堺~南宗寺から浜寺公園駅
突かれ、堺まで逃れたもののこの地で息絶えてしまい、開山堂の下に葬られたと言うことだ。
沢庵和尚を祀っていた開山堂も空襲で焼け、跡地に無銘の丸い墓石が現れている。
坐雲亭と呼ばれる現存最古の建物には、徳川秀忠・家光が南宗寺に相次いで訪れた板額が残されていて
「なぜ歴代将軍がそこまで」と言う謎も、家康の「大坂死亡説」に拍車をかけている。
東照宮も境内にあったがこちらも焼けて、門(唐門)が残されている
東照宮跡にも碑が建てられ、水戸徳川家ゆかりの方が毎年来られるとか。
ちなみにこの一族と松下幸之助との交流があって、各地に連名でいくつも石碑等を建てられていて
「水戸黄門」の放映にもつながっていたそうだ。
境内には南宗寺を開いた戦国時代にこのあたりを治めた三好一族や千利休、その師匠の武野紹鴎の
供養塔がある。
利休好みの茶室もあり、たまに特別公開で内部も見られる。
帰りは浜寺公園へ大久保利通の石碑を見に行こうと思ったけど
園内を歩くほどの時間がなく、明治の名建築でもうすぐ取り壊される南海の浜寺公園駅を見てきた。
それにしても阪堺電車の堺市内の道路上から専用軌道に入ったあたりの横揺れが酷すぎぎで怖かった。
(ネットでくぐったら、赤字で線路の整備ができてないのではと言うこと)
味のある(ぼろい?)駅舎と浜寺公園の入り口
使用停止された旧浜寺公園駅舎
高架工事で取り壊される。JR嵯峨嵐山駅がこんな時期もあったことを思い出した