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エノカマの旅の途中

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今年も高知へ行ってきました! 野根山二十三士

(以下 3点は田野町・福田寺にて撮影)
武市半平太像と二十三士顕彰碑
今年も高知へ行ってきました! 野根山二十三士_f0010195_23335232.jpg
関連記事→)
翌1864年7月。土佐藩が京師警衛のため、率兵上京を命じられた際「人事一新と獄中同志の釈放」を求め、旧勤王党勢は藩への嘆願を図る。
藩中部の大石弥太郎の一派は藩に嘆願書を送るにとどまったが(今回展示されていた)藩東部・安芸郡は清岡道之助が中心となり武装決起を決意するが
呼応を呼びかけた藩西部・幡多(中村を中心とする地域)の樋口真吉の一派は自重し
清岡らは野根山街道の阿波国境近くの岩佐番所にて単独で決起を図る。
「番所占拠」と言うよりも、この二十三士の中の木下兄弟と中岡慎太郎の義兄にあたる川島総次が、岩佐番所詰にあたっていて番所が蜂起した形になっている。

やがて、藩は大監察・小笠原唯八率いる多数の藩兵で征圧にあたり、清岡らは阿波へ逃亡も検挙。
一言の弁明の機会もあたえられないまま、奈半利河原にて斬罪となる。
当初、勤王党の弾圧は乾退助に命じられたが、退助は慎太郎とひそかに通じており、拒否し江戸へ左遷。
後藤象二郎がその任にあたり、過酷な処分を行った。
そして翌年閏五月、半平太は切腹となる。

二十三士の墓標
今年も高知へ行ってきました! 野根山二十三士_f0010195_23322455.jpg

安芸から向かって、奈半利川の手前右手に福田寺があり墓がある(田野町になる)
川沿いに左岸を上ってしばらくの地に慰霊碑。隣接して「二十三士温泉」がある。
墓標には享年が書いてあり、最年少は16歳。
慎太郎にとっても義兄と田野学館の先輩になる清岡、大庄屋補佐・惣老の竹次郎ら親しい人物が多くいた。
慎太郎の悲痛たるや察せられる・・・
今年も高知へ行ってきました! 野根山二十三士_f0010195_23331362.jpg

Commented by ゆずぽん at 2007-09-10 22:31 x
この時は、ほんとうにお世話になりました!
また、リンクを貼っていただきありがとうございます~。
二十三士のお墓参りができて良かったです!!
Commented by enokama at 2007-09-11 00:46
>ゆずぽん さん
僕も去年は「二十三士温泉」に泊まったのですが、お墓には参れず
で、今回行けてよかったです。
今回の3館の中で特に「中岡慎太郎館」の勤王党の展示は、初めて
見るものが多く興味深いものでした。今回記事にした「二十三士」の
事件の経緯もちゃんとわかってなかったし、よかったです。

by enokama | 2007-09-05 23:33 | 土佐藩 | Comments(2)