2010年 12月 04日
中岡慎太郎と相撲
新幹線・青森開通のテレビが朝からやってますね~
いつも最初は祝福ムードなんだけど、もう日本の成長が望めない中で
今後どうなるんでしょう・・・
航空会社もまた九州に新幹線延びたりするけど、もっと苦境になるでしょう。
人口が増えることもないし、結局はパイの奪い合いだけですからね・・・
その反面で経済評論家なんて、今の円高や金融基調の中で
貿易緩和にも則した政策で、物作りや農業は海外に持っていって
思い切った技術立国を目指せって言う人いますけども
その立国まで何年かかるかわからないけど、地方はそれまでに潰れてしまいますよ。
もう農業なんて儲け出ないし、地方の生産拠点も海外シフトでどんどんなくなって行ってます。
そしたら観光でってなるけど、国内じゃ金回ってないしもう期待などできません。
(まあ海外からの旅行客ってなるけど、これも円高でどうだか?)
もう道や新幹線をどんどん作るって時代は、確実に終わるでしょうね。。。
地方も昔は適度に栄えてたんですけどね。
炭鉱があった所なんて、今は「なんでこんな山奥に」って所にすごい庭園があったりする。
まあ、今の政治家は東京さえ栄えてたらいいと思ってるんでしょうね・・・
だから領土にも関心ないんだ。
ここから本題って言うか小ネタですけど
終わった大河で、唐突に(!)上川さんの中岡慎太郎が相撲を取ってたシーンが
ありましたけど、意味がわからないって人も多かったかもしれません。
なぜかって言うと「慎太郎が相撲好き」だったからです。
(この点だけは、慎太郎のリサーチをしていたスタッフに褒めてつかあす 笑)
故国の同志に薩摩の西郷さんに対面した様子(→こちら)
を送ったものがあるんですが、その風貌を伝えたものとして
「後免の要石に似て」と言う表現があります。
要石は当時、土佐にいた相撲取りってことですんで、わかりやすいよね!
また西郷さんとの談話で
「兵を養うに相撲を学ばしむ。勇を養うに似たり。如何」と慎太郎が聞くと
「然り。林子平士風を興すの説に、撃剣を三年学ばしむるよりは、相撲一年勝れりと言う」
と西郷さんは答えたそうです。
そういえば、長州の伊藤俊輔が「力士隊」って率いてたよな…
動けるのかって疑問もわくけど、剣よりも相撲の方が修養にはよかったと思われている面も
あったんでしょうね。奥も深そうです!
ちなみにのちに参議となった西郷さんと板垣退助は、ろくに会議には口も出さず
相撲の話ばかりしていたとも伝わります。
土佐の馬廻で大身だった退助を、強硬な討幕派に引きずり込んだのは慎太郎であったと言うのは
知られた話ですが、彼の死後に土佐が辛うじて「薩長土」と言われるようになったのは
そのつながりと、さらに慎太郎が西郷に紹介したとの縁があってのこと。
「慎太郎が説くところ、皆承服して戻ってくる」と、陸援隊出身の田中光顕は伝えますが
その交渉術はガンとまっすぐ当たるだけでもなく、こう言った趣味などの柔らかい話も
当然持ち合わせてたろうし、今の営業マンの方にも通じる話でしょうね。
板垣は明治時代を代表する相撲ファンとして有名で、実際に頻繁に土俵際で見物し
評論等も残っています。。。
彼らには、こういう趣味のつながりもあったのです!
いつも最初は祝福ムードなんだけど、もう日本の成長が望めない中で
今後どうなるんでしょう・・・
航空会社もまた九州に新幹線延びたりするけど、もっと苦境になるでしょう。
人口が増えることもないし、結局はパイの奪い合いだけですからね・・・
その反面で経済評論家なんて、今の円高や金融基調の中で
貿易緩和にも則した政策で、物作りや農業は海外に持っていって
思い切った技術立国を目指せって言う人いますけども
その立国まで何年かかるかわからないけど、地方はそれまでに潰れてしまいますよ。
もう農業なんて儲け出ないし、地方の生産拠点も海外シフトでどんどんなくなって行ってます。
そしたら観光でってなるけど、国内じゃ金回ってないしもう期待などできません。
(まあ海外からの旅行客ってなるけど、これも円高でどうだか?)
もう道や新幹線をどんどん作るって時代は、確実に終わるでしょうね。。。
地方も昔は適度に栄えてたんですけどね。
炭鉱があった所なんて、今は「なんでこんな山奥に」って所にすごい庭園があったりする。
まあ、今の政治家は東京さえ栄えてたらいいと思ってるんでしょうね・・・
だから領土にも関心ないんだ。
ここから本題って言うか小ネタですけど
終わった大河で、唐突に(!)上川さんの中岡慎太郎が相撲を取ってたシーンが
ありましたけど、意味がわからないって人も多かったかもしれません。
なぜかって言うと「慎太郎が相撲好き」だったからです。
(この点だけは、慎太郎のリサーチをしていたスタッフに褒めてつかあす 笑)
故国の同志に薩摩の西郷さんに対面した様子(→こちら)
を送ったものがあるんですが、その風貌を伝えたものとして
「後免の要石に似て」と言う表現があります。
要石は当時、土佐にいた相撲取りってことですんで、わかりやすいよね!
また西郷さんとの談話で
「兵を養うに相撲を学ばしむ。勇を養うに似たり。如何」と慎太郎が聞くと
「然り。林子平士風を興すの説に、撃剣を三年学ばしむるよりは、相撲一年勝れりと言う」
と西郷さんは答えたそうです。
そういえば、長州の伊藤俊輔が「力士隊」って率いてたよな…
動けるのかって疑問もわくけど、剣よりも相撲の方が修養にはよかったと思われている面も
あったんでしょうね。奥も深そうです!
ちなみにのちに参議となった西郷さんと板垣退助は、ろくに会議には口も出さず
相撲の話ばかりしていたとも伝わります。
土佐の馬廻で大身だった退助を、強硬な討幕派に引きずり込んだのは慎太郎であったと言うのは
知られた話ですが、彼の死後に土佐が辛うじて「薩長土」と言われるようになったのは
そのつながりと、さらに慎太郎が西郷に紹介したとの縁があってのこと。
「慎太郎が説くところ、皆承服して戻ってくる」と、陸援隊出身の田中光顕は伝えますが
その交渉術はガンとまっすぐ当たるだけでもなく、こう言った趣味などの柔らかい話も
当然持ち合わせてたろうし、今の営業マンの方にも通じる話でしょうね。
板垣は明治時代を代表する相撲ファンとして有名で、実際に頻繁に土俵際で見物し
評論等も残っています。。。
彼らには、こういう趣味のつながりもあったのです!
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by enokama
| 2010-12-04 09:15
| 中岡慎太郎関連
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