エノカマの旅の途中

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2008年 07月 16日 ( 1 )

小楠の思想は過去の記事にも書いてますんで(こちら
今日は四時軒を訪れた人について書きたいと思います!

今回は平日で記念館はガランとしてましたが、そのかわり館の管理者の方と
いかにも歴史好きそうな男性客の方3人で、1時間ぐらいしゃべってました。
あまり知られてない小さな資料館では、こういう感じがいいですね(笑)

まず、前の記事で紹介した「維新の群像」
福井から来た人が見て「なんで熊本にあるの?」って聞かれたそう。
福井城の堀端にも小楠像があるんで、てっきり地元の人って思ってたみたい。
熊本では不遇(だから、あまり地元では知られていない) 
招聘されて厚遇、その思想を実践的に行い成功を収めた福井では知名度がある。
熊本で小楠をよく知ってる方だったら歯がゆい思いかもしれません・・・
福井藩とのつながりはこちらもごらんください!

四時軒内の春嶽の書
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三寺三作の入門(1849年10月)以降、福井藩では小楠の学識に藩主・松平春嶽を始め
多くの藩士が影響を受け、実際に福井城下での講義に始まり、藩校・明道館の開校に際して
も多くの助言を入れている。
1857年5月には藩士・村田氏寿(藩の外交官として、薩摩や坂本龍馬とのパイプも持ち
軍の差引もできる有能な実務官僚)が四時軒にしばらく滞在し(11日~20日まで)
招聘交渉を行う。

四時軒外観(昭和57年修復)
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秋津川よりの外観
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しかし熊本での立場の弱さからか、なかなか藩よりOKが出ない。
春嶽夫人の勇姫が熊本の出であり、その後押しもありようやく翌年4月に実現する。
このころ安政の大獄で春嶽は謹慎。橋本左内は刑死となるが、小楠は藩論を統一し
「海外貿易」「富国富民」の藩政改革に成功をおさめた。
のち政事総裁職となった春嶽の補佐もし「参勤交代の緩和」「外様・譜代にこだわらない
能力主義の人材の起用」を提言する(国是七条・下書きが記念館に展示)

のち熊本に帰藩後はまた不遇を囲うが、春嶽はその援助を行い
また新政府樹立後、強い推薦をし参与として登用される道ができた。
しかし、ほどなく1869年(明治2年)その開明的考えを受け入れられない攘夷論者
により暗殺される。享年61歳(暗殺時に護身した短刀も展示。3ヶ所刃こぼれ)
しかし、新政府は彼の思想を大いに反映したものとなった・・・
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by enokama | 2008-07-16 00:17 | 横井小楠の周辺 | Comments(4)