エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

幕末の長崎

先週末、ここ数年の夏に行くのが恒例になりつつある
大阪龍馬会の「龍馬大学校」に参加してきました。

今回は長崎龍馬会・越前龍馬会の方も、大阪の史跡めぐりも兼ねて泊まりがけで来られていて
僕も土曜の史跡巡り~交流会(淀屋橋泊)日曜の講演会~二次会とフルに参加しまして
濃厚な二日間を過ごさせていただきました。
長崎と福井、それぞれ地元ならではのネタを教えていただいて(やっぱり本で読むだけではわからないこと
がありますしね)勉強になりました!
これも龍馬が繋いだ縁っていうんでしょうね。。。

土曜日の史跡めぐりは長谷さんの案内で、僕も初めてで、まだ行ききれてなかった場所にも行けたので
こちらは改めて記事にしたいと思います。




日曜日は加藤貴行氏(花月史編纂プロジェクトリーダー 現代龍馬学会・長崎龍馬会)の講演で
「龍馬と長崎」と言う演題でした。

高知大学出身で現在の勤め先が、あの長崎丸山「花月」と言うことで、これは調べないと行けないだろうって
(!)
始められて、龍馬研究から長崎の歴史について調べられておられます。
しかし長崎での歴史研究では資料ってのが、原爆の影響もあってやはりなかなかないそうなので
(広島の芸州藩浅野家の研究も資料がなくって、進んでないとも聞いたことがある)苦労もあるそうです。

(かなり幅広いお話でしたので、自分的にツボだった所のメモ書きからの感想を書きます)
「花月」についてはあまりにも有名ですが、坂本龍馬・高杉晋作・五代才助がよく使い
大隈重信や伊藤俊輔、井上聞多もそれぞれ馴染みの店が丸山にあったそうです。
そのなかでも、やはり「花月」は丸山の代表的な看板でした。
中でも「花月」の上得意様だったのが、あの岩崎弥太郎で、よく1回目の長崎勤めでの挫折(って言うか
ロクに仕事せず、遊んでばかりいて首になった話)も有名ですが、その4か月の滞在で18回も通っていた!
のちの長崎赴任時(土佐商会)も通いつめ、そのころあった大火で土佐商会の建屋が燃えた際も
蔵の無事を確認して、翌日に何食わぬ顔で遊郭(新筑後屋)やで朝食を取った記録があるとか。
またその上を行ったのが後藤象二郎で、長崎では接待費だけでも換算すると1億円以上使った記録があり
船舶購入費なども含めると38億と言う途方もない借金を作り、湯水のように使っています。
そして事実上薩摩の保護下にあった(亀山)社中を引き受けた際の隊士らの給与も3両2分だったのが
5両に上がっていて大盤振舞って言うかなんていうか・・・
国元で困難な財政に悩んでいるだろう中だし、そりゃ評判も落ちますよね。
まあ対外的には必要な部分もあったでしょうが。

その(亀山)社中の設立ですが、やはり薩摩の小松の主導であって
メンバー的には高松太郎あたりが中心で、龍馬はあちこち飛び回ってるし「営業部長」的な
存在じゃなかったかと言うことです。
ワイルウエフ号も「小松」個人名義での購入で、思ってた以上に小松の関わりが大きかったんですね。

あと、五代が19歳の時に長崎で子供を作っていた話(!)や
近藤長次郎や佐々木高行のこと、龍馬の隠し子だったかもしれない草野春馬・・・盛りだくさんなお話でした。
また機会ありましたら長崎の幕末史にも、もっと触れてみたいなと思いました!
[PR]
by enokama | 2012-09-04 21:44 | 歴史全般 | Comments(0)