エノカマの旅の途中

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庄内藩を知る参考文献 その4

今回、お借りした本は
・森 藤右衛門…佐藤治助
(板垣退助や河野広中と並ぶ庄内を代表する自由民権家)
・庄内転封一揆乃解剖…黒田伝四郎
(いわゆる天保義民一揆の従来の定説を覆す解説本)
そして、古本屋で買い求めた
・ワッパ一揆…佐藤治助
(ワッパ騒動を農民の目から見た小説)

著者は学校教諭や共産党員の人で
今の学校の運動会とか、順位付けない所もあるって言うじゃないですか。
「平等」とか言ってね…
でも社会出たら今は「評価」「競争」で決まって来る時代。
そら中韓始め、アジア諸国はほんと厳しい競争で子供は育ってくるから
もう負け始めてるんですよ…
それで大阪・京都の繁華街とか教職員OBとかよく演説したり、行進してますわ…
「平和」「戦争の反省」
そして「大企業は利益を労働者に還元しろ」ってよく言ってます。
まあ、それをやろうと求められると、仕事を海外に持って行ってしまうのは目に見えてるんですね。
コストダウンで少しでも安くしないと国際競争力は持てないし
今、国内でもデフレで「安けりゃいい」って時代ですよ。
人件費を上げますから、価格に転嫁するとは到底無理…
普通に製造等の仕事をしていたら、あんな演説は「?」で理解不能なんだけど
まったく違った職種だから、理想を求めることは言えるけど現実はわからないんだろうね。

それに民主党の総裁選挙があったじゃないですか。
マスコミのやったことは「小沢叩き」だし、鈴木宗男さんもドサクサで結局わけのわからんような
罪状で刑が確定してしまった。
それで菅さんに決まったら 家の固定電話に世論調査をして「支持率アップしました」でチャンチャン…
「円高」の介入は外国に文句言われようが国益考えたら、ドンドンやるべきだよね。
ほんまに、これで僕のボーナスもマジで変わってくるんですよ。
利益が全然違ってくるもの…
この問題の方が重要だし、しっかり検証できてるのだろうか?
まあマスコミの人も現実の社会はわかってないし、本当の危機感はわからないんだろうね・・・

話は少し飛んでしまいましたが、今の戦後民主主義が一番ってことで思っておられるのでしょう。
だから江戸時代は高年貢の封建制度の圧政だし、明治になってからの戦争も
すべて「侵略」の認識であり、明治維新も無理やり武力で制圧したことなんでしょう。
それは僕の受けた教育でもありますが。
しかし、織田信長の「士農分離」は身分差を付けるためじゃなくって合理的な理由を持った物だし
江戸時代もそんな苛酷な従属制度で260年も続きますか。
庶民の識字率は世界トップレベルだったし、伝統的な祭り・行事の伝承
村では「講」と言う物があって、みんなでお金を積み立てて交代でお伊勢参りに行ったり
夢を持った若者は江戸へ出て、成功した者は銀座や日本橋に店を持つこともできた。
封建制度と言っても抜け道があって、お金があれば没落した武士の株も買えたし
技術や才覚を持った者は苗字帯刀も許された。
人間らしい生活はできていたのです。
僕もいろんな「藩史」も見てきましたが、庄内はよく治められていた方だと思います。

今は年間3万人も自殺者が出る時代です。
それでも今の時代がいいと言えるのでしょうか?
今まで書いてきた庄内とは違った見方でまとめてみます!



まず遡って「天保一揆」は(→その3)でごらんください。
三者の利害が絡んだ一面もありました。
そして、戊辰戦争の庄内降伏後(→関連記事)の薩摩との関わりですが
自らの保身のためだけに手段を選ばず、西郷隆盛に師事したとありました。
菅実秀あたりの命をすくうために、戦死した石原倉右衛門を責任者として届けたことに
関しては「変わり身」を批判されています(←これこそ書き手の解釈にすぎない)
しかし、西郷のこの手の駆け引きは特徴的で(一旦追い詰めても、のちに救う)
武士道にも訴えるものであり、のちほどの「西郷南洲翁遺訓」の編纂からしても
純粋な気持ちはあったと思います。

