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エノカマの旅の途中

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BSTBS「ナンバー2」~水野忠邦の天保の改革

先日月曜日、BSTBS「NO2」で水野忠邦が紹介されていました!
この番組制作が「テレビマンユニオン」で(まあTBS直では、よう作れないだろうけど)
NHKの「BS歴史館」にも制作協力で入ってるんで、なんとなく作りや出演者も重なってくる所も
あるように思えます。。。
今日は加来耕三がだったけど、まだしっかり説明されていたとは思います。
おそらく来週は比較的知られた「遠山影元」なので、某Dさんになるのかな?
それにしても回によっては「BS歴史館」よりもマニアックになるのでこの番組も侮れませんね・・・
 



水野忠邦については今回の「庄内本」(→こちら。私の持ち分は絶版になりました、ありがとうございます!)で
天保期の「庄内藩転封阻止運動」について、私が書かせていただいたのですが
従来の庄内関連の資料引用だけでは、なぞるだけに終わってしまうので
藩政初期の酒井家庄内入府時(最上氏の後に入った)の経緯から
天保当時の政治情勢や水野忠邦の改革についても触れさせていただいております。

今回の番組でも元々唐津藩を治めていた忠邦が、むしろ実石が少ない浜松藩への転封を願いでた
所から取り上げられていました!
唐津は地形的なことから「長崎警備」の命があって、譜代藩であっても幕閣には入れないことになっていて
長崎の情勢を知っている忠邦は特に「外交」の面において「国を変えたい」と国政への野心を抱き
幕府老中などの輩出が多く「出世城」と言われた浜松に入ります。
そこで当時はある意味、当然とも言うべき「賄賂」を幕府要人にばらまき、引き続き猟官活動をします。
老中には比較的、五万石程度の譜代藩がなることが多いのですが、その経済力での江戸への活動資金の
捻出にはどこの藩も苦労したと言い、浜田藩では行きづまりを打開するために「抜荷」と呼ばれた
海外との密貿易にまで乗り出した例もありました(この事件は大坂町奉行・矢部定謙によって摘発される)
そのかわり老中といった要職にありつくと、今度は賄賂をもらう側に立つこととなり
それが回り回って、江戸時代の慣習となっていた実情があったのです(清廉と言われた松平定信も当然
無縁ではなかった・・・)

その改革は外交防衛面では高島秋帆、江川英庵、渡辺崋山らの洋学者も登用して
高島の指導の下に近代化を図った軍事演習を行ったり、江川の設計による「品川台場」計画の図面は
(阿部正弘の時代に「ペリー来航」に伴い実現する)天保の時代にすでに作られていたんですね。
これは知らなかったです・・・
幕府役人には「汚職の撲滅」から模範を見せ、庶民には「華美・贅沢の禁止」で経済緊縮政策を取りますが
このあたりは腹心・鳥居耀蔵の悪評があり、景気の冷え込みも出て不評を買います。
物価統制(値上げを許さない)にも厳しく目を向けますが、そこは考えるもんです・・・
ある豆腐屋がいて「値上げなしではやっていけん」と言う事例が当然いくつもあったわけですが
どうしたかと言うと「豆腐を小さく」することで、乗り切ろうとするんですよね。
でも、そういった細かいあたりにも鳥居の監視は光っていたと言います。。。

一方、大都市後背地には旗本らの領地が点在していたのですが、その立地条件は当時もおいしい
収入となっていたのですが(大都市周辺地を旗本領にしたのは本来、防備上の理由もあった)
こちらは「天領」として幕府直轄とする「上地令」を出すのです。
しかし「その資金で海防計画を立てるので国のためだと思ってくれ」という理想論は
理解されずに官僚たちの支持も失ってしまいます。
そこまでの危機感は当時、彼らにはまだわかっていなかったし「既得権益」を侵される事態には
断固反対ってことになったんですよね。

この改革、今回の番組時間ではやはり少ない感じがするのですが(来週の遠山でも補足はされるでしょうが)
加来さんも言ってましたが「理想はあっても先立つ物がなかった」ってこともあって
むしろ田沼の時代の方が抜本的改革を行えるチャンスもあったと・・・
いろいろと評価は分れますけど、江戸時代では田沼が一番「経済をわかっていた」と僕は思っています。
まあ、それらの時代に「天災」も続発するし、なかなか変えられない事情もあったんですよね。

天保時代はそろそろ口を出し始める水戸の徳川斉昭、忠邦の部下には川路聖謨・阿部正弘と言った
幕末の主要人物も出てくる頃です・・・
このあたりの時代を読むことで、次の阿部の時代や斉昭の言動の意味がわかってくることも
あるかなと思っています!
by enokama | 2011-11-26 23:25 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)