エノカマの旅の途中

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カテゴリ:中岡慎太郎関連( 99 )

桐野作人「龍馬暗殺」

慶応三年九月に木戸孝允から坂本龍馬に宛てた書簡の原本が見つかったそうです。
色々とくぐってみたんですがこの記事が一番紹介としてはいいかなと思います。
多くの新聞記事で書かれている倒幕ではなく「事態によっては薩長と同時に行動する覚悟を決めろ」ってことを土佐藩重臣の同志に働きかけたってこと。
「廃幕」から王政復古っていう流れは山内容堂も決断したことであり、後藤が西郷に約した大政奉還建白と同時の土佐藩率兵は「兵で脅すは卑怯」として容堂は認めていなかった段階でありました。
(ライフル銃持ち込みの経緯→その1その2

この記事で肝要なのは、後世における龍馬のイメージが「非戦論者」だの「生きていれば平和革命が可能」だったとか言えるのってこと。
暗殺の二月前のものだからね、そんなに簡単に変わるもんなの?
武器持ち込んで「戦う覚悟を持て」ってのは慎太郎同様だし、武器を与えていながら鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争に至る事態になって
「龍馬は戦争を望んでいなかった。止めることができた」とか、暗殺がなければ戦争にならなかったとか、全くなりたたないわけですね。

よく武力討幕論者である薩摩の西郷大久保や中岡慎太郎と龍馬が対立して、むしろ龍馬が慶喜側に立っていたような解釈ってのも何なんでしょうか。
しばらく経つんですが、何度か講演等でお話も聞いた桐野作人さんが「龍馬暗殺」の決定版ともいえる新刊を出されました。
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by enokama | 2018-04-13 17:08 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
こちらの記事のアクセスがまた増えているようですが
まだまだわかってない文章も多いので、何度何度も同じようなことを書いてしまってるけど、慎太郎が龍馬を斬る必要などありません。
大政奉還は端的に言えば慶喜が政権を朝廷に返すって言っただけであり、会桑勢力も幕府の組織もそのまま、大坂開市神戸開港も奉行が引き続いてやっており、外交も慶喜が握ったままです。将軍の辞職願は出したけど受理されてないし、王政復古に向けては有力諸侯を招集した上での話し合いが待たれていて(関わりたくない消極的な藩も多くて集まりが悪かったので遅れていた)一方で「武威」としての出兵は薩長芸に対して幕軍も同様です。別に「大政奉還」と「武力討幕」を対立軸にすることはないんです。
11月の近江屋事件のころは、その諸藩の出方待ちで慎太郎も自身の陸援隊の強化、在京薩摩藩士や岩倉具視を通じた情報交換ぐらいしかできないし、龍馬はこの時間を利用して在京土佐藩士らと新しい職制を構想していた。この時の持ち場でそれぞれの行動を取っていただけで、王政復古からその後に予想される武力衝突については、この時の龍馬の上洛前に長崎から土佐にライフル銃を持ち込んでいたように「不可避」との認識は共有していたかと思います。龍馬が陸援隊屯所を訪れた時に「戦争は避けないかん」と言ったとか、平和革命とかどこに引用するものがあるのでしょうか。
強いて言えば「慶喜の処遇」(新政府で役職を与えるか否か)と言った点での二人の対立であり、このあたりが福岡孝弟の回顧にあったものとも思われます(このあたりは二人の志士活動での体験からの違い。原稿に詳しく書きました)。大きな方向では対立点はなく、一昔前の個人プレイやテロ多発の時期でなく藩単位で動いている情勢の中で仲間内で殺し合いをするって理由はあるんでしょうか。
龍馬がいたから薩長芸の出兵とか王政復古後の各藩主や後藤や中根雪江、松根図書と言った側近の活動に影響を与えたのか?大久保や西郷の行動に脅威を与える存在だったのか。ifで考えても藩単位で動いている中に割り込むようなことはできなかったでしょう。
方向性で言えば、慶喜は「王政復古政変」で尾越土や薩摩とも大きいくくりで同じ方向に向いていたとも言えるかもしれない。家近さんも書いているけど、この時点で京都での任を解かれた会桑を帰国させて離れることも一つの考えだったと思う。そうしてれば「討幕」ってこともなく、年が明けてから「罷免されたはずの会桑と同調する動き」として大久保に付け入れられることもなく、幕府主戦派の小忠順も江戸で「薩摩藩邸焼き討ち事件」に積極的に関与することで上方での戦争をけしかけることもなかったかと。
まあ今回、慎太郎の文章をまとめたかったのもこのあたりをはっきりさせたかったことが一番の理由ですがね。
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by enokama | 2017-04-11 16:32 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
今の京都大学吉田キャンパス(赤印)は幕末に尾張藩邸であって、その北部キャンパス(農学部など・青印)は土佐藩邸(陸援隊屯所)となっていたのは何度か触れております。
(白川邸と陸援隊→こちらこちら。住吉陣屋→こちら
今回は京都大学総合博物館の特別展「文化財発掘?〜激動の幕末と京大キャンパス」の展示と講演に行ってきました。
土佐藩白川邸は重なる部分が多いので(引用は主に「保古飛呂比」と「陸援隊始末記」)過去記事に追記しましたので、今回は尾張藩吉田邸を中心に聞いてきたことをまとめたいと思います。



