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エノカマの旅の途中

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近江ツアー~安土城跡を登る

今回の行程はこちら

湖西から琵琶湖大橋を渡って、湖東に出ます!
僕自身、それこそ前に安土城跡に行って以来7年振りぐらいで
その時にもあったかもしれないけど、車線に「琵琶湖周航」の歌の音符が掘られていて
車が走ると音を奏でる仕掛けになっていて、ちょっとびっくりしました!

橋を渡って湖岸道路を通り、安土城跡へは坂本から40分ぐらいで、着いたのが4時過ぎ。
実は前行った時は、ほんと城跡だけで柵もなんにもなく自由に出入りすることができた。
しかし今は入山(?)料を取られて、時間制限もあるらしい。。。
それと今、安土町は隣の近江八幡市と合併したばかりで、町のHPも訳わかんなくなってるし(どこで聞けば?)
いつまで開いているのかも、資料がまちまちでわからない。
取り合えず、5時に閉まるのを想定して道順的には近江八幡を先に行きたかったけど
安土に行ってみた。
ここの合併もいろいろ問題が起きて、ひと悶着あったらしい・・・
やっぱり安土と言う地名に誇りもあるだろうし、吸収されるような感情もあると思う。
僕の住んでいるところもかなり合併を繰り返してるけど正直、行政サービスは低下するし
例えば広報紙も一本化されるし、取り残されたような感じがするんやね。
ちなみにこの周りは虫食いみたいに合併していて、永源寺も八日市も能登川もみんな「東近江市」
それに方向看板もみんな律儀に、一つ一つ「東近江」に直してある。
俺が行きたいのは能登川だ、八