振り返ったら何回か今回の大河ドラマ感想はこのブログでも触れていたようですが
なんか最近の幕末大河が主人公の幼少期や青年期に三分の一ぐらいさいて、親や家族との女性目線での関わりってので重視しているようで
も一つ元治~慶応あたりの幕末での一番大事な肝心な出来事がサブストーリーにしか取り上げられないし、まあSNSや掲示板では「史実史実ばっかりうるさいんだよ」っていう人たちもいるけど、こんなのが求められている時代になってきているのかなとも思ったりしてしまいます。
でも大河の舞台になりそうな場所なら、その関わりをアピールして博物館なり講演なりと言ったものも通じて観光客を呼び込もうとするからどうしても期待するだろうし
ほんとにドラマになって再現してほしいエピソードがあったりするから、取り上げてほしいもんですが
どうも脚本の流れに沿ったフィクションの部分や解釈ってのがつまらないし、まず当時の時代背景からあり得ないことが多すぎるし、武士の世の中なんだから武士道的な意地ってのは入れるのが当たり前だと(藤沢周平や葉室麟あたりの原作映画ではしっかりと入れるよね)思うけど、そんな要素はなく現代の考えと同じような感情の人間をそのまま、その時代に再現するだけであって
今の時代の大河ドラマに求めるのがいい加減、間違いなんだと気付かないとだめなのかなと。
まあ世代交代はNHKはしっかりとしているだろうから、時代劇は20年前にはほとんど衰退してしまってるから「まったく知らない」スタッフも多いだろうし
脚本家も民放の時代劇が皆無になって久しいから、どんなものかわからんのでしょう。
現代劇の人気ドラマを担当していたと言っても、その手法を違う時代背景に合わせた物に合わせることは無理で不自然ななことであって、結局は見るに堪えるのが見る・読む人によっては物議を醸しだす「司馬遼太郎原作」であって
それを超える作品はなかなか現れないのが現状なのかともしれません。
時代考証も自身が専門で本職が忙しかったら受けられるはずがなく、例えばワイドショーの専門家顔するコメンテーターなんて、時間の余裕があるだけでその業界のトップでは決してなく実力も無いような者でも通用するものである。
あれ間違ってるやないかって言われても影響がない、未だに何の資料提供なのかわからんけど名前が残ってる山村竜也にみたいにや研究や論文に関係のない、作家と言う都合のいい肩書きでろくに説得力もない文章も書けないけど、その程度の人物ならしょうがないで済まされてやってるってしか見えない訳なんです。
原口泉さんは某番組でさも細かく今回の脚本に指示出してるように紹介されてたけど、あそこまて見せてよかったのかなって心配になってきます。あくまでドラマですって逃げられないやんか。
まあ、あまりハードルを上げる必要がない人が時代考証の適任かも知れませんがね。
「庄内藩」と西郷さんの関わりは、10年ほど前からこちらでも取り上げてカテゴリもかなりの記事数になっていて
かなり書いてきたつもりだけど、いつも「庄内に行ってきた」って言うと、まあ東北の代表的な観光地でもないから「なんでそんなとこ行くの」って聞かれるのが残念ながら常のようになってしまってます。
まあ前よりは「藤沢周平原作の映画」あたりも増えてきたんで一時期ほどでもないんですけどね。
相変わらず「薩長史観」だって因縁つけるような奴や作家連中も多いですが、そんなアンチ対策ででも東北のよく知られるような戊辰戦争での会津や長岡あたりの「悲劇」的な要素よりも、その薩長中心の軍に対して互角以上に戦って領内への侵入もほとんどなく城下町も焼かれなかったという「庄内藩」の稀有な形は
当たり前のように勝海舟や坂本龍馬をやたら強調したような代り映えのない展開と違って(慶喜の背景はともかく、俳優の雰囲気はよかったが)こういうことがあったのか(僕は「飛ぶが如く」の江藤新平が衝撃さ的だったりするわけだけど)と知らしめるエピソードとしては十分面白いと思うんだけど、なんの冒険もない新たな話の展開も作らない無難なものに納めてしまってるのかな。
まあ篤姫の北川景子もよかったし江戸開城あたりのエンケンさんの熱演と言い、俳優陣は素晴らしいだけに(なんか同じようなことを何回も言ってるような感じもするが)残念ですね。
実は今回、酒田の南洲神社でうががった話では、この大河ドラマが決まってすぐぐらいの早い時期にこの脚本家氏が庄内を訪れて取材をしたそうなんです。
やはり「家族」絡みで書きたい意向だったようで、戊辰戦争あたりは触れられないだろうと言うことでした。
ただし西南戦争で薩摩へ留学していた青年が西郷軍に加わって田原坂で亡くなったんですが(→
関連記事)その兄は政府軍に加わって西郷軍と戦って同じく田原坂で亡くなってるんですよね。
この話に興味津々だったらしくって、取り上げられるかもしれないとお聞きしました。
ただ「庄内藩」はセリフ上で意識的に触れられることが多いような気もするけど、「薩摩藩邸焼き討ち」も致道博物館蔵の錦絵一枚で終わりだったでしょう。
伏線があまりにもなさすぎるし、唐突にこの時期の庄内士族を出しても意味が分からんでしょうに。
まあ今回ここまでまともに取り上げられていたら、このブログのアクセスも爆発するだろうし
注目が増えて庄内にも目が向けられたらと思うんですが、やはり期待しないほうがいいのかもしれません。
今回、大河で出たエピソードで
ウィリスが出たのはよかったのですが、やはり「家族」絡み上でのことでしたしね。