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エノカマの旅の途中

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鳥羽伏見の戦い~小枝橋の開戦

羅城門バス停から18系統のバスに乗ると、旧鳥羽街道の昔ながらの狭い街道筋を行きます。
所々狭い場所は一方通行になっていて旧家も多いところであります。
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バス停は名神高速の下をくぐる手前で、小枝橋自体はだいぶ先になります。

西詰から
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だいぶこの辺りは京都の西側のイメージですが実は鴨川を渡る橋。九条のあたりから大きく方向を変えて、この先で桂川と合流します。




渡って右へ曲がってまた左に降りたところに
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昔はこの位置からまっすぐの方向に橋が架かっていた
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近くの鳥羽離宮公園にも石碑があります。
この碑のある「秋の山」や城南宮参道にも大砲を備え、周辺に薩摩軍は布陣した。


一月三日に鳥羽街道を京都に向かって行軍してきた旧幕軍はこのあたりを警衛していた薩摩兵と「通る通さない」との問答が続き、赤池から進めずにいた。
午後五時になって「日も落ちる、まかり通る」と、強硬突破を図ろうとする時に薩摩軍から砲撃が起こる。
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緑の森が鳥羽離宮公園で「秋の山」からの砲撃を受けた。
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旧幕軍側は戦闘を想定しておらず、銃に玉も装填してなかったとも言い一方的に攻撃されて下鳥羽まで退いた。
薩摩軍の椎原小弥太が最初に撃ったとされ(のち淀で戦死)その資料が城南宮に残されている。
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城南宮側から小枝橋
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城南宮にも駒札
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by enokama | 2017-06-22 13:28 | 私の好きな京都 | Comments(0)