エノカマの旅の途中

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カテゴリ:大坂発見( 47 )

堺台場跡と旧堺燈台

2月のことになりますが、堺に「堺事件150年」の展示があって行ってきました(→こちらに追記してます)
そのあとに堺旧港から堺南台場跡~旧堺燈台と歩いてきました。
1月に枚方で「台場」についての講座(高槻市立しろあと歴史館・館長 中西裕樹氏)があり、この堺台場に関しても解説がありましたので合わせて紹介します!

旧堺港を挟んで南北二箇所の台場があって、嘉永七年(安政元年・1854)のプチャーチンの摂海侵入(→こちらこちら)と言う事態から幕府直轄地であり危機意識を持った堺奉行からの幕府への上申も契機となって、翌年にかけて北台場がまず完成し、安政五年に南台場が完成した。
当初は筑後柳河藩が警衛を命じられたが、のちに彦根藩が担当。
井伊大老暗殺後の失墜からの回復を図った彦根藩のやる気もあって、それまでは方形の土塁囲みのみであった(北台場は南北90m・東西70mのコの字型)南台場は石垣・堀も設けた本格的な稜堡式砲台に強化された。
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by enokama | 2018-03-22 22:59 | 大坂発見 | Comments(0)

土砂の堆積がしやすく水深に問題があり手狭となった川口から天保山周辺への築港計画で、そのシンボルと言うべき「築港大桟橋」は明治30年に着手し、明治36年に竣工した。
同時に築港大道路が開通し、その道路上には大阪市電初の路線「築港線」が伸びた。
しかし開発当初はまだ入港する船舶も少なく、大桟橋は格好の釣り場となって、市電には釣り竿置き場が設けられるほど意図に反して「レジャー」客でにぎわったという。
やがて「島」周辺の基盤整備も進み、街路や倉庫街もできた。
大阪税関も川口から移転してきて「本関庁舎」は今も築港にある。
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のちに市電に代わって地下鉄が開通し(このあたりは地下でなく高速道路と一体となった高架線)長らく大阪港駅が終点だったが、現在はさらに延長されて高架から急激に線路は下がり、海底トンネルで南港方面へとつないでいる。
地図上で地下鉄が海底トンネルに入るあたりに海に突き出た突堤があるが、これこそがかつての「築港大桟橋」であり市電もこちらまで延びていたのである。
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築港大桟橋のぎりぎりまで市電が通っている
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by enokama | 2018-02-02 21:50 | 大坂発見 | Comments(0)
天保山の歴史についてはこちらが詳しい。

(以下は2017年の大阪歴史博物館「安治川と天保山」パンフレット参照)
江戸時代に河村瑞賢の手により安治川が開削され流路が開かれて(1684年)安治川口と呼ばれた付近には港が開かれた。
しかしこのような地形では、河川上流からの土砂の堆積がどうしても進んでしまい、水深が浅くなってしまい入船に支障をきたし、洪水の原因ともなってしまうので定期的に川底の浚渫が必要となってくる。
天保年間にも大規模な「御救大浚」と呼ばれる浚渫(二年・1861)が行われたが、大坂の町衆や株仲間の単位に大勢の人びとが揃いの衣装に鉦太鼓を打ち鳴らしてのお祭り騒ぎでもあったという。
その作業は小舟に乗り、鋤簾と言う道具を使って川底の土砂をすくい上げると言うシンプルなものであった。
その時に取られた土砂が積み重ねられて、翌天保三年には標高20m・周囲200mの山ができ、周辺2kmの埋め立て地ができた。
この山は海から安治川への目印ともなったので「目印山」と呼ばれ、のちに天保山と呼ばれるようになった。
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山には眺望を楽しむために茶屋等も作られ一大行楽地ともなったが、嘉永七年(1854)天保山沖へのプチャーチンのロシア船侵入もあって、元治元年(1864)に台場の建設が始まり(慶応二年・1866に完成)天保山の土砂も削られ標高もどんどん低くなってしまった。


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by enokama | 2018-01-20 22:27 | 大坂発見 | Comments(0)
少しずつ何度か足を運んだ記事ですが「150年」の間と思って、今年中に更新します。
大阪駅から土佐堀通(往路は御堂筋、帰路は四ツ橋筋)~みなと通を行く88番天保山行きバスが便利であります。
土佐堀通や九条のあたりでは結構、乗り降りも多くって地下鉄が微妙に遠い地域ではよく利用されているようでした。

慶応三年十二月七日に神戸開港と同時に大坂開市となり、木津川と河村瑞賢によって(1684年)開削された安治川が交差する「川口」に税関にあたる「運上所」と外国人居留地が開かれることとなる。
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by enokama | 2017-12-20 18:23 | 大坂発見 | Comments(0)
少し前になりましたが堺の中もずまで足を延ばして
「京阪電鉄の創業と渋沢栄一」「南海電鉄を作った企業家たち」と言う講演に行ってきました。
「西の五代」「東の渋沢」の話でもあります。
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by enokama | 2017-04-07 01:24 | 大坂発見 | Comments(0)
ブームに乗ったわけではなく、数年前から計画されていた新しい五代友厚の銅像が
大阪市立大学の構内に建てられました!
当日の式典にはディーン・フジオカも来たと言うことで
予想外の展開だったかもしれませんね・・・
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by enokama | 2016-03-27 18:17 | 大坂発見 | Comments(0)
阿倍野墓地(斎場・大阪市南霊園)は江戸時代、現在の千日前付近にあった墓所が明治になってから、まとめてこの地に移転されたものである。
千日前には有名な刑場、墓地、火葬場が密集していたが、維新後には「繁華街」として開発された。

有名人の墓も多く、大きい墓石も目立つ。
五代をはじめ、土居通夫、関一(御堂筋、地下鉄を作った大阪市長)、村山龍平(朝日新聞創設者)
と言った人物の墓もある。

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by enokama | 2016-03-26 09:04 | 大坂発見 | Comments(0)
阿倍野の五代の墓所には七年ほど前に行ったのですが改めて、この墓地で確認したいこともあって再訪しました。
当時はあまり知らなかったこともあって、墓所にも彼とゆかりのある人物がいろいろと関わっていたことがわかり
改めて、新しい発見もありました。
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七年前にはなかった、あべのハルカスをバックに。

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by enokama | 2016-03-25 23:30 | 大坂発見 | Comments(0)

もう一つの五代友厚像

少し前ですが、平日にしか見られない場所に行ってきました!

北浜・光世証券前
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by enokama | 2016-03-03 06:18 | 大坂発見 | Comments(0)
適塾活動日誌のブログ記事(→こちら)に、江戸時代後期に中之島にあった華岡流医術塾の
合水堂(がっすいどう)の石碑が立ったと言うことで見てきました。

場所はこのあたり(北浜から梅壇木橋を渡った東側)
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by enokama | 2015-06-10 20:54 | 大坂発見 | Comments(0)