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エノカマの旅の途中

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2012年・第一回適塾見学会~適塾の周辺(南東方向)散策

6月10日の緒方洪庵先生の命日(洪庵忌)に合わせて
この時期には毎年、適塾で特別展示が行われ
最近になって「適塾記念会」会員向けの見学会も行われるようになりました。

今回(6月3日)は阪大の村田路人教授の案内で
以前から適塾で直接、お話を伺う機会があればと(講演は何度か行ってます)思っていまして
非常に楽しみにしてました。
いろいろと疑問点は持っていたんですが、わかりやすくお話・説明いただいて
非常に有意義な時間となりました。

このカテゴリでも書いてますが、来阪された方を適塾周辺を含めて、僕がわかる範囲で案内したりも
度々させていただいてるんですが、さらに深く知ることができましたので
また紹介していければと思ってます。



過書町周辺

適塾のあった当時の過書町(弘化2年・1845に移転)周辺は、商都大坂でも大商人の屋敷が
軒を並べていました。
また一部諸藩の蔵屋敷も点在し、当時は道路を挟んだ北隣に井伊家蔵屋敷もありました。
安政3年(1856)当時の地図で、適塾は「名塩屋熊太郎」屋敷となっています。
摂州名塩は八重夫人の出生地なので、それに因んだものではとのことです。

明治の一時期、設置された慶応義塾・大阪学舎跡(青印)
適塾に近いんですね・・・
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鴻池本家(赤印)
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大坂屈指の豪商だった鴻池の本家です。
建物も戦災を逃れ(このあたりは適塾に代表されるように、比較的残った建物が多かった)
昔ながらの建築が一部残されていましたが、今は完全に取り払われたそうです。

懐徳堂(橙印)
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一旦、明治になって閉鎖後、大正期に懐徳堂が復興されたさい(市民講座的なもの)に
この碑が建てられました。
現在は日本生命の社屋に入り込むように建てられています!

(以下記事の関連→こちら
適塾の西隣にある愛珠幼稚園は第二時大戦当時、大阪でも建物疎開(京都で御池通りや五条通りが
広がったように)が盛んに行われ、昭和20年5月に取り壊しが一旦決まっていたものの
事情で延び延びになり、その建物が8月の大阪大空襲で皮肉にも残ったと言います。
また、江戸時代のこの地には「銅座」がありました。銅は長崎貿易での重要な輸出品で
この役所で取り扱われ、検査がされていました。銅と言えば大坂「住友」の発祥として有名ですね。

その南隣にあった除痘館は嘉永2年(1849)11月、笠原良策・日野鼎哉から分苗を受けて
古手町(今の御堂筋よりも西側で南方向)に設けられ、関西における種痘の拠点となり
安政5年(1858)には官許を受けます。
万延元年(1860)10月に尼ヶ崎町に移り、この地に現在、碑が建てられていますが
施設としては2年ほどで役割を終え、のち幕末動乱の中で野戦病院として利用されました。
by enokama | 2012-06-19 00:10 | 緒方洪庵と適塾 | Comments(0)