今年も高知へ行ってきました! 野根山二十三士
武市半平太像と二十三士顕彰碑
翌1864年7月。土佐藩が京師警衛のため、率兵上京を命じられた際「人事一新と獄中同志の釈放」を求め、旧勤王党勢は藩への嘆願を図る。
藩中部の大石弥太郎の一派は藩に嘆願書を送るにとどまったが(今回展示されていた)藩東部・安芸郡は清岡道之助が中心となり武装決起を決意するが
清岡らは野根山街道の阿波国境近くの岩佐番所にて単独で決起を図る。
「番所占拠」と言うよりも、この二十三士の中の木下兄弟と中岡慎太郎の義兄にあたる川島総次が、岩佐番所詰にあたっていて番所が蜂起した形になっている。
やがて、藩は大監察・小笠原唯八率いる多数の藩兵で征圧にあたり、清岡らは阿波へ逃亡も検挙。
当初、勤王党の弾圧は乾退助に命じられたが、退助は慎太郎とひそかに通じており、拒否し江戸へ左遷。
そして翌年閏五月、半平太は切腹となる。
二十三士の墓標
安芸から向かって、奈半利川の手前右手に福田寺があり墓がある(田野町になる)
川沿いに左岸を上ってしばらくの地に慰霊碑。隣接して「二十三士温泉」がある。
墓標には享年が書いてあり、最年少は16歳。
慎太郎の悲痛たるや察せられる・・・
また、リンクを貼っていただきありがとうございます~。
二十三士のお墓参りができて良かったです!!
僕も去年は「二十三士温泉」に泊まったのですが、お墓には参れず
で、今回行けてよかったです。
今回の3館の中で特に「中岡慎太郎館」の勤王党の展示は、初めて
見るものが多く興味深いものでした。今回記事にした「二十三士」の
事件の経緯もちゃんとわかってなかったし、よかったです。