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エノカマの旅の途中

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大阪開港150年~築港を歩く


土砂の堆積がしやすく水深に問題があり手狭となった川口から天保山周辺への築港計画で、そのシンボルと言うべき「築港大桟橋」は明治30年に着手し、明治36年に竣工した。
同時に築港大道路が開通し、その道路上には大阪市電初の路線「築港線」が伸びた。
しかし開発当初はまだ入港する船舶も少なく、大桟橋は格好の釣り場となって、市電には釣り竿置き場が設けられるほど意図に反して「レジャー」客でにぎわったという。
やがて「島」周辺の基盤整備も進み、街路や倉庫街もできた。
大阪税関も川口から移転してきて「本関庁舎」は今も築港にある。
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のちに市電に代わって地下鉄が開通し(このあたりは地下でなく高速道路と一体となった高架線)長らく大阪港駅が終点だったが、現在はさらに延長されて高架から急激に線路は下がり、海底トンネルで南港方面へとつないでいる。
地図上で地下鉄が海底トンネルに入るあたりに海に突き出た突堤があるが、これこそがかつての「築港大桟橋」であり市電もこちらまで延びていたのである。
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築港大桟橋のぎりぎりまで市電が通っている
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かつての大桟橋(現・中央突堤)の入り口付近にある明治天皇の石碑
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明治天皇聖躅(せいちょく)川口にも同じ文字の石碑があった、行幸地の意味だろうか。
ちなみにもう一面には築港事務所跡とあるので、年代的にも西村捨三指揮の下で造成途上の視察に行幸で訪れたものであろう。

中央突堤は現在では港湾施設としての機能は有していないようである
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現在では周辺は板張りの海に臨む公園として整備されているようだ。
ただし何もショップ等はなく、眺望を楽しむぐらいしかない(くぐったら釣りをする人も多いよう)
ちなみに西に沈む夕日がすごくきれいなんだそうです!
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周辺にはレトロな倉庫街
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レジャー施設もあったようである
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かつては天保山に会った港住吉神社(住吉大社末社)
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台座は現在、天保山渡船場近くに立つ西村捨三の像がかつてこちらにあった跡である。
戦時中に金属供出されたもので、現在の物よりもかなり大きい像が立っていた。
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by enokama | 2018-02-02 21:50 | 大坂発見 | Comments(0)