中岡慎太郎の言葉
特集をやっていました。
100の候補から(エンディング等で触れられているもの)HP上で投票をされたものですが
その中で私の好きな歴史上の人物の一人・中岡慎太郎の言葉が以外にも?
(地味なイメージがありますからね。まあ、私からみたら当然ですが!)上位に選ばれてました。
17位 中岡慎太郎
「志とは 目先の貴賤で動かされるようなものではない 今 賤しいと思えるものが
明日は貴いかもしれない
君子となるか小人となるかは家柄の中にはない 君 自らの中にあるのだ」
『中岡慎太郎全集(文久元年十一月二十六日 北川竹次郎宛手紙)』より
自分の信念は決して、回りに惑わされることの無く貫けば、結果は出てくるだろう。
また、彼はお上からの締め付けではなく、民衆からの声をくみ上げる土佐によく見られた大庄屋出身でもあり
身分うんぬんの考えはあまりなかったかと思います。
(のちの土佐の自由民権運動にもつながるった?)
また、このブログでもたびたび触れてますが、このころ見られた「実学」の考えも慎太郎の中では
大きかったんでしょう。
このあたりは松蔭門下で一緒に遊学したこともある久坂玄瑞や、奇兵隊の創設者でもある高杉晋作との
親密な交流にも現れているし、実務的にも彼の兵制改革論にのっとり、土佐は板垣退助によって
近代化され新政府軍の一端を担うまでになりました。
この言葉にあるような世の中には、明治になってある程度はなったかも知れませんが不十分な面も
多かったと思います。板垣の明治時代の活動は野に下ってのものでしたが、慎太郎がいれば
政府の中心にいての改革になっていたでしょう。当然、薩長閥のこだわりもなく、もっと能力のある者を
引き上げてたと思います。
(歴史に たら は禁句ですが・・・)
ちなみに1位は高杉の辞世の句
「おもしろきことも無き世を おもしろく・・・」
下の句は以前触れた野村望東尼がつけたものですが、コメンテーターの人はあまり好きではないようだし
司馬遼太郎も「道歌めいた・・・」と書いています。
まあ、その場に望東尼がいたことが意味のあったものだろうし
この句の痛快さが支持を得たんでしょうね!
結構少ないし、読みたいのが手に入りにくいしと。
高杉の辞世の句はどう言う意味なんでしょうね、この句を見るたびにどう受け取ったらいいのか、ストレートに撮っていいのか・・・気になるところです。
幕末、奥深いですよね。当時の生活、地理状況等々まで近づかないとわかりません、これがなかなか。
土佐関連はやはり、平尾道雄氏の一連の著作が充実してるん
でしょうね。板垣退助らの著作にも触れてみたいです。
でも、僕の場合いろいろいい本を見つけて買っても、読みきってないもの
がけっこうあるので(苦笑)そちらがまず先決かな・・・
(幕末・土佐勤王党 不滅の志 ~若者たちは変革に命を賭けた!)
板垣退助は後日、中岡について「もし、中岡が生きていたならば西郷にも匹敵する働きをしていたであろう」と語っていました(ひえっ~~!!)
私ももっと、もっといろんな関連本を読みたいです~~!
中岡慎太郎は、半ば拠点に活動してた長州では、もちろん一目置かれた存在だったし、薩摩の西郷や岩倉具視らの公卿(大宰府への五卿落ちにも係わった)らとも固いつながりがありましたね。人脈・行動力と言った点では幕末屈指の存在でした。当然、存命なら大久保・桂に肩を並べた参議になってたのは確実でしょう。
まあ、維新政府も生き残ったもので成り立ったようなもんだし、惜しい人物もいっぱい亡くしていますから言い出したらきりはないんですが。
でも初代総理大臣が伊藤俊輔(博文)とは・・・天上の人たちはどう思ったでしょうね!
中岡慎太郎の話題でしたので、うれしくなって書き込みしてしまいました。
またお邪魔させていただきますね。
はじめまして! ようこそ。
最近ブログを始められたんですね。
エキサイトで慎太郎ファンが増えて大変うれしく思います!
ほんと慎太郎は龍馬に隠れてしまったような存在で、手柄もすっかりもって行かれたような感じですが、僕も調べてみるほど大人物であってますます好きになってきました。
ネットをしだしてみたら意外に慎太郎ファンが多いのも感じます。過去の記事(歴史)でいろいろリンクも貼ってますんで、また行ってみてください。新しい発見がありますよ!
それではまた、よろしくです!