維新後の「居なり」との引き換えの70万両の献金も(当初は50万で考えていたが増やされた)
「金で解決する」と庄内藩(もちろん本間家の財力をバックに)側から新政府に訴えたとされています。
このあたり大村益次郎あたりが、お金で解決しようとしたとされる「藩側」の史料とは違ってきます!
そして問題は松ヶ岡の開墾です(→関連記事
これは士族救済策とされ、藩側に立った史料では刀を鍬・鎌に持ち替えて
不慣れな農作業に勤しむ士族たちに、感動した農民たちが自主的に彼らを手伝ったとありますが
現実は領民を下働きとして使役した事実もありました。
そして元来、江戸などの浪人で組織された新徴組の面々は帰国が許されず
望まない作業に脱走や惨殺・切腹と言った事実もありました。
以前も書きましたが庄内の菅実秀は「第二の維新」が起こるとの推測があり
士族の温存を図り、薩摩の西郷との連携を望んだ面があったとの話もあります。。。

松平親懐・菅実秀の2トップは、幕末に大山庄太夫(→関連記事)らの「公武合体派」の弾圧を行い
戊辰戦争を戦い、結果的に敗北(勝負には勝っていたが)した責任はあったはずですが
交代することなく、庄内・酒井家はそのまま明治になっても同じ政治体制となった
異例の事態となっていました。
もう「ご維新」と言うことで、今までの体制を改めた外部の藩での情報や改革も漏れ伝わり
この体制に批判的な士族も現れています。
そして決定的な出来事は、明治五年に「税金は米でなく、金納でもよい」とした政府の通達を
農民には知らせず、年貢米を相変わらず「物納」とし、そのころ高騰した米価によって
多大な利益が出たが、結果は藩だけが潤うこととなり、その動きにはとうとう農民の反発が起こります。
そして取られすぎた税金がワッパ(弁当箱)に入って戻ってくるとして
起こした動きが「ワッパ騒動」
藩は松ヶ岡の士族でこれを鎮圧に当たります。
しかしだんだん司法制度も整備されるころで、農民たちに反対派の士族も加わったことで
組織だった活動となり裁判に持ち込まれます。
ここへ乗り込んだのが反骨の裁判官で、江藤新平の薫陶も受けた児島惟謙。
裁きは(鶴ヶ岡裁判)領民の勝訴となるのです。

この勝利を勝ち取った勢力は「自由民権運動」となり
板垣退助もこの地を訪れ、東北の一大活動拠点となります。
一方、旧士族(御家禄派)は銀行や農業倉庫の経営と言った経済活動
また本間家は引き続き大地主として、庄内で大きな勢力を誇りました。
その対立は第二次大戦まで続き、書かれた史料も「御家禄派」は酒井家の善政を称える面が多いのに対し
「民権派(農民運動・市民運動派)」からはその裏面を描いた史料が出されました。
だから同じ出来事でもまったく違った評価がなされていて
真実と言うのも十分、吟味されなければなりません。。。
他の藩でもその傾向は見られるし、人物でも大久保利通のように評価が二分されることもあります。
僕としてはできるだけ中立に調べられたらと思ってますが
好き嫌いは誰しもあるし(苦笑)ほんと課題です!

それでは、また改めて「ワッパ騒動」や児島惟謙を中心に庄内の調査も続けて行きます。。。
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Commented by ノブ at 2010-09-23 02:39 x
本当に、貴方のおっしゃるとおりです。
今の世の中は、衆愚社会に陥っているのですね。これは、ある意味では、一部は、元禄以後の江戸時代に、似てきているのですが。ただ、江戸時代よりも、今の方が、流れが速いし、目に見えた、身分などの差別がなく、厄介なじだいなのです。敵が見えにくい。
 江戸時代は、幕末にみられるように、目に見えた抑圧があったので、民衆のエネルギーの集中もあった。でも、今は、それが、すぐに霧散する。
 ただ、歴史は繰り返すで、イギリスの没落など、日本も衰退の国、これを止めるのは、なかなか大変。
 戦前の軍部などの動きを止められなかったのと一緒ですかね。流れがある。
 ですから、日本も、衆愚社会が行きつくところまでいかないと駄目かも。第二次大戦の敗戦時のように。
Commented by ノブ at 2010-09-23 17:17 x
 前の貴方のコメント、見ていなくて。ブログのURLを載せました。
 最近、ブログを始めて、遊びで、書いてます。友人などにも内緒でやっているので、だれも、見に来ませんが。笑い。私の、推理帳でして。
 ここの、皆さんにも、お披露目しようかな。
 
Commented by enokama at 2010-09-26 18:25
>ノブさん
そうですね、何か昔を非難している内容の本よりも
そういった事柄で、今の時代が成り立ったと言う
ことを知るのが大事だと思います!

もう日本は一流国ぶることなく、今の実力知ることです。
悲しいけど、それが現実…
by enokama | 2010-09-21 23:26 | 庄内藩 | Comments(3)