エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

庄内旅行2013~遊佐・佐藤藤佐と佐藤政養

ちょうどNHKBSの「にっぽん百名山」って番組で
「鳥海山」をやっていて、遊佐の町や吹浦駅あたりが出てきました。
実はどうも僕は鳥海山とは、行ったときの天気の相性が悪いので(苦笑)
本当にきれいな画像で見ることができました。。。
再放送もありますので、ぜひご覧ください→こちら

それでは遊佐の第二弾です。。。



玉龍寺
f0010195_041395.jpg

天保の「転封阻止運動」の川北(最上川以北)での代表的な指導者・文隣和尚のいた寺。
f0010195_0462438.jpg

戴邦の碑
f0010195_0464175.jpg

文隣は江戸での有力老中への駕籠訴(直訴)を図り、天保12年(1841)1月20日に成功する。
続いて近隣の秋田佐竹家、会津松平家、仙台伊達家などへも訴え、のちに転封撤回に成功する。

江戸での実行の際、事を取り計らったのが遊佐・升川出身で経理の才を以て御家人ともなった
佐藤藤佐であった。
生家は資産家で所有する土地は多く、升川から海岸に近い吹浦まで他人の土地を踏まずとも行けると
言われたほどであった。。。
孫にあたる林董によると頗る知識が豊かで忍耐強く、義侠心に富み豪傑肌の人物であったと言う。
f0010195_1574868.jpg

「吹浦エリア」の月光川の河口付近が吹浦で、一番右付近が升川。

19の時に江戸に出るが、その時持参した二十五両(当時は三両もあれば一人一年の生活ができた)は
その道中に豪遊して使い果たし、江戸に着いた時は一文もなかったと言う。
柳生但馬守邸に奉公に入たことをきっかけに、理財家として旗本諸家の財政の立て直しを次々と成功させ
公事師として名を知られるようになり、資産家ともなる。
のち庄内藩酒井家、酒田商人・本間家、そしてこの運動での協力者ともなった矢部定謙の知遇も
得ることとなる。
長男・泰然は長崎に修業に行き、蘭学医となって、のちに開明派老中でもあった堀田正睦の佐倉藩に招かれ
「順天堂」を創設、のちの大学に発展した。

升川集落の入口にある村社三上神社
f0010195_1592148.jpg

こちらにある佐藤藤佐・政養の碑
f0010195_1285326.jpg

世代的には藤佐(安永4年・1775生まれ)が、はるかに政養(文政4年・1821)より年上で
親子以上の年齢差がある。

この駕籠訴成功時の老中への訴訟書(酒井家の善政を訴えた)の中に升川・与兵衛(文襄)の名がある。
その息子・与之助は父の名代として江戸に出府し、直訴の領民にも加わっている。
この当時、二十歳だった青年がのちの佐藤政養である。
(佐藤政養関連記事 その1その2その3その4その5

地元の吹浦駅前に政養の銅像が立っている。
維新後は「鉄道助」として日本の近代化に貢献した。。。
f0010195_150368.jpg

f0010195_1505386.jpg

[PR]
by enokama | 2013-10-15 23:40 | 庄内藩 | Comments(0)