佐川2014~青山文庫の展示と古い街並み
前回も記事を書いてますが、7年振りの訪問となります!
今回は1日目に北川村に行って、宿泊は高知市内だったので
朝8時過ぎのディーゼルカー(高知で「電車」は土電の路面電車のこと)で佐川に向かいます。
高知駅の中岡慎太郎像と後ろはアンパンマン列車

駅に入ると人が多くって、17日だし「帰省Uターンラッシュかな?」とも思ったんだけど
ちょっと雰囲気が違ってて、土佐山田~阿波池田間が大雨で不通になっているから
人があふれていたと言うことでした。。。(昼からは動いていたので、高松方面に乗ることができた)
佐川までは550円(28キロ)ってことで40分ぐらいで着くのかなと思ったけど
駅が14もあって(高知市内と日高村がたくさんある)55分かかりました。

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「坂本龍馬の誕生」 知野文哉さんの講演
覚馬がいろいろと行いたい大規模な事業を説明してました。
「琵琶湖と京都」の疏水は、のち北垣国道の時代に実現するのですが
もう一つ「琵琶湖と敦賀」の運河計画もありました。
これは北前船の代替的な意味もあったもので、江戸時代に西廻り航路(日本海から関門海峡を経て
瀬戸内海から大坂へ)が整備されましたが、それ以前は敦賀から陸路で上方へってパターンもあって
距離的には短いものの、積み替えのロスや大量に物資を運べる船の方が距離を走っても効率がいいと
ぐるっと海岸線を回るルートとなりました。
ただやはり、この「最短距離」ってことの魅力はあって、列島の中心を「水路」でつなげてしまおうってのは
江戸時代の早くからあったと思います。
そして明治になって、具体化しつつあっても、やはり距離もあるし難工事になりますよね。
明治の中期あたりまでは、まだ物流は水運が主流で、北前船も明治時代が最も賑わっていました。
そうこうしているうちに「鉄道の時代」となって、川船も含む船運を次々と代替していき
計画は幻となったのです・・・
耶蘇に対する京都での予想以上の反発で、困難に直面しつつの「同志社」の開校となります。
あっさり、八重がクリスチャンになってしまう気持ちってのはどんなだったでしょう。
また結婚式で八重がドレスを着てましたが、まだそのころはスリムだったそうなので
シーン的には違和感はないはずです(笑)
下野した西郷さんが出て、篠原や桐野と私学校を作るってことは「教育」でのリンク的なシーンでしょうか。
来週は熊本から(徳富ら)横井小楠の流れを汲む弟子たちが合流します。
やはり出してきました・・・
本題>>
歴史秘話ヒストリア~龍馬暗殺の瞬間
正直期待していなかったんですが、結構見応えあるものでした。
木村先生の遺留品(?)から探る推察から、桂早之助の人となりに迫って
現存する醤油蔵のロケからの暗殺の瞬間(小太刀の名人だったこと)は説得力のあったものでした。
残された遺留品から、推察する手法も勉強になりました!
あと谷干城の講演等の証言はちょっと僕は信用できません。。。
今回の番組の名刺は十津川になってましたね。松代って説もよく聞くんですけどね。
磯田氏も出てましたがこちらの書籍の内容に沿ったもので
僕としては、やはりこのあたりの政局って言うのは、薩摩を代表する小松や土佐を代表する後藤であって
今では大人物にされている龍馬の行動は、彼らの後推し迄にすぎないものだったと思います。
でも大政奉還に反対する会桑の壮士にとっては、やはり後藤らを狙うには警護も厳重だし
ネームバリューもあるのに、ちょろちょろと動き回る龍馬は目障りに映るし、反面で狙いやすかったと言う
ことはあったと思います。そこに中岡慎太郎はたまたま居合わせたって言うことなんですが。
司会の方が鴨川の河原で「まだ真相はわからない」的なことを言ってましたが
もう明らかじゃないんですか?
今井信郎や佐々木只三郎の自伝もすごく具体的じゃないですか!
