エノカマの旅の途中

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今度こそ、幕末と明治の博物館と大洗

しばらくは先月に行った水戸関連の投稿をしたいと思います。
第一の目的はこちらで前回は徒労に終わったんですが、今度こそ行くことができました!

交通は茨城交通のバスが水戸市内から一時間に一本ぐらいあって40分ぐらいかかるでしょうか。
正直、遠方からの人間からしたら遠く思えたりするんですが(今回も前回も水戸駅で10分以上遅れてきた・・・)
実はこの地に明治維新の資料館があるのは、この茨城交通が関連しているのです。

例のキャンプ場はまだ寒いけど、休日でもあっていくつもテントがありました
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明治になって鉄道の時代となるが、開通した常磐線は内陸部を通り
那珂川を介した内陸水運と太平洋航路の結節点として栄えた磯浜(大洗)や湊(那珂湊)の住民は地位の低下を恐れ
常磐線とを結ぶ私設鉄道建設の計画がなされた。
1913年(大正2年)に湊へは湊鉄道が開通し(のちに茨城交通に合併。現在は第三セクターのひたちなか海浜鉄道湊詮線)
磯浜へは常陸太田出身の豪商・竹内権兵衛(のちの日立電鉄開通にも関わる)によって「水浜電車」(のちに地域統合があって「茨城交通」へ)が設立されて、大正11年に開通する。

鉄道の開通に関しては誘客に努める姿勢が、阪急の小林一三に代表されるように見られるわけだが
こちらでも大洗の観光開発が進められて、幕末の水戸藩士顕彰に努めていた陸援隊出身の伯爵・田中光顕はこの竹内家と翻意にしていて
その用地を風光明媚な大洗の東光台に求め、明治天皇の聖像殿(昭和4年)から陳列館の建設へと至り、のちに大洗町営に移管されて今日に至る。
下は権兵衛の末弟で光顕に物心両面で支援をした当時の水浜電車の専務取締役・竹内勇之助の像であります。
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電車は路面電車スタイルで水戸市内の茨城大学前から市内中心部、水戸駅、下町の浜田、磯浜市街地、東光台、終点の大洗(大洗ゴルフ場の南。大洗海岸の手前付近)僅かな期間だが最盛期には那珂川河口にかけられた海門橋を渡って湊までと結構な距離を走っていて、水戸市内や磯浜付近は道路の真ん中を走っていたようです。
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残念ながら昭和41年に路面電車撤去が進んだ頃に廃止されて、今は前記のバスに転換されてますが、那珂湊~大洗~水戸駅からさらに水戸中心街へ直通するバス路線はかつての名残だと言えます。

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展示は平成九年に新館が増設されて映像コーナーや大洗町の展示もされているし
聞いていた通りに幕末志士遺墨の収蔵館ではトップクラスと言えます!
今回は木戸・西郷・大久保・伊藤と言ったビックネームはなかったけど
書簡詩書が間崎哲馬・平井収二郎・伴林光平・那須信吾、松本奎堂、武市半平太のカラーの美人画、藤本鉄石の画。
安政の大獄あたりでは頼三樹三郎、月照、月姓、小林良典(和歌)
松平慶永(春嶽)から島津久光の死を悼む詩と言うものがあって「良友」「涙玉」ととても感情が出ていたのが印象的でした。
佐川の青山文庫でも聞かせてもらいましたが、こちらでも田中光顕が高杉晋作との思い出を語る音声テープを聞くことができました。
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帰りは適当なバスがなかったので25分ほど歩いて、大洗鹿島線の大洗駅から水戸まで戻りました
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駅から歩いた途中もガルパンだらけだった・・・
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大洗の鉄道空白期間も長かったようですが、現在は鹿島神宮から水戸まで鉄道が走っています。
高架ばかりで広大な田畑の中を走って水戸まで行きました!

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Commented by 地元人 at 2018-04-15 01:03 x
ここの収蔵品、実際には500点ほどです。あれはタチの悪い、紛らわしい説明と言っても良い。
Commented by enokama at 2018-04-20 12:54
当該部分、削除いたしました
by enokama | 2018-04-14 08:46 | 歴史連載 | Comments(2)