武士道 その2
登る(最後の方は30度ぐらいの急坂)
歴史館の人でいつも歩いて行く人はいるの
かな?毎日だったらそうとう足腰鍛えられそう(笑)
着いたのが1時過ぎだったんで、先に歴史館を見学
mikkyさんのされている「中岡慎太郎会」の掲示板で
(中岡慎太郎とは土佐陸援隊隊長で、薩長同盟の真の
立役者と言う人もいるぐらいの実力者)
話題になっていた大黒竹夫と言う人の描いた中岡慎太郎
の肖像画を見る。なんか回りの重厚な展示物に囲まれて
なんかアニメチックな絵でとても浮いていて印象的だった。
11月15日 坂本龍馬・中岡慎太郎命日(墓前祭)
赤いハッピは中岡慎太郎出身地・北川村の皆さん
京の講演の題目は「堺事件と武士の死生観」
少し新撰組等のテーマに比べて地味なので、人が少ない
感じもあったが(僕はむしろこの題に引かれたんですが)
講師の木村武仁さんはよく取材もされていて充実していた。
堺事件とは幕末、当時開国はしていたが堺の港はまだ開かれて
いなかった。そこへフランス人が無断上陸(堺見学のよう)
警備に当たっていた土佐藩と衝突(言葉がわからないことも
あって)銃撃戦となりフランス人に死傷者がでたもの。
フランス側は責任者について20人の死罪を要求。
これに対し、土佐側は29人が名乗り出て引っ込みがつかなく
なりクジで20人に、さらに当日12人の切腹が終わったところ
でフランス側が中止を宣告(あまりに切腹が凄惨だったという
ことと、フランスの死傷者が12人だったという説も)
ここでは最初にクジに外れた(?)9名と中止になった後の8名
が我も切腹するとなかなか聞かなかった・・・
切腹は武士道では賜死で名誉とされるので土佐藩士たちの行動
は自然なものだったらしい(大して斬首は不名誉なこと)
また江戸時代の泰平のころの切腹は「扇子腹」と言って格好だけ
腹を押さえたところで介錯する形だったが、幕末になると実際に
腹をさく「十字腹」や「三文字腹」と言われる作法が増えたという。
(腹には魂が宿っている→やましいものはない・・・腹を切ること)
また実際の切腹は幕末よりも第二次大戦時のいわよる「自決」
した人数の方がはるかに多いそうです。
「御国のために死ぬ」と言うことは明治政府が武士によって作られた
ことも遠因にあるかとも思いますが、悲劇的なことです。