九州に行ってきました!~太宰府と幕末維新2
うその餅、菅原道真の関連グッズと言った土産物を並べる店が並んでいる。
土産屋の通りを抜けて突き当たりに幕末史跡でもある延寿王院があり、左に折れ
太鼓橋を渡ると天満宮に至る。
また、その奥に従来からあった「だざいふ遊園地」、九州国立博物館も新設され
前述の大宰府政庁などの歴史ある史跡を入れると、福岡でも屈指の観光スポットとなっている。
「五卿動座」は1865年の1月に実現しているが、元来福岡藩の上層部は佐幕派が多く
当初の待遇は狭い屋敷に五卿を分散して押し込む有様であり、五卿付きの慎太郎を始めと
する衛士や、この動座に深く関わった西郷を始めとする薩摩の働きかけで、ようやく2月に
なって延寿王院に落ち着くこととなる。
一応、当時の雰囲気を残している部分(院の前におられた方に聞いた。でも内部は現代
風なんで実際はどうなのだろうか?)
1865年5月、薩摩に身をよせていた坂本龍馬は熊本・沼山津にて横井小楠と会談後
(激論の末、ケンカ別れになったようだが)
延寿王院を訪れ五卿に拝謁し(東久世通禧ーみちとみは、その日の日記に
「坂本龍馬と面会。偉人なり、奇説家なり」と残していることで知られている)
そして、下関に入り「薩長融和」に向けた中岡慎太郎との具体的な動きに入っている。
延寿王院内の碑
裏側
そして翌66年1月、京で坂本龍馬の仲立によって「薩長同盟」が結ばれる。
一方、そのころ慎太郎は太宰府を動けなかった用務があったそうだ。
松屋旅館跡
西郷は前述の通り 「五卿動座」の一方の当事者として、この地に深く関わっていて
太宰府駅のすぐ近くに当時泊まった旅館が残されている。
今は土産屋と綺麗な庭が眺められるカフェとなっている。
貴重な志士たちの書(原本をこちらの店でお持ちだそうです)
また、動座実現の年の9月に福岡藩で勤王党の大弾圧が行われた。
その後の藩の要路は佐幕派に占められ、幕府の命により五卿を罪人として護送
するよう求められる。
しかし決死の覚悟の衛士と、それを支持する西郷の意を受けた薩摩兵によりその動き
は阻止された。そこには人材がいなくなり外交能力の全くなくなった福岡藩の迷走と
弱体化した幕府の姿があった。
(案内板にあったもう一人の名前・高杉晋作と延寿王院の関わりは僕の調べた範囲では
わかりませんでした・・)
1867年12月「王政復古の大号令」により、五卿の復官・帰洛が認められ
足かけ5年に渡る、彼らの流浪生活に終わりを告げる。
しかし、もうこのころには中岡・坂本はこの世にはいない・・・
太宰府のこの地も幕末には回天の場所となっていたのです!