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エノカマの旅の途中

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中岡慎太郎の直筆の書状発見

ji5isl さんのブログで「高知新聞」にこの記事が載っていたそうです。
我々からしたら大発見なんですが、関西でこの事を記事にしていた新聞なかった
んじゃないでしょうか。発見場所は京都の洛北・岩倉具視の幽棲地なんですがね。

開国をめぐる対応で威信の落ちた幕府は、14代将軍・徳川家茂に皇室から
和宮を側室に迎える工作をはかり(和宮降嫁)公武合体を推し進めようとした。
その中心的な役割をしたのが岩倉具視で、その動きを尊王攘夷派に警戒され
て洛北・岩倉の地で幽閉される。
のち、時代の流れに岩倉も討幕の意思を強め、その強腕を買った中岡慎太郎が
まず岩倉の元を訪れ、討幕の表舞台(最初は立場上、秘密裏だったが)に引っ張
り出す。薩摩の大久保利通との数々の討幕工作(表沙汰にできないことも多か
ったらしい)はよく知られたことで、維新後も多大な影響力を持ち続けていた。
中岡が亡くなる時、岩倉に後事を託していたことでも二人の信頼関係を感じる。

土佐の上士だった板垣退助にも意見を異にしながら、人柄を見込んでその懐に
飛び込んで同志となったように「相手を変える」強い意志と信念があったんでしょう。
ちなみに2人ともお札になってます(岩倉・500円。板垣・100円)
その両人を変えた中岡慎太郎が明治以降、生きてたとしたら今のお札が福沢諭吉
ではなく、彼だったかもしれません!

中岡慎太郎館にも記事
なお、この手紙は7月28日から高知県立歴史民俗資料館において展示予定。
Commented at 2007-05-21 00:19
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enokama at 2007-05-21 19:40
ji5isl さん
記事の内容送っていただきありがとうございました!

武力行使を視野に入れ、中岡が中心となって結ばれた「薩土盟約」
ですが、このころの土佐は山内容堂-後藤象二郎-坂本龍馬のライン
で「大政奉還」の働きかけに見られるような穏和路線になっていて、
その狭間で苦悩する慎太郎の思いがリアルに伝わってくる本当、貴重
な資料ですね。文体も律儀な彼らしくしっかりと明瞭な表現です。
同じ脱藩者でも、完全に藩を見切っていた坂本龍馬に対して慎太郎
の土佐に対する思いが本当に伝わってきます。

両人の死後はこの盟約を基に、盟友・板垣退助は藩首脳の意向に
反して出兵を強行し、成果を出してまがりなりにも「薩長土」と言われる
までになります。中岡が蒔いた種が結実した時です!
このころの松平春嶽や岩倉具視の宮廷工作にも見られるように
一刻一刻で情勢が変わって行ったころの微妙な動きがひしひしと
感じられます。
また、夏になったら高知にぜひ行かないと(笑)
by enokama | 2007-05-20 22:11 | 中岡慎太郎関連 | Comments(2)