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エノカマの旅の途中

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中井庄五郎殉難碑と天満屋事件

慶応三年十二月七日に京都詰紀州藩士の三浦休太郎が海援隊士と陸援隊士に襲撃された事件。
新選組と坂本龍馬絡みの話なのでよく知られた話かもしれない。

西本願寺から堀川通を超えた東側の油小路通沿いの三浦が滞在していた天満屋旅館跡に
襲撃側で唯一亡くなった十津川郷士の中井庄五郎殉難碑が建っている。
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よく坂本龍馬の海援隊に「いろは丸事件」で苦汁を飲まされた紀州藩の三浦が近江屋事件の黒幕として
海援隊と陸援隊を中心としとメンバーでその仇を取りに行ったとされるが(大概の記事ではここまでしか書かれない)決してそれだけが動機ではない。

三浦休太郎が大政奉還にも反発する(護衛に新選組を頼んだほど)在京佐幕派の大物だったこと。
この事件翌日に陸援隊は紀州藩の抑えとして高野山に向け、出発したこと。
陸奥宗光にとって三浦は紀州藩においての政敵だったこと。

複数の要因が重なったものだっただろう。
三浦は傷を負ったものの討ち取ることはできず、護衛側の二名と中井(墓は霊山墓地)が死亡した。
そんな背景については「中岡慎太郎の行動から見た幕末維新」で紀州藩(→こちらも)や陸援隊の動きを絡めて詳しく書いてますのでご覧ください!


by enokama | 2020-10-30 16:55 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)