エノカマの旅の途中

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和歌山市立博物館~「幕末の紀州藩」

ブログではまだあまり触れてませんが最近、特に慶応三年を調べていて陸援隊の絡みもあって紀州藩に関心を持っております。
天満屋事件や陸援隊が高野山に行ったこと、鳥羽伏見の戦いでの敗残兵が紀州を経て江戸へ戻ったエピソード
第二次征長(幕長戦争)の芸州口での幕府軍の戦いぶりで旧態の目立った中での紀州藩の奮戦ぶりなど興味深いものも多いです。

和歌山市立博物館(→HP)はこの時以来です。
なかなかその時もいい展示をされていたので、今年は期待できるかなと楽しみにしてましたが期待以上でありましたね!
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陸奥宗光のトートバックがもらえた。今回の図録と過去の図録、今回の講演の記念品と合計三つもらってきました(笑)
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僕の幕末興味は越前藩や薩摩藩から入ったので、どうしてもいわゆる将軍継嗣問題での慶喜擁立派「一橋派」目線からが多かったので橋本左内や西郷隆盛らののちの処遇もあって、どうしても家茂(慶福)擁立派「紀州派」の方は守旧派で弾圧した側に見えてしまうので、今までいい印象はなかったんですよね。
家茂擁立派はやはり井伊直弼あたりが目立ってしまいますが、紀州藩付家老(新宮城主)だった水野忠央の影響・運動が一番の中心だったとも言え、また家茂に関してはどうしても一橋派からしたら慶喜の実力を主張していた側から、能力的また体力面ではどうなのかとのことも言われることですが
水野忠央の博才ぶりも伺える書や絵画もあり、藩政改革に於いて兵制改革や造船、のちの人材育成と言った施策を行った実力者であったこと(井伊暗殺後に失脚)
また家茂の幼少期のしっかりとした書やその振る舞いを伝える伝承では、将軍としてそれ相応の人物だったことも伝わってきて、やはり反対側からの見方も必要だなと改めて思いました。和歌山の寺院で寺宝として伝わっている家茂の入った風呂桶もありましたよ。
兵制改革はやはり第二次征長が契機になったようで、あの長州軍を押した紀州軍の強さの裏付けなど資料もあり、大野での紀州軍の布陣の様子もありました。

展示解説があって、学芸員さんと話もできたんだけど、天満屋事件の認識(三浦休太郎は在京の佐幕派の大物で大政奉還にも反対な強硬派でもあったので、警護する新選組との軋轢もあって陸援隊も巻き込んだターゲットでもあったこと。ただ単に龍馬暗殺の報復だけではない)や鳥羽伏見の戦いで紀州藩と大垣藩が幕府軍側でまともに戦ったら薩長軍は目じゃなかっただろうと言うあたりがほぼ一致できたのは嬉しかったです。ただ紀州藩が勤王に決した経緯が不明なのと(史料的には水野家に対するもう一人の付家老・安藤直裕がまとめたようになっている。尾張の佐幕寄りとされた竹腰家と勤王派とされた成瀬家の関係のように、安藤家の側を勤王とすることで付家老の立藩問題を有利に進めるためかとも僕は想像してます)
あと僕が知りたかった明光丸(第二次征長~いろは丸事件~鳥羽伏見敗残兵の輸送)に関しては全く史料がないって言うのはちょっと残念でした。

この日あった岩城卓二氏の民衆の動きも交えた当時の畿内社会の講演は、こんな見方もあるんだなととても参考になりました。
この特別展は11月26日までの展示で講演会もほぼ毎週組まれているようなので、ぜひ訪れていただきたいです!


今回訪れたところです。
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by enokama | 2017-11-09 23:48 | 歴史全般 | Comments(0)