慶応三年九月に木戸孝允から坂本龍馬に宛てた書簡の原本が見つかったそうです。
色々とくぐってみたんですが
この記事が一番紹介としてはいいかなと思います。
多くの新聞記事で書かれている倒幕ではなく「事態によっては薩長と同時に行動する覚悟を決めろ」ってことを土佐藩重臣の同志に働きかけたってこと。
「廃幕」から王政復古っていう流れは山内容堂も決断したことであり、後藤が西郷に約した大政奉還建白と同時の土佐藩率兵は「兵で脅すは卑怯」として容堂は認めていなかった段階でありました。
この記事で肝要なのは、後世における龍馬のイメージが「非戦論者」だの「生きていれば平和革命が可能」だったとか言えるのってこと。
暗殺の二月前のものだからね、そんなに簡単に変わるもんなの?
武器持ち込んで「戦う覚悟を持て」ってのは慎太郎同様だし、武器を与えていながら鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争に至る事態になって
「龍馬は戦争を望んでいなかった。止めることができた」とか、暗殺がなければ戦争にならなかったとか、全くなりたたないわけですね。
よく武力討幕論者である薩摩の西郷大久保や中岡慎太郎と龍馬が対立して、むしろ龍馬が慶喜側に立っていたような解釈ってのも何なんでしょうか。
しばらく経つんですが、何度か講演等でお話も聞いた桐野作人さんが「龍馬暗殺」の決定版ともいえる新刊を出されました。
見廻組や今井信郎の供述や立場は各方面から詳細だし
龍馬が追われてきた経緯も振り返ります。
幕末最大の謎ともよく言われるが、他の相次いだ幕末の事件と比べても、これだけ内実がわかっている事件もないとされます。
慶応三年後半の薩摩・土佐・芸州の動きってのは(酷い書物では「薩長の陰謀」で書いてしまうものもあるけど、まだ長州は朝敵のまま)
中々難解なもので解釈もいろいろですが、そのあたりの細かい動きってのもフォローされているし(芸州は触れられることないですからね)
「薩長同盟」「大政奉還」に関しても最新の研究で書かれています。
中岡慎太郎のことも多く書かれていますが(京都での慎太郎寓居の変遷もありました)とても龍馬と対立することはないですよね。
会津に関しては僕は疎いんで、大変参考になりました。
「大政奉還になぜ反対するのか」って理由では、なるほどなってことがあったし
ある薩摩藩士からの情報で見廻組が動いた説も、言ってみれば幕府側の諜報能力ってのは大したものがあって十分なのに、わざわざリスクのあるような「敵対勢力から情報を得る」不自然さがあります。
そんなことは明らかなことなのに「説得力がある」とし、活字やメディアになったら信用する人が増えてしまうんですよね。
大政奉還に反対する勢力は「徳川慶喜公伝」を見るだけでもいくつも出てきます。
会津、桑名、大垣、紀州・・・在京で強硬な反対派の名はいくつも出てくるのですが、そのあたりを無視して「武力討幕派は大政奉還に反対」とし、龍馬との対立をあおって薩摩や土佐の黒幕説が幅を利かせている現状って何なんでしょう。
ミクシィ全盛のころも圧倒的にそうなっていたし、今もそうなんですかね。
こういった「薩摩黒幕説」の始まりってのも時代を遡って、深く掘り込んでおられて
HやNと言った人物も気持ちよく斬っておられます!
吉川弘文館と言う歴史系で随一と言える出版社で、この出版がされたことを嬉しく思うし
一人でも多くの人に読んでいただきたいです!