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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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葵の残葉

今はインターネットで「rajiko」に入ったら全国のラジオが聞けるんだけど、関西で面白いラジオがないので(聞くのは羽川秀樹ぐらい)
前は大沢悠里さんや蝮さんを聞いたりしてたけど終わってしまったので、泊り明けなんかに午前中は名古屋のCBCでつボイノリオを聞いて
昼からは例の事件で終わってしまったけど、東海ラジオの「みやーち」聞くと言うサイクルだったりするのです。
今は結構、関西出身のアナウンサーあたりは名古屋等(RCCにもいる)そのまま各地方で関西弁で通してたりしてて
三重とか大垣あたりも関西アクセントに近いので、結構馴染みやすかったりするんですよね。

ラジオなんて関西は毎日・朝日だし、名古屋も中日新聞なのでラジオを聞く世代もあって「安倍批判」「自民党批判」ばかりのワンパターンなんだけど(だから若い世代はラジオなんて聞かないんだ)
つボイノリオの番組はいっぱい投書を読むので、一応は両方向の意見を流してくれるので政治ネタもまだ公平に流してくれているように聞けるのです。

その番組で11時台にゲストが入ることがあるんだけど、作者の奥山景布子さんが来られていて(名古屋在住の方)紹介されていて興味を以て、丸善の京都店に在庫があったので購入して来ました。
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城山三郎氏「冬の派閥」の感想を以前に書いたんだけど、今でも結構アクセスがありまして
尾張藩のことは調べたいんだけど、相変わらず見当たらないってことで(青松葉事件絡みはいくつかあるけど「考察」にすぎない程度)
奥山氏は小説の形ながらも、かなり史実的なことを調べたと言うことで(やはり蓬左文庫や林政史研究所が多いですね。一般には触れにくいですが)
主役は高須四兄弟の長兄である尾張藩十三代藩主・徳川慶 (慶勝)で、次兄で尾張家十四代藩主となった茂徳(茂栄)
そして会津藩主となった容保、桑名藩主となった定敬となりますが、容保のシーンは少なめでした。
尾張藩では尾張藩では田宮如雲や付家老の成瀬正肥と言った知られた者以外で、長谷川惣藏あたりの位置づけ(高須藩からの家来)ってのも初めて知ったし
安政の大獄から藩政に復権する慶勝が次代藩主の茂徳(佐幕寄りでふいご党や竹腰家が支持)を隠居に追い込んで、茂栄として一橋家当主となったいきさつやのちの翻弄される人生。
まだ若者だった定敬がたどる流浪の足跡など、容保以外のあまり語られていなかった人物の思いが描かれてあります。

慶勝自身も今まで見てきた書物でも感じたけど、田宮や成瀬そして長谷川あたりとも微妙に距離があって孤独感も感じるし、青松葉事件でも成瀬や田宮の意向でやむを得ずって感じはやはりするものです。
「長州征伐」の西郷とのやりとりも奥山氏は「こんな感じかな」と想像して書いたと言ってましたが、シーンは短かったもののイメージ的にそうだったんだなと思いました。
慶勝サイドも西郷も情報探索をした上での対応で「内戦をできればしたくない、諸藩の負担を抑えてたい」と言った面があったのでしょう。
この時に長谷川は萩に乗り込んで、毛利登人や松島剛蔵あたりの処刑も知っているはずなので、そのあたりの描写も見たかったなとも思います。
一門でありながら最終的には薩摩とも組む姿勢は「徳川が新国家に入ることで新しい体制を受け入れる形」として、あえて家康が「一門は割れていい。徳川家は残る」としたとされて、江戸時代は幕府と尾張家を不仲に持って行った。
それを体現したのが慶勝だったのだろうか。

小説なので慶勝の趣味のカメラにまつわる心情を表したり、女子の架空キャラ(?)も登場します。
とりあえず「幕末の尾張藩って何をしたの」って知りたくても、愛知県史や名古屋市史でも満足できない現状で史実考証的にもしっかりしてるので、城山氏の目線とも違ったこの小説から入るのもよいかと思います。

by enokama | 2018-07-14 15:18 | 尾張三河美濃 | Comments(0)