エノカマの旅の途中

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保和苑と附家老中山氏

二十三夜尊桂岸寺(仁王門)
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この寺は水戸藩附家老だった中山信正の供養のためにこの地に建立されたもの。
徳川光圀の命によって「保和院」と称する。
縁結び・金運・合格祈願とあって、結構賑やかな場所でありました。




中山家墓所入り口
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二代中山信正墓所
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あまり見たことのないような墓であります。

中山家は紀州藩の安藤・水野、尾張藩の竹腰・成瀬と言った御三家に付いた水戸藩附家老であった。
安政の将軍継嗣問題はいわゆる紀州派が紀州藩附家老の水野忠央が中心となっていたが、その背景には幕臣でありながら紀州藩の家臣と言う身分でもあり「陪臣」と言う扱いからの家格の向上「大名」への昇格を狙って幕政主導権に食い込む野心もあったとされる。
また五家の附家老が連帯しての昇格運動も行っていた。
中山家も個性の強い斉昭と水野忠央らの関係において終始微妙な立場であり、天保期の斉昭失脚の際には当代附家老・中山信守が連座して藩政から退いている。
慶応四年になって、この五家や外様ながらも境遇の似ていた岩国吉川家も正式な大名となって立藩している。


保和苑は桂岸寺の庭を愛した光圀の「保和園」が始まりで、昭和になって拡張整備され日本庭園となった。
あじさいや紅葉の名所でもあるそうだ。
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by enokama | 2018-05-02 17:58 | 歴史連載 | Comments(0)