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エノカマの旅の途中

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敦賀の天狗党ゆかりの地と新保宿

佐柿は敦賀とも近いので、再度前回に行けなかった場所に行ってきました。
(海津の記事もここで当初書きましたが追記して別記事にしました)

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永建寺は松原神社から北方向へほど近い場所にある曹洞宗の寺で、広い境内に庭がある古刹らしい重厚な建築が残っている。
この場所には江戸から西下した、水戸藩内での天狗勢追討からの幕府追討軍・田沼意尊が元治元年二月一日に入った。
その到着に前後して身柄が加賀藩から追討軍に渡され、敦賀各所の寺院に収容されていた天狗党は鰊蔵十六棟に約五十人ずつ押し込められるという残酷な仕打ちを受けた。




二月一日より永覚寺に仮白洲が設置され、三日まで簡単な取り調べが行われた。
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当時の本堂は残っていないが、この塀は当時のもの。
永覚寺はガイドブック等には載っていないが、小さな石碑が建てられている。

こんなトンネルを抜けると
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永嚴寺(ようごんじ)
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判決で年少者十一人がこの寺に預かりとなり、遠島を申し付けられてのちに小浜藩の准藩士とされた武田金次郎ら百名あまりものちにこの宿坊に入り、佐柿に移るまでこちらで過ごした。
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門とこの鐘楼が古い建築で残っていた。


新保宿にも行きました
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集落に入るとすごい急坂になって
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問屋の屋敷の一部で小さいながらも書院造であり、天狗党が新保に入ったおりには武田耕雲斎が滞在し(のちに新保陣屋と呼ばれる)
降伏を勧める加賀藩士との交渉をもった。
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新保の南の集落で宿場だった葉原には加賀藩の追討軍先鋒が入り、対峙した新保陣屋の天狗党と粘り強い交渉を行い降伏させ、この地での戦争を回避した。
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次は海津

Commented at 2020-05-02 08:23 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by enokama at 2020-05-10 09:51
鍵コメさん、ありがとうございます。
海津宿の陣のことですかね。
松平春嶽が上洛のおりに海津はよく泊っているし、気になっておりました。
by enokama | 2018-12-20 18:05 | 水戸藩と天狗党 | Comments(2)