中村彰彦~天保暴れ奉行・矢部定謙(天保の改革)
うちの今朝も尋常じゃないなって感じてたら、ー8℃でした(驚)
歴史書新刊本のチェックは日々してるんですが
赤松小三郎が出てたり(幕府海軍の大三郎ではなく、中村半次郎に暗殺された学者。なぜか題名が「龍馬の影」になってますけど 苦笑)
まあ書籍貧乏もしてますんで、全部が全部も買えないんですけどね(泣笑)
全体的には、さすがに龍馬本から、今の大河ドラマ「江」関連に切り替わって行ってますね。
でも、どっちの本にも絡んでいる作家さんもおられます・・・
まあ知った作家さんでも幕末(例えば龍馬)と戦国(例えば信長)と両方調べてる方も多いし
ずっと歴史はつながっていく事柄もあるんでわかる面もあるんですが
中には、ただ流行に便乗するだけって感じのひどいものも正直あります。
もう改めては言わないけど「浅く薄く」で本当に理解できるのかな?
その中でこんなのも
→土佐と会津をふくめた新生日本を模索し奔走する維新の革命児は、いつしか武力討幕を目論む
薩摩や長州の許されざる存在となった
信者の方も多いようなんで名は出しませんけど、本来は幕府方(ちょっと言い方は変だけど)の
作家だと思ったんですが、まさかの龍馬本でありました。
それで内容はこんなのなんですが、強引な結論の持って行き方や、引用も適当なようで
説得力も感じませんでした。
このことは僕もさんざん書いてきたことなんで、改めて言いませんが
原典や日記・手紙で地道に調べている研究家の方から見たら、本当に腹が立つ事だと思います。
それに根拠もないのに「本当の真実はこうだ」って内容で講演したりしてるとか(苦笑)
そして新年早々「江」も出版されてました・・・改めてびっくりです!
歴史作家・中村彰彦氏も、去年は某週刊誌で「反薩・反長」で思いっきり暴れておられましたが
(もちろん龍馬は薩摩藩が黒幕で殺したと言われます。そのつながりで実行犯はなぜか見廻組)
対談記事なんて見ても、一方的にしゃべる押しの強い方のようです。
会えたとしたなら、一発かましてやりたい思いもあるんですが
僕も経験あるけど、この手の方は癖もあるし、頑とした思いもあるんで
議論してるようで一方的に押されてしまって、負かされてしまうんですよ。。。
一方の前記のような薄い作家は、突っ込まれるとするっと逃げる手を、ちゃんと心得ておられます。
(これも経験済です。まあ、ある程度の図太い面がないと作家もできないわな)
ただ、一つ一つの著書での細かい事項などの調査は奥深くって感心させられるし、
どんどん切り込む所や埋もれた人物を発掘する点は、その性格がいい方に出てるんでしょうね。
切り口はともかく、読み物としてはまず外れがない。
今日、紹介する本も「さすがにもう書いていたんだ」って改めて、感心させられました!
堺町奉行(天領で遠国奉行と呼ばれた)旗本の倅に生まれた矢部定謙(さだのり)は
正義感の強い能吏として、火付盗賊改め・大坂西町奉行・勘定奉行・江戸南町奉行と要職を歴任した。
大坂西町奉行時代(江戸の南北に対して、大坂は東西なのだ)には、陽明学者・大塩平八郎(すでに与力を退任して塾を開いていた)翻意となり兄事し、何かと教えを仰ぎ
天保の大飢饉による米価を始めとする物価上昇に対しては、諸藩大坂蔵屋敷からの米放出や各地への廻米要請、米問屋への米価抑制に尽力し市民から大いに徳とされ善政をひいたとされる。
浜田藩が行った海外密貿易「竹島事件」の摘発(大坂奉行の管轄でもあった)などの功績も認められ、江戸に戻り幕府勘定奉行に栄転する。
しかしながら、その後に大坂東町奉行についた、時の権力者で老中・水野忠邦の実弟だった跡部良弼は飢饉に対して有効な手当てを打たず、幕府の江戸での物価安定を優先した方針もあり
大塩はこの窮状に対し、幕府に救済策を何度も講ずるが受け入れられずにとうとう武力決起を決断する。
乱はほどなく鎮圧、のちに大塩は自害して果てるが、同情も寄せた矢部は大塩の行動は止むに已まれぬ行動だったと水野に抗議、実弟・跡部の失政も指摘する剛直さも
見せたが当然疎まれ、のちに左遷されることとなる。
跡部は失政を咎められることなく、鎮圧の褒賞を受けた上でのちの兄の失脚後にも命脈を保ち、幕閣の要職を歴任している。
水野忠邦の「天保の改革」
「史上最強の将軍」と言われた十一代将軍・家斉の五十年に及ぶ貨幣改鋳を伴った「中興」の時代は商業が発達し
江戸の産業も「上方の下がりもの」から、関東で自給されるようにもなっていた。
しかしながら長期政権には政治腐敗・堕落も伴い、その家斉死後に老中首座となっていた忠邦は次々と改革の手を打って人材も一新した。
水野は不正の追放にも努めていて、矢部が賄賂や袖の下にも無縁なことも理由だった。
この勘定奉行~南町奉行の時代、江戸での米価の安定・公正な裁きでその名は通り
北町奉行の遠山も「今大岡」と呼ばれ、名奉行と喝采された。
このコンビであったら、江戸での民心もつかめ、改革もうまく行っていたかもしれない。
しかし水野の改革は多岐に及び、それに伴い犠牲を強いることも多かった。
大奥にメスを入れ、幕臣には倹約を、民衆には奢侈を禁じ、歌舞伎・芝居の灯までも止んだ。
外国に対しては、高島秋帆・江川英庵・渡辺崋山と言った洋学者も登用して海防策も講じるが保守派の鳥居耀蔵に疎まれ彼らの弾圧に踏み切り、秋帆は逮捕され不遇の期間を過ごし、崋山は自害に追い込まれた。
「三方領地替え」(→こちら)で庄内藩は移封反対運動を、農民や地主層(実質は豪商本間家とのつながり)から起こすことにより
外様を含む諸藩や幕臣の一部の賛同も得て、領地安堵を勝ち取った画期的な出来事である。
この反対運動の盛り上がりに苦慮した水野から、奉行だった矢野に(天保十二年六月二十九日)佐藤への取り調べを指示されることとなる。
しかしすでに翻意だった矢部に対し、当時六十七歳だった佐藤は水野による幕政改革の批判
しかし今度こそは、ただでは済まされなかった。。。
矢部は水野と鳥居に無理やりな罪を押し付けられ家は改易、その身は桑名藩へ送られ座敷牢に謹慎の身となる。
矢部はその地で抗議の断食で息絶えた(とされるが実際はガンによる死去である)
細かい描写も非常に読み応えあります。
これだけ筋を通した人物、ぜひ知ってもらいたいです!
中村彰彦さんこんな本も出してたんやね。この人はどっちか言うたら佐幕派の作家ですが嫌いではない。
誰もが見逃してしまう事項やマイナーで人気のない人物に着目してる目線が好きですね。彼の新撰組関係の本を何冊か持ってますがまた引っ張り出して読んでみようかな。
ただこの人、某会津娘によると酒が入ると・・・らしいですわ(笑)
矢部自体があまり知られてないですからね。
おそらく遠山絡みの脇で書かれた書籍が多かったんだろうと思います。
文中にあるように、僕は庄内との絡みで調べだしたんですが
中村氏がすでに書いていたのは、ある意味さすがだなと思いました。。。
本文、追記・訂正をしてます!