エノカマの旅の途中

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カテゴリ:長府藩・小倉藩( 25 )

追悼 古川薫氏

古川薫氏が亡くなられました、92歳でした。

今までもブログでは書いてきたので(→こちらこちら)改めて詳しくは書きませんが
僕の幕末趣味と言うのが深まったのは土佐なら平尾道雄氏で、長州なら古川薫氏と言っても過言ではありません。
平尾氏は脚色を交えた小説じゃなくって「実証」の歴史家と言えますが
古川氏は小説家と言った面と下に挙げた新書のように引用できる書も書く歴史家と言った側面の両方があったし
直木賞作品のような別路線の作品と幅広いものでありました。

よく歴史仲間と久坂玄瑞や高杉晋作、山田顕義と言った人物の作品では話ししたし
どこぞの作家のように一方的に悪役を徹底的に罵るような作品が知る限りないので
長州を知る入口として安心して勧められるし、長府あたりに行ったらご本人の人柄を聞くことも多かったし
実際にお会いした時(→こちら)も言葉に深みがあったことが印象に残っています。

本当に山口に古川薫先生がいてよかったです。
安らかにお眠りください。。。



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by enokama | 2018-05-07 23:26 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
先週日曜日に大阪龍馬会で下関歴史博物館の古城春樹さんの講演を聞いてきました。 
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今までも何度か長府に行っていろいろと教えていただいていたのですが(→ここここここ)今回は三時間の長い枠があったので「長州藩(萩藩)と支藩」の関係から、しっかりと説明いただけました。
僕からラインで誘った方にも一般的には「長州藩=吉田松陰」的な話が従来から多いんだけど、このような支藩からの見方があるんだなと興味を持ってもらえてよかったです。


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by enokama | 2017-09-02 10:10 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
昨年秋に小倉に行った時のレポを書きたいと思います。
まずは小笠原家の菩提寺である福聚寺(ふくじゅじ)へ、交通は小倉駅から西鉄バスに乗った郊外となります。
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慶応二年(1866)の長州藩との戦い(小倉戦争)で諸堂の大半を焼失するが、中央に見える一番大きな仏殿(本堂・1822年再建)・不二門・鐘楼等が残されている。
仏殿の右背後にある祠堂(歴代藩主らの位牌を安置)の裏を流れる小川の周辺には歴代藩主ら小笠原家墓所が広がっている。
仏殿の左手にも大きな墓域がある。


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by enokama | 2017-07-07 19:37 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)

中山神社

ずっと行きたかった中山神社に行ってきました。
下関駅からバスでいくつもりだったけど
小倉から電車に乗って下関に着いたら、ちょうと1時間に1~2本しかない
山陰線のディーぜルカー(1両か2両みたい) が出るところで飛び乗りました。
それはよかったんだけど、ICカードで入ったんで(下関以東では使えない)精算しなくては
いけなかったんだけど、綾羅木駅はちょうど駅員のいる時間帯だったんでよかったです。
これが原因で山陰線の園部以遠がよく遅れてるのも知ってるので
(ワンマン運転で無人駅だと運転士が対応しなければならない)
迷惑をかけるところでありました。

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by enokama | 2016-12-02 00:06 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
(2016年11月18日 訪問)
たぶん、今年最後の史跡訪問旅行になると思うんですが、下関~北九州と回ってまいりました。
18日は新しくできた長府にある「下関市立歴史博物館」(→こちらこちら)の開館当日に行ってまいりました!
場所は功山寺の門前の道を挟んだ反対側となります。
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by enokama | 2016-11-21 15:42 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
2015年の6月に長府博物館が休館して、新しく建設工事の進んでいた新「下関市立歴史博物館」が
11月18日(金)に開館します(午前10時・開館式 午後1時・一般公開)
いつも僕は長府博物館と青山文庫はお気に入りだとよく話しているし、楽しみにしていたんですが
もう2か月ほどなので、そろそろ行く準備も考えないと思っております。
ネットでいくつか情報を拾いましたので、ぜひこの機会に長府に足を運んでいただけたらうれしいです。
(その記事が載ったあとに変更があったかもしれませんので、追加情報等あれば順次追記します)


概要>>
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by enokama | 2016-08-30 19:00 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
糾問書の提出とそれに対する長州藩側からの返書(従来からの主張で小倉藩との齟齬や朝廷との
やりとりに関する返答となっていた)が来たが、中根は朝陽丸が返ってこないと復命はできないと判断し
引き続き小郡に留まっており、長州藩側でも世子・定広を馬関に派遣するなど、藩庁の命に従わない
激派の説得に当たっていた。

八一八政変が起こり>>
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by enokama | 2014-09-22 21:46 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
朝陽丸は7月23日、豊前沖を経由して関門海峡に入った。
異国型蒸気船を見た砲台から、またもや威嚇砲撃を受けた。
長州側はもちろんだが、小倉領の田野浦及び門司の小倉藩台場からも砲撃を受けた。
小倉藩の「攘夷実行令」もあって、海峡の両側からの挟撃がこの時点で実行されていたのであった。
幕府軍艦だとわかると砲撃は止んだが、この予想だにしなかった事態に門司・白野江青浜沖に停泊した
朝陽丸からは小船を下ろし、河野・大八木の二人が上陸し、白野江村の庄屋を訪ねたことで
事情を知ることができた。
ただ、この二士の行動は多数いた小倉領駐留の長州藩兵の目に留まり(島村志津摩が帰国したとも思われた)
庄屋を捕らえ、脅しつけた上で小倉藩士の河野・大八木が乗船していることがわかってしまったのだ。
これが第一の悲劇につながることとなる。

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by enokama | 2014-09-14 23:54 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
実は「攘夷期限」を受けた外国船への砲撃は、この長州藩の関門海峡以外にも数件あった。
摂海(大坂湾)防禦を担当した鳥取藩は6月14日、イギリス船が石炭を求めて天保山沖に入ってきたところ
実弾を発射したが、着弾はせずにイギリス船は立ち去った(ただ、幕府船を誤認して撃ってしまったとの
別の説もある)
この行動に大坂城代からは軽挙を諌められたものの、一方で朝廷からは褒賞を受けている。
ここにも幕府と朝廷の姿勢の違いが覗える。
鳥取藩藩主の池田慶徳は公武合体派であったが、一方で水戸の徳川斉昭の子でもあって
「攘夷実行」には妥協を許さない姿勢であって、朝廷からの褒賞には喜んだものの
実状は成果が上がらなかったこともあって、現場にいた藩士らには厳しい処分を課している。

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by enokama | 2014-09-07 22:34 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
6月5日、フランス艦2隻が報復攻撃を行うべく関門海峡にやってくる。
両艦は小倉領・田野浦に停泊し、一部の船員は上陸して攻撃の用意がないか確かめた。
譜代藩である小倉藩は「幕命遵守」で、航行するだけの艦船には砲撃しないことの情報は得ていて
宣戦の理由を書いた文書で、小倉藩経由で真意を長州側に伝えるように事づけたりもしている。
この際の攻撃では前田砲台をフランスは占領し、長州側に大きな打撃を与えている。

このように長州藩の外国船への砲撃は圧倒的な実力差を見せつけられて
各国の報復攻撃を受けて各砲台は破壊され、防衛の無力さも感じられた。
こういった中で、高杉晋作が中心となって「奇兵隊」が結成される。
各地の破壊された砲台の修築や再構築も課題となったが、海峡対岸の小倉藩の傍観ぶりが彼らから見て
我慢ならないものであって、とうとう実力行使となるのである。

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by enokama | 2014-09-04 23:58 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)