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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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長府・万骨塔慰霊祭と晋ちゃんの講演

FACEBOOKに移行する方が周りにも増えたんで、そちらにはこまめに書き込んでるんですが
その分、こちらのブログの更新は開いております。
ただ、しっかりとした調査記録や旅行記などは、これからもこちらに書き込んでいきますんで
よろしくお願いします!
またFACEBOOKでの発信も随時しておりますんで、よろしければそちらの方でも見ていただければ
うれしいです。。。

本題に入ります。。。
先日20~22日にかけて、山口に行ってきました。
目的は長府博物館の特別展(→こちら)と、20・21日に行われる恒例の「全国龍馬ファンの集い」への
参加です。
いろんな方に出会えて、教えていただいたり、新しい発見もあったりして充実した旅行となりました。
とりあえず、早めに報告したい事柄からアップして行きます!



19日夜の夜行バスで小倉まで行きます。
ただ席がエンジンのもろに上だったんで暑くって、着くまでにぐったりしてしまった(泣)
小倉城周辺の写真を撮ってから、宮本武蔵ゆかりの手向山に行き(こちらはまた改めて)
下関駅へ電車移動。
10時前に同行の慎太郎ファンKさんと合流して、タクシーで功山寺まで。
旧山陽道でもある野久留米街道を通ってもらって(沿線にコスモスが咲いてたりして、のどかな感じ→こちら
道なりに功山寺に横付けで到着。

10時半から長府博物館(旧尊攘堂)横の万骨塔慰霊祭に参加。
こちらは尊攘堂と同時に作られた(昭和8年)万骨塔です。
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挨拶をされた長府博物館友の会会長のお話と、ご一緒した寸心さんにいただいた資料によりますと
この尊攘堂の構想は、あの吉田松陰先生からあって、その意思を入江九一に書簡で伝えたのが
この10月20日と言う日。
そして明治維新となり、品川弥次郎が中心となってまず京都に尊攘堂が建てられます
(現在の京都大学構内→こちら
引き続き、山口にも建てる構想もあり、品川の意思を引き継いだ旧長府藩士・桂弥一によって
84歳の高齢となった昭和8年に念願かなって建設されたもの。
また桂の意思により、万骨塔は全国各地から霊石を取り寄せ、東軍西軍問わず明治維新で活躍した
志士たちの名が入れられています。
そして慰霊祭と共に平和祈念祭として毎年10月20日に行われているのです。

主な参列者は、三吉慎蔵子孫の上田市在住・治敬氏。坂本龍馬と翻意にしてた長府藩士・印藤聿(のぶる)の
子孫の豊永氏。長府在住の直木賞作家・古川薫先生。

閉会後、焼香させていただいたんですが、その時に古川先生がぐるっと塔の周りを回られていたんです。
そこで声をかけさせていただいたんですが(もちろん、初めてお話します)
この全国から集められた霊石は「パワーストーン」でもあるんで、回ってみなさい・・・ってことでぐるっと
僕たちも回ってきました。
そして、いろんな名前があるんですよね。

橋本左内と福井
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天誅組三総裁の一人・松本奎堂
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伊牟田尚平と西郷
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長府藩士たちと高杉晋作
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最近、石が置かれた会津・山川健次郎
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新島ジョー
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土佐藩と、暗殺された砲術家の中島名左衛門
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今回は参列される寸心さんにもお聞きしていたし、ちょうど土曜日で龍馬会のイベントもあって
そちらのパンフレットにも、この行事の案内があって行ってきたんですが
見た限りでは龍馬会関係の方はいなかったように見えました(功山寺に着いた時に龍馬装束の人は
いたんだけど・・・)
もっと万骨塔がこの場所にある意味と。この時期に行われる慰霊祭、また尊攘堂の建設の経緯を
多くの方に知っていただきたいものですね。

このあとは檀具川沿いで入ったことのない店だったんですが、いいランチをいただきました。
(結構、長府にもいろいろできてますね)


バスで移動し「龍馬ファンの集い」へ。
1部は宮川氏・織田氏・古城氏の3人の研究者の対談です。
古城さんが司会役で言われてもいましたが、宮川さんと織田さんのバトルって感じが
出てたらもっと盛り上がったんじゃないかな。
(いつものように飲みながらじゃないんで、調子出ないとも言われてましたが 笑)
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あと古城さんを中心に言われていた内容で(メモなんで断片的ですが)
まずは萩本藩ー長府・岩国の不仲、そのこともあって第一次征長の時に長府を小倉が陣営に引き入れる
動きがあったりしたものの(岩国も微妙だったけど)結果は同じ毛利の意識ってので留まったこと。
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岩国藩領の表現ではなくって、正式な「吉川家領」とされています。

龍馬と三吉慎蔵については、あの寺田屋での襲撃時、表だって薩邸に入れない慎蔵に合わせて
龍馬も一緒に寺田屋に入ったのでは(お互いにかばいあう意味)
龍馬から印藤 宛てでの書簡で「三吉は無事である。薩邸に無事入った」と言うことで、慎蔵の長府藩からの
京師視察(主に薩摩の動向を確認すること)の使命の意味を十分、龍馬が理解していたこと。
(今までも何度も書いていますが、よく言われる「龍馬の護衛」役ではないってこと)
土佐商会の馬関商法では長府との契約ってことでの話であり、いろは丸関係でも長府藩から金が出ている等
龍馬と長府の深い結びつきってのが見られたそうです。

2部は自民党総裁の安倍さんの登場(時の人ですが無事来られました)
まずは「晋三は晋作の晋」でもあって、晋作ファンだってつかみを取って
続いて小泉さんと森の比較論を慣れた口調で語られます(笑)
「3500円のカレー」の件も笑い飛ばしてくれました!
龍馬の新政府綱領八策からは、海軍や親兵のって内容もあるんですが
そのあたりから取って現在の「国防論」ってことに、主に話をされてました。
歴史やってたら、そのあたりは当然の話なんですけどね。。。
すらすらと滑舌も絶好調で調子もよさそうで、今度こそは打たれても跳ね返せる人物になったようです。


このあとはせっかくなんで門司に船で渡り、少し散策。
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門司港駅は工事が始まってる
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田野浦にも行ったんですが(攘夷決行の際、対岸の小倉藩の動きが手ぬるいとして長州が朝命として
小倉領を強行占拠して砲台を設けたところ→こちら
暗くなってきて灯りも少ないところだったので(対岸の長府の風景を見たかったわけですがビューポイントも
工場地帯で見つからないし)すぐ引き返して、ぱっと飛び乗ったバスが、門司港に戻らずに違う方向へ・・・
都市高速に乗って、小倉へ直行するって便でした(恐るべし西鉄バス)

小倉まで行って、紫川沿いで夕食を取って、常盤橋のそば(長崎街道の起点)では太鼓の演奏が
行われていました。
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小倉から電車で下関へ10分ちょっと・・・意外に近いんだ。
ホテルの部屋に入って10分も経たないぐらいで眠ってしまいました。。。
by enokama | 2012-10-24 23:24 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)