エノカマの旅の途中

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運の良かった男? 田中顕助

この1週間ほどで先週の五條行きや、不思議と田中顕助の話をいろいろ見聞きすること
があったので、少し調べて見ました。

田中顕助(維新後は光顕。旧称は浜田辰弥)は、土佐深尾氏一万石領・佐川の生まれで
(勤王の風が強かったようで土佐勤王党名簿には、まとまった数の深尾家家来の加盟がある)
伯父が天誅組挙兵で斃れた那須信吾(参政・吉田東洋を暗殺した人物)で、その義父・俊平も
高齢でありながらも風雲に身を投じ、長州に走り「禁門の変」で京都で戦死している。

田中顕助も元治元年(1864年)8月、このころの土佐浪士に洩れず、いてもたってもいられなかったのだろう。
土佐本藩の勤王党弾圧も始まり、佐川深尾氏も対処をせまられていた。
そして禁門の変後の長州に向け、佐川の同志・井原応輔、橋本鉄猪(のちの大橋慎三)ら
総勢5人で赤土峠を越え
三田尻へ脱藩、招賢閣に入った。この時22歳。

この地ですでに高名だった志士・高杉晋作に会い心酔し、即座に弟子となっている。
この際、お礼にと愛刀の安芸国友安を晋作に送ったが、その刀を晋作がたいそう気にいった(土佐流で長刀だった。晋作が刀を欲しがって、見返りに顕助が無理やり弟子になった説も)
長崎で撮ったざんぎり頭での一番有名な写真は、この刀を付けている。
また、この縁は維新後、むしろ長州閥寄りとして明治を泳ぎきり、栄達した子爵・光顕の拠り所
ともなっていた(「東行遺稿」として、晋作の書を刊行したりもした)

しかし、このころ長州は「下関攘夷戦」でも破れ、恭順派が主導権を握りつつなるころで
その挽回とも思ったのだろうが、顕助らは途方もない計画を立てるのだ!
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Commented by わだん at 2008-08-31 22:56 x
先週はおつかれ様でした~。


むむ、顕助らはどんな途方も無い計画を・・・・?
Commented by enokama at 2008-09-02 19:09
途方もない計画だったはずですが
なんか新撰組の対応もまずくて(笑)

また飲みましょうね!
by enokama | 2008-08-30 23:33 | 土佐藩 | Comments(2)