エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

湯田温泉~周布政之助墓所と袖解橋

今回泊まったホテルは着いて早速、仲居さんと歴史トークしたら
やっぱり「歴女」って人はよく来るって言ってまして
浴衣にしても「吉田寅二郎」って紋入りだったので喜んでたら
他にもいろいろとロゴタイプがあるってことで、下のような用紙をいただきました(喜)
f0010195_18492890.jpg

世外(聞多) 誠(久坂) 東行(晋作) 実美・・・あとは有名所です。

サービスにしても干渉しすぎず、程よい対応でこちらも気を使うまでもなく
居心地がよかったのは、さすがに老舗の伝統に裏づけられたものなんだなと思いました。



朝起きて庭を散歩しました。
江戸時代中期からのもので(大正時代に改装部分あり)幕末の志士たちも眺めていたんでしょうね。
f0010195_18564270.jpg

西郷木戸大久保会見所(西郷亭)
f0010195_18573990.jpg


f0010195_1902474.jpg

f0010195_1902790.jpg
f0010195_1911411.jpg


温泉と庭と幕末気分を満喫して、3日目はレンタカーで山口近辺を巡りました。
(レンタカーはホテル迎えありで湯田で借りて、小郡で返すプランができた)

まずは周布政之助の墓所に行きます。
12mって細かいけど、この標識がないとまずわからない。
f0010195_1944442.jpg

顕彰碑
f0010195_195253.jpg

f0010195_195575.jpg

「鳴呼長藩柱石周布政之助君碑」

お墓は裏手で「どこにあるんだろう」って探したんですが
「麻田公輔墓所」ってなってるんですね(改名のきっかけとなった事件→こちら
f0010195_1985426.jpg

9月26日未明。当時、身を寄せていた(軟禁状態だった)湯田の大庄屋・吉富家の裏の畑で自刃した
(切腹ではなく頸動脈を切った)
吉富家の墓の一角にあります。合掌。。。

この前夜には、また湯田では大きな事件がありました(→こちら

袖解橋
f0010195_1995488.jpg

湯田から旧街道沿いに山口方面へ
川は今、流れてないんでわかりにくかった。。。
(案内板)
今から六百年ばかり前、山口で大内氏が栄えていたころ、秋穂街道は秋穂の港から山口に通じる
主要街道でした。この道は別名御上使道(ごじょうしみち)とも呼ばれ、秋穂渡瀬(あいわたせ)をわたって
此処から山口の町に入りました。全国各地から山口に登城した侍たちは、ここまでくると狩衣、直垂の袖を
くくっていた旅装を解いて身づくろいをして山口に入りました。そこでこの橋の名を袖解橋というようになりました。
もうすぐ城下で旅装を解くって言う場所だったんですね。

井上遭難の地碑
f0010195_19105396.jpg

「世外井上馨候遭難之地」
聞いてはいたが、とにかくでかい。
俺は「不死身さ」ってのを見せつけたかったのかな(笑)
所郁太郎のおかげですけどね。。。
場所的に山口の藩庁からの帰りなので、袖解橋の手前で襲撃されたことになります。

赤祢武人の碑は井上の碑からさらに北東へ
ちょっとわかりにくいけど踏切を渡って
f0010195_19315840.jpg

広い川
f0010195_191166.jpg

この川原で処刑されたと言う。
f0010195_19114956.jpg

[PR]
by enokama | 2012-11-02 22:45 | 長州藩 | Comments(0)