況で二時間ほどでしたが、海外のコレクションが集められた展示はすごいの一言です。北斎の活動期は松平定信の時代から文化文政〜水野忠邦〜阿部正弘とむっちゃ長い期間だったのも感嘆します。



今後の予定>>
by enokama | 2017-10-17 21:06 | 歴史全般 | Comments(0)