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by enokama | 2017-04-10 10:40 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
以前からブログ等で書いていた中岡慎太郎関連の文章をまとめているとお伝えしてきましたが、年表や引用文献・後書き等もできてほぼ完成形となりました。
ネットで公開するのかとも問い合わせがありましたが、これだけ足運んで時間使って調べたことをただで見せるのは、自分自身でいうのもなんですが「もったいない」のでどうにか出版物にならないかと目論んでおります。(文字数は98446となります)
京都にもいくつか歴史書を出している出版社もあるので、いきなり持ち込んでいいものなんだろうか?
内容的には素人でとても専門書には及ばないので、一般書扱いでいいと思ってるのですが
私もおかげさまで専門の先生や研究者の方ともネットでつながらせていただくようにもなったので、もし助言等アドバイスいただければ幸いです。


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by enokama | 2017-01-16 09:31 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
前からこのブログで書いてきた中岡慎太郎関連の記事をまとめていたんだけど
なかなかいろいろとしながらでは進まないので
一月ほど集中して、一応の形にしたいと思っています。
結構、慶喜絡みや薩摩の動静は慎太郎が記録残したりしてるので
「幕末史」的なものには十分なるんですよね。

あと残るのは慶応三年なんだけど、その密度が濃いもんで
土佐の大政奉還建白~王政復古政変あたりはいくつも講演を聞いたりしてきたんで
かなり書いてきたんで行けるけど
「兵庫開港」ってのが、この年の大きな政治課題でかなりのウェイトを持っていたことと
「陸援隊」の実像ってのがまだ見えてこないのが課題であります。
そのあたりをもう少し調べたいと思います。
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by enokama | 2016-04-29 22:57 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
中岡慎太郎年表→こちら

慶応二年。長州再征(第二次征長・四境戦争)の頃の国元への慎太郎書簡。

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by enokama | 2015-07-05 20:44 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
中岡慎太郎年表→こちら

慎太郎は四月三十日に出石から帰還した桂との馬関での対談後、再度上洛。五月十五日に京都に入る。
西郷らとは行き違いになったが「長州再征」論の高まりと「薩長提携」へと薩摩藩士がさらに前向きな姿勢と
なったことを土方に聞いたであろう。

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by enokama | 2015-04-02 17:37 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
中岡慎太郎年表→こちら

慎太郎は三条実美の命もあって、博多から馬関を経て、薩摩の吉井幸輔・土佐脱藩で三条実美の
秘書的存在だった土方久元と共に上洛する。

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by enokama | 2015-03-31 22:39 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
雑誌「歴史人」のネタは何度か書いてきたけど
ライターによっては間違いがあって、突っ込んだ記事も書いてきたわけですが
今回の2月号もまたまた出ていたので、書かずにはいられずになったので
買うつもりはなかったんだけど、結局買ってしまいました・・・

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by enokama | 2015-01-29 20:48 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
先週は関東に行ってきまして、主に千葉県佐倉と水戸周辺を回ってきました。。。
関西からは「観光」ってことでの縁が茨城県にあまりないしね(千葉県は房総に行ったことある)
僕もまったく踏み入れるのが初めての茨城県でありました!

メインは陸援隊士だった田中光顕が、故郷の青山文庫以上に自身の収集した「幕末志士の遺墨」が残されている
幕末と明治の博物館(旧常陽明治記念館)を訪れることでした。
生前の光顕は幕末期にいわゆる「尊王攘夷の総本山」とだった水戸藩では、藩内抗争で多くの血が流れ
維新後に水戸出身で爵位を受けたのも、陸援隊の香川敬三のみだった(陸援隊自体に水戸浪士が多かった)
と言う現状で、水戸での「維新回天」に尽くした人物たちの顕彰がされずにいたことを惜しみ
旧水戸藩士の顕彰にも努めたと言います。

場所は水戸からバスで30分ちょっとの大洗町の中心地から少し離れた場所にあり
少し行けば、周辺は水族館だったり、広いテニスコートがあったり、海水浴場や漁港もある
海にも近い場所であります。
昭和4年にできて、平成22年には大洗町営に移管されています。

「大洗鹿島線」と言う鉄道もあるけど、駅からはだいぶ離れているので、水戸から直接バスで行くルートで行きました!
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松林の中にある。


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by enokama | 2014-12-27 22:13 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)