エノカマの旅の途中

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2018年 01月 10日 ( 1 )

ちょっと正月から話題になっていた記事だけど→こちら(福井新聞)

まあ、あくまで初夢(仮定)の記事で福井の方が喜べたらいいやと取る人もいるかもしれないけど
「坂本龍馬研究の第一人者」とされている方で、例の新書簡で年末にドラマ(あくまでフィクション)の原案を作られたようですが、おそらくここ数年の「越前藩で大河ドラマを」の流れが今の動きになっているのだろうけど、なんか無理くり坂本龍馬であれば多少のフィクション(イメージ)でいいだろうと作ってるように感じる部分も気になるんですよね。
この文からするとこの方は当時の通史で例えば薩摩・慶喜あたりには通じていないってことがちょっと感じられるし、二つ前の記事にも少し書いたけど、鳥羽伏見の戦いが起こらずに薩摩藩強硬派の大久保・西郷が退けられて、慶喜が議定の筆頭になったとする(こうなったらこうなったで会桑の処遇も紛糾してそうだが)
これも仮定にすぎないけど何かの責任問題ができて慶喜が転けてしまったら、やはり例えば小松帯刀(龍馬自身は小松を首相格にと思っていたことは十分考えられる)をもってでもそのころの経緯から薩摩から代表は出せないだろうし、その時は春嶽の出番がある可能性はきたのかなとは思います。
また慶応三年十二月あたりは「公議派」が実を結ばなかったことで知られることは無くなったけど、中根雪江は結構大事な仕事をしてるのですが(年齢がもっと若くって後藤ぐらいの年だったら、十分新政府に出仕して参議にもなれたかもしれない)ある程度の役目は回ったかもしれない。

歴史に「もしも」はないが、龍馬が暗殺されず、春嶽が国のかじ取りを行っていれば、武力ではなく、話し合いで物事を決する国家ができていたかもしれない。戊辰戦争から日清、日露、太平洋戦争へと続く「戦争の70年」に突入しなかった可能性があるように思う。少々、想像を膨らませすぎたが、大国が覇権を争う現在の世界情勢や日本が置かれた立場を顧みるとき、龍馬の新国家構想に立ち返ることは意義がある。

問題はこの最後の四行が引っ掛かりまして、龍馬が大人物になりすぎですね。
藩単位であったり、江戸からも幕府軍も出兵してきているのに龍馬がそれらを抑えて「言論」で解決なんてできるんですか。
大政奉還に反対する会桑や幕軍、薩摩の強硬派や上洛を目指す長州軍や芸州軍と有力諸侯を差し置いて、どうやって話し合える。
大政奉還は龍馬の手柄を後藤が取ったとか言うくだらない意見も、後藤の実行力を軽視しすぎだし「龍馬の存在だけで当時の政局が回った」とかありえん。
個人が動くだけで何が成るのだ、それができるのは将軍ぐらいで鳥羽伏見の戦いも慶喜がある意味、想像以上の行動を起こしたおかげで収束に向かったのですよ。
何度も書いてきましたが、当時の世界史では黒船来航にしろ、ロシアの南下にしろ、清における列強の勢力争いも当然「兵力」をバックに外交を行うんです。ある意味、現代の中国もそういう考えでしょう。
明治以降も国を富まして、徴兵制も取り軍事力を整備することでようやく「条約改正」と言った列強と対抗できるようになった。例えば軍艦の隻数あたりで兵力を以ての抑止力だったり、時期に応じたお互いの軍縮ってのもあったのです。
なんだか、これだけの文章で明治以降をくくってほしくはないのです。


>本題に入りますが
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by enokama | 2018-01-10 07:43 | 歴史全般 | Comments(0)