中岡慎太郎と相撲
いつも最初は祝福ムードなんだけど、もう日本の成長が望めない中で
今後どうなるんでしょう・・・
航空会社もまた九州に新幹線延びたりするけど、もっと苦境になるでしょう。
人口が増えることもないし、結局はパイの奪い合いだけですからね・・・
その反面で経済評論家なんて、今の円高や金融基調の中で
貿易緩和にも則した政策で、物作りや農業は海外に持っていって
思い切った技術立国を目指せって言う人いますけども
その立国まで何年かかるかわからないけど、地方はそれまでに潰れてしまいますよ。
もう農業なんて儲け出ないし、地方の生産拠点も海外シフトでどんどんなくなって行ってます。
そしたら観光でってなるけど、国内じゃ金回ってないしもう期待などできません。
(まあ海外からの旅行客ってなるけど、これも円高でどうだか?)
もう道や新幹線をどんどん作るって時代は、確実に終わるでしょうね。。。
地方も昔は適度に栄えてたんですけどね。
炭鉱があった所なんて、今は「なんでこんな山奥に」って所にすごい庭園があったりする。
まあ、今の政治家は東京さえ栄えてたらいいと思ってるんでしょうね・・・
だから領土にも関心ないんだ。
ここから本題って言うか小ネタですけど
終わった大河で、唐突に(!)上川さんの中岡慎太郎が相撲を取ってたシーンが
ありましたけど、意味がわからないって人も多かったかもしれません。
なぜかって言うと「慎太郎が相撲好き」だったからです。
(この点だけは、慎太郎のリサーチをしていたスタッフに褒めてつかあす 笑)
故国の同志に薩摩の西郷さんに対面した様子(→こちら)
を送ったものがあるんですが、その風貌を伝えたものとして
「後免の要石に似て」と言う表現があります。
要石は当時、土佐にいた相撲取りってことですんで、わかりやすいよね!
また西郷さんとの談話で
「兵を養うに相撲を学ばしむ。勇を養うに似たり。如何」と慎太郎が聞くと
「然り。林子平士風を興すの説に、撃剣を三年学ばしむるよりは、相撲一年勝れりと言う」
と西郷さんは答えたそうです。
そういえば、長州の伊藤俊輔が「力士隊」って率いてたよな…
動けるのかって疑問もわくけど、剣よりも相撲の方が修養にはよかったと思われている面も
あったんでしょうね。奥も深そうです!
ちなみにのちに参議となった西郷さんと板垣退助は、ろくに会議には口も出さず
相撲の話ばかりしていたとも伝わります。
土佐の馬廻で大身だった退助を、強硬な討幕派に引きずり込んだのは慎太郎であったと言うのは
知られた話ですが、彼の死後に土佐が辛うじて「薩長土」と言われるようになったのは
そのつながりと、さらに慎太郎が西郷に紹介したとの縁があってのこと。
「慎太郎が説くところ、皆承服して戻ってくる」と、陸援隊出身の田中光顕は伝えますが
その交渉術はガンとまっすぐ当たるだけでもなく、こう言った趣味などの柔らかい話も
当然持ち合わせてたろうし、今の営業マンの方にも通じる話でしょうね。
板垣は明治時代を代表する相撲ファンとして有名で、実際に頻繁に土俵際で見物し
評論等も残っています。。。
彼らには、こういう趣味のつながりもあったのです!