エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

呉座勇一「陰謀の日本中世史」

話題になっている新書を読みました。
なかなか爽快に斬ってくれて、わかりやすい内容でした。
f0010195_19000145.jpeg




平家の時代~鎌倉時代~足利時代~戦国時代の中世史通説について
いわゆる「陰謀論」を中心に論破されています。
何度かブログにも書いてきましたが、歴史の最新研究は僕が一番書いている幕末維新以外でも研究が進んでいて
二~三十年前の認識が今は通用しなくなっているものも多いのです。
信長なんて「横暴な型破りの面があって、それまでの秩序を壊していった改革者」と流布されてきたのが
朝廷を尊ぶ常識的な面もあって、決して強権を以て相手を圧していくだけでなく
よく見方にも裏切られる背景もあったりして、万能の天才ではないとされます。

また戦乱の時期があり、その後の幕府政権が安定期となり軍記なり家伝が編纂されると
そのあたりでどうしても、その時々の治世者に都合にいい編集となってしまうのは致し方のないことで
本能寺の変の信長の最後の言葉等、印象的な場面はよく記憶に残るものですが
多くは「創作」である可能性が高いものであります。


僕がこの書に興味を持ったのが呉座氏とA氏 の「本能寺の変」を巡った論争からであります。
A氏に関してはここに書いてますが(八年経つんや)まあ浅い知識の者からしたら、ころっとこの当時の自分のように信用してしまうものなんです。
この方とはその後にちょっとつながりは持ったのですが、どうも専門の研究者を馬鹿にしすぎな態度や
そこは違うんじゃって出された異論に関して完全否定だったり、無視する態度だったりが見られたのでもう切ってしまったんですよね。
呉座氏はこの方の一定の史料の読み解きには評価されつつも「この手の論者は本能寺の変以外の事件には興味を持たない」と指摘されてます。
確かに「龍馬暗殺」とかの本で宣伝してくれってみたいな人も、こちらのブログにきたりしたこともあるのですが、他のことには一切興味ないんですよね。
その事柄を調べるなら、前後の通史を初め幅広い面も見ないとダメで、それこそ研究者の視線なんですが
この手の定年して時間ができ余裕ができてって方が、勘違いするのもよくあるもので(有名な方の講演等で場違いな質問をして、それもくどく食いついたりしたとか)
「俺は研究者を超えた」とか調子こくわけなんでうよ。
そのあたりの方の著書が「真実」とか帯を書いて売られるんですよね。専門家だとどうしても理屈ぽくなってしまうので
逆に読みやすいとか、ライター上がりの人で文章がうまい人だったら喧伝されてしまう。

「陰謀論」と言う点では黒幕がいて○○と○○が後ろでつながっているって感じになってくる。
でも暗殺なりクーデターってのは、そんなに裏でつながっていたらその規模が大きいほど情報は洩れるし、実行できなくなってしまう。
「龍馬暗殺」で会津と薩摩の一部が組んで龍馬を殺したとか、そんなことして筒抜けに藩の機密情報が漏れたりしたら元もこうもないのだけど
そんな普通に考えてありえない当たり前のことが「その説はすごい」ってことで、もてはやされてしまう。
幕末でいえば八一八政変は同じような目的でその前に越前と幕府が京に入ろうとしていたわけだけど、根回しをしすぎて動きも見られて逆に未遂に終わった。
そのあとに薩摩は少数で決断してパパっと実行したんですよ。
慶応三年秋の薩長芸の一回目の出兵も少しでも足並みが遅れたら、情報漏れや相手の態勢が整う前に即刻中止にして三田尻に薩軍は足止めにされた。
まあ、これが中世から生き延びてきた島津家の柔軟性と言えるものなんでしょうがね。

その事件や事柄を調べて、その周辺ばっかり当たるよりも違うことからヒントだったり人物像が浮かび上がってきたりするものです。
中岡慎太郎の行動から見るだけでも、三条実美は半藤一利が言うような「無能」では決してないし(もちろん、孝明天皇を岩倉具視が毒殺するわけではない)大山綱良も中村彰彦の言うような「私腹を肥やす」だけの人間ではないし、伊東甲子太郎が「二重スパイ」などありえないのです。
ただ軽々しく「真実」と言うのは僕は今も自身がない。ただ「この説は違う」言う視点なら自信はある。
だからよくあるトンデモ本のたぐいで「真実」って簡単に言う著者ってのは責任のない者であって、そこから学会等に身を置いて責任のある著書を求められる研究者に対してのあの態度って何なんだろうなと思ってしまいます。
まあ研究者でも東大の本郷ってのが自分の専門外の時代でおかしいことをテレビで言いまくっているわけですが、自分の持ち場ではちゃんと守っているものなんですよね。

このA氏も「歴史捜査」と言うものは後世の者が結果を知った上で、その上にパーツを並べて「推理」をするというと言うことだけなんですね。
「真実」など軽々しく言ってはいけないし、現代の感覚ではなくその時代に身を置き換えたつもりで考えないといけない。
こうして自説を主張して研究者に対してもけんか腰になるのではなく、もっと相手側の信長の背景なり、秀吉の信条行動と言ったものにも深く迫らないと奥行のある説にはならないはず。

歴史を学ぶものからしたら、なかなか得るものの多い著書でした。

[PR]
by enokama | 2018-05-28 18:59 | 歴史全般 | Comments(0)