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エノカマの旅の途中

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八重の桜~板垣退助と大山巌

いつものように二回分です。
(板垣の分はFBの一部、再掲ですが)

まさかの「板垣退助岐阜遭難事件」 ドラマで見るのって初めてかもしれないですね。
刺されてもしっかりと柔術で犯人を取り押さえる板垣は、あの有名なセリフもあいまって男前でありました!
あとは新島襄と会ったシーンでの自由民権と会津戦争の関連付けですが(同志社の資料室に板垣の
書簡を見たように記憶してるので交流はあったようですね。それと民権派の側近・片岡健吉がキリスト教に
なった事実もあります)これは「士民一致」の庄内藩の例もありますので十分言えることだと思います。
(僕の認識→関連記事
ただ板垣の言った言葉には次のように

柴五郎の手記では「新政府軍は領民まで殺しておきながら、そんなデマを流した!」ってことになってたり
「領民の乖離」については、板垣が新政府側の「会津討伐」を正当化するために、誇張されていた部分
も大きいようです。いかにも「会津が圧政であった」かのように証言して、それを後の「自由民権運動」の際
に誇張して広めた、という…。

と見方もされる方もおられるそうです。
僕としちゃこの調子で迫られたら、何を言っても否定しかれないので、改めて検証することもしません
けどね・・・



相変わらず、会津人が差別されて薩長閥がのさばっている明治政府のようですが(もう飽きたわ・・・)
伊藤博文の憲法理念も「官僚制度」も、国会に対する考え方も、合理的で理にかなった考えだと思うんですがね。
今の時期、例のごとく「安重根」が出てきますが日本人でも、伊藤を極悪人のように見るバカがおる!
テロリストを賛美するって異常やって言うねん。
女癖はまあ、置いておいて・・・明治では最大の功労者であることは紛れもない事実です。
それでまた会津で嘲笑するんですか・・・
官僚らも旧幕臣の実力者も多かったはずだし、なんぼコネでしょうがなくっても
やはりできる人間は出自関係なく採用していたはずなんですけど・・・

大山捨松と津田梅子が留学から帰ってきますが「北海道開拓使が勝手に募った」扱いにされてました。
これは「女子も関係なく留学させるべし」との当時の黒田清隆の方針ですよね。
この帰国したころは黒田も、もう冴えない時期だったのかな・・・(一応、二代総理大臣でもあるけども)
ほんと釜さんがいなかったら潰れていたかもしれないし。

実際に大山巌も海外留学に長く行っていたこともあって、捨松とは意気投合ができたとも言いますね。
「薩摩と会津」の関係もあるけど、大山自身も「おいも賊(西南戦争の西郷らのこと)の縁者だ」
ってことで、なんとか説得させたとのことです。
このへんのドラマのシーンはもうちょっと、うまく描いてほしかったようにも感じました。
by enokama | 2013-10-30 23:49 | ドラマ感想 | Comments(0)