エノカマの旅の途中

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歴史人~真説 坂本龍馬

題名は「真説 坂本龍馬」となってますが
取り立てて目新しいことは、なかったです。

元々が新撰組関連の執筆から出てきたようなお抱えライターも多かったので
薩摩の大久保・西郷や岩倉具視、徳川慶喜の真意ってのは、しっかり調べられていないのでしょう。
「薩摩が悪い」「武力討幕派が悪い」と言ったような、一方向からの見方に過ぎないので
従来からの「平和主義者・龍馬」ってイメージで、無難に収められているように思いました。
まあ、そういう書き方しかしようもないかもしれませんが。

(追記→以前の記事
この時もよく似た執筆陣だったようですが、僕自身は褒めていますよね。
今回は、この内容以上の上積みや新たな発見って言うのが感じられないのです。
僕自身の認識もこの時よりも、西郷や大久保あたりの本や書簡を読み漁りましたので
変化しています(慶喜も理解できる部分も出てきたかと・・・)



「薩長同盟」については、中岡慎太郎の行動から見てても
西郷に対面した当初は「長州復権」と言う以前に、まだ「長州を助けてくれ」って言うレベルで
窮地に陥って動きの取れない長州藩士に代わって、彼ら第三者の浪士が当たったってこと。
「薩長同盟」で薩摩・長州で「軍事同盟」での討幕路線になったってことはなく
第二次征長では、あくまで「長州が窮地になったら」ってことで、薩摩も進軍の動きを見せていました。
幕府と戦うってこと(討幕)に決したのは、慶応3年10月 「討幕の密勅」が薩長両藩に出たことで
長州の(慶喜も認めた上での)正式な復権は、同年12月の「王政復古政変」まで待たないといけませんでした。

「船中八策」については前にも書きましたが
あくまで実在するのが、国会図書館と長府博物館にある
龍馬のサイン入り「新政府綱領八義(八策)」なので、特に前者との比較ってのは意味がないように思います。
僕は、ドラマでの「龍馬英雄伝説」を彩る一つのアイテム程度にしか思っていません。


あとは突っ込みどころですが
菊地明氏は、また三吉慎蔵のことを「ボディガード」と強調している点(→関連記事
慎蔵の日記を重要事項として引用してるのに「長府藩から代表して来た」とは決して取らないんですよね。
「いろは丸」の記事は、先日も鞆で展示を見てきたけど、それに沿った結論。
これも見方によって、いろいろ違ってくるのですが・・・

山村竜也は「龍馬暗殺」ただ普通に通説の記録を寄せ集めて書いています。
宮川助五郎のことで、慎太郎が近江屋にやってきたって言うのは
背景から見て(龍馬と宮川の接点はほとんどないはず)その程度のことだけで、のこのこと身の危険も
あるような洛中までやって来たはずがない。まあ慎太郎のことなんて知ってるわけないだろうし。
刺客も「十津川郷士」でなく「松代藩の者」と語った記録もあり、その説を取る場合も多いです。
証言の検証は、こんなの見たら井口さん怒るやろね。ずっと今日に至るまで慰霊もしてきたのに・・・

黒幕説の「土佐藩」では、もう使い古したような説の蒸し返しです。
谷干城の懐古録で
「土佐の者はその時分石川を斬る者はない。みなほとんど有志は一致合体している時であった」
土佐人で石川を斬る者はいないと言う理由だけで、犯人像から土佐を除外している考え方には問題がある。
中岡を斬ろうとする者はいないが、龍馬を亡き者にしようとする者は皆無ではなかったからだ。
とされています・・・
逆説的に言うとずっと半年ほど京都に詰めて、具体的な武力行動も視野に入れ
在京薩摩藩士の伊地知・吉井や、伊東甲子太郎との提携を深めていた、このように在京土佐の一番の実力者
慎太郎を消してまでも、龍馬を消そうとする必要があったのかとも思います。

「大政奉還」が龍馬のアイデアだから、容堂に知られるのが嫌で後藤象二郎が消したってのは
馬鹿馬鹿しいものです。
それをありえない話ではないってする筆者もいかがなものか?
(別ページで、木村武仁さんがはっきりと「後藤はありえない」 と書かれていまして、研究者なら当然の
ことなんだけど・・・)
有識者の間では、その案は常識だと言っていいものだし、西郷に半ばあきれられながらも一兵の備えもせず
賢候の一人・松平春嶽も決断しきれなかった「大政奉還」を土佐藩論に持って行った手腕は第一です。

薩摩はいつもの「平和革命」が邪魔だ。
別に龍馬がいなくても討幕の密勅を以て、薩摩長州(+芸州)挙兵上洛は進んでいたし
土佐に望むものは、中岡・乾経由での同調行動だけのことだ。
本当に「大政奉還」が邪魔なら、後藤を佐幕派の手に見せかけて消した方がいいのと違う?
(大政奉還に否定的なのは佐幕派の方が大きかった)
ちゃんとこの暗殺があってからも、容堂の指示を受けて、この人たちの言う「平和革命」に向けて
西郷さんからも「後藤がうざい」ってぐらいに、彼はがんばっていたんだよ。
それが「龍馬の案だ」「功績を我が物にしたいのだ」レベルの低い文章を書くんじゃねえよ!
本当にこの書き手はなんで、こんな雑誌に執筆できるのか、まったく理解できない。。。
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by enokama | 2012-06-13 21:57 | 土佐藩 | Comments(0)