幕末の二院制論~新政府綱領八策
決すべし」
「有材の公卿・諸侯及び天下の人材を顧問に備え、官爵を賜り、宜しく従来
有名無実の官を除くべきこと」
坂本龍馬が大いに絡んだと伝えられる「新政府綱領八策」のうちの二条。
幕末期、近代国家にはかかせないことでもある議会開設についての一番有名な文である。すでに二院制のことに触れられている。
すでに横井小楠は「外様・譜代に限らず賢を選んで正官となす」
「上院は公武御一席。下院は広く天下の人材活用」と構想を持っていた。
また、大政奉還の直後でもあり、やはり徳川の実権がある程度残る可能性も大いにあった時期で、事実このころ欧州洋行の経験が豊富で徳川慶喜のブレーンとなっていた西周(にしあまね。津和野藩出身)は上院を万石以上の大名、下院は各藩の藩士を当て、欧州流の二院制とするが、その上に絶対的権力の「大君」(当時のフランス皇帝・ナポレオンの絶対主義的政治。徳川将軍がこれに当たる)とする案も示していた。
また、欧州の議会はまず特権階級のものであったが、民主政治の進展により庶民の議会が始まり(下院) 徐々にそちらに優越されるようになり、改めて「上院」はチェック機関的な存在となっていったが、日本では長い間の封建制度もあり、一般庶民の政治参加の考えには触れられていない。
最後に開明派大名の松平春嶽は、小楠の意見も取り入れつつ自らも議会制度を調べていたと言う(文久期の政治総裁職のころ)
海外文献の「大英国志」によるもので、解釈に関しては長州・桂小五郎との交流もあった(桂の人脈は意外に調べてみると幕臣にもあったりする。春嶽の人物と見たら、身分にこだわらない姿勢がここにもある)
イギリス議会の二院制に関することで上院「巴刀門(ハルリモン)」下院「高門士(タカモンス)」の記述があり、上院が幕臣・諸侯、下院が諸藩の藩士を当てるとある。上院を諸藩の藩士で当て、下院を農商の一般庶民としてもいいと、当時としては飛躍した思い切った考えも持っていた。
維新後、上院にあたる貴族院が設置され、文字どうり貴族層や学者等が当てられた。
現在でも、存在価値やその機能としての問題が挙げられている。
個人的には構成や選挙制度もあるが理想とする「良識の府」とは遠くかけ離れている現実(業界の利益代表や知名度重視のタレントといった顔ぶれをみても)に見えて、無駄にしか思えない。
また、国会開設時の理想を改めて考えて見直すのも大事と思う。
台風は大丈夫ですか?お仕事にも差しさわりがあるのでは?
記事の船中八策・二院制のこと・・・良い勉強になりました(^^♪
こんばんは!
台風の影響は会社はないんですが、次の日曜の添乗の仕事の
お客さんがいっぱいになりました(台風キャンセルで、こっちに移って
きた・・・)
文中で西周のことに触れてますが、たびたび津和野に行ってる僕も
詳しいことは最近まで知りませんでした。あの山間の小さな藩からも
このような人物が出てくるんですね!また、先日の選挙で島根選挙区
で当選した亀井氏は、代々の津和野藩藩主(亀井家)の末裔だそう
です。