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エノカマの旅の途中

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明治維新史学会2013秋季大会in神戸と土佐史談会

少し日は経ちましたが、昨年に続いて11月9日に明治維新史学会に行ってきました。
レジュメも資料編も含めて、たくさんあったので概略だけ少し書きます。

まず会場にあったチラシからの展示案内

鳥取藩の幕末
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井上馨候(静岡県)
明治維新史学会2013秋季大会in神戸と土佐史談会_f0010195_0332975.jpg





一本目は「文久元年・二年における長州藩士の海外渡航」
いわゆる「長州ファイブ」より以前の藩士海外派遣の話で
文久元年のころ、長州藩論は長井雅楽の「航海遠略策」で
安政のころから、長崎への海軍修業に松島剛蔵・北条源蔵ら、陸軍は来原良蔵らによって
長州軍の洋式化・近代化を進めていた(→関連記事
そして、幕府の海外使節団への随行の形で文久元年・文久2年(有名な高杉晋作の上海渡航)と藩士の
海外渡航が実現し、その見聞をきいた周布政之助が藩論「破約攘夷論」に転換後も、海外を知ることを
痛感「長州ファイブ」へとつながって行った。

二本目は「幕末の御親兵」
よく幕末の情勢で「御所の警衛」ってありますよね。
「八一八の政変」で長州が追い出されたり、「王政復興政変」で会桑が追い出されたり。
その御所の守りの始まりから(朝廷と幕府の力関係)一時期(文久3年)親藩譜代外様問わず
各石高に応じて、10万石以上の諸藩が藩士を出して均等に警備を担った時期があったことは
初めて知りました。これも「姉小路公知暗殺事件」があったりして、またもや変化して行くこととなります。

三本目は「板垣退助の岐阜遭難」
遭難事件がどのように報じられ「自由党史」において、党勢拡大とも絡んで
その事件の評価がどのように変化していったかの話こちらも自由民権絡みがありましたね)

各氏の研究をお聞きすると、まだまだ幕末に限っても
漠然と知っていることでも「なぜなんだろう」ってことが、まだまだ埋もれているんじゃないかなと感じました。
研究の視点や史料の探し方・出し方も参考になりました。。。


次の日は添乗だったんですが、ちょうど土佐史談会の方が「吉村虎太郎・東吉野村~土佐藩十一烈士・
堺の妙国寺」(→こちら)を中心に研修旅行に来られていて、大阪に泊まっておられて
早く帰られたので、史談会の皆さんや旧知のYさんにお会いしてきました。
講師の先生の一人が「自由民権」を中心に調べておられる方で、昨日の講演のお話をしたら
やはり板垣絡みなのでご存じの方だったそうです。
東吉野の案内は第一人者の方だったりして、濃い内容だったようです。
虎太郎の終焉の地はいつか行ってみたいもんです!
by enokama | 2013-11-24 22:47 | 歴史全般 | Comments(0)