とりあえず、この話題はもうしないつもりです・・・
山内容堂の佐久間象山・土佐藩招聘の動き
大河「八重の桜」も2回目となりましたが
FACEBOOKの方でよく佐久間象山の話題になっていまして
象山は中岡慎太郎との縁もあって、文久2年(1862)12月に松代まで会いに行ったりするわけですが
その目的ってのは「維新土佐勤王史」の記述にもあるように、山内容堂には「土佐藩への象山招聘」って
構想があり、やはり同じ意を持っていたと言う長州の久坂玄瑞・山県半蔵と同道したと
僕も思い込んでいたんですが、実はこの時には別ルートでの土佐藩の動きもあったんです。
主な参考資料は、おなじみ平尾道雄先生の「山内容堂」などの著作です。
「陸援隊始末記」止まりだったら、細かいところはわからなかったとも思うんで
平尾先生の奥の深さは、さすがだと思います。
ただ象山側からの資料は、まだ読めてないので、土佐側からの解釈としてご容赦ください。。。
容堂の内命?>>
龍馬暗殺に闇はなし
テレビや書籍の数字稼ぎに、とんでもない吹聴も加わって語られることも多い。
この事件のことで専門の先生にはかると「はっきり結論の出ていること」と以前からお聞きしていたし
(もちろん薩摩黒幕などではない)そんな大きな陰謀論など存在しないはずなのである。
真相ってのは意外に単純なことだったと言うのは、時代を問わずあることで
年々「竜馬像」って言うのが巨大化する反面で、実像の坂本龍馬って言う人物からかけ離れて
(普通に攘夷論だったし、武力行使も当然考えにあった)
現代風にマッチするような「自由平等平和」の象徴的な存在にすることで
悪役の西郷・大久保・岩倉らを引き立て役にさせ、今の訳の分からない俗論の安売り状態で
くだらない本が乱発されてしまうのである。
僕もこのことについてはブログの初期から触れてきて、今となって見直すとレベルの低いことを書いてるんだけど
なぜにこだわるかと言うと「中岡慎太郎は巻き添えで殺された」「龍馬暗殺」(慎太郎も殺されてるやんか)で
なんか慎太郎の死が軽々しく、しかも無視されたような感じがして悔しかったことがあるんです。
それで、このブログで「ウェブ小説」(カテゴリの下の方にある)って形でまとめようとしたんだけど
(実証などできるわけもないんで、あくまでフィクションの形ってことで)
大政奉還や武力討幕の動きって面での、実際にあった事実の方が面白くなってきて
そこから考えると「西郷が龍馬暗殺を指示した」って言われるようなことが小さすぎて
くだらないことのように思えてきて・・・
新選組も関連するかなと思ったけど、資料を読むのに挫折したし(新選組関係は内輪だけでの論理のようで
話が広がらない)ちゃんと認識しないまま書くのも「新選組ファン」の方に失礼だと思って、もう止めたんです。
(読み返しても面白くないし 苦笑)
そこでこちらの本の作者さんから連絡もらって
「出るから」ってことで、僕の考えとも似ているようなので楽しみにしていました。。。
中身>>
歴史人~真説 坂本龍馬
取り立てて目新しいことは、なかったです。
元々が新撰組関連の執筆から出てきたようなお抱えライターも多かったので
薩摩の大久保・西郷や岩倉具視、徳川慶喜の真意ってのは、しっかり調べられていないのでしょう。
「薩摩が悪い」「武力討幕派が悪い」と言ったような、一方向からの見方に過ぎないので
従来からの「平和主義者・龍馬」ってイメージで、無難に収められているように思いました。
まあ、そういう書き方しかしようもないかもしれませんが。
(追記→以前の記事)
この時もよく似た執筆陣だったようですが、僕自身は褒めていますよね。
今回は、この内容以上の上積みや新たな発見って言うのが感じられないのです。
僕自身の認識もこの時よりも、西郷や大久保あたりの本や書簡を読み漁りましたので
変化しています(慶喜も理解できる部分も出てきたかと・・・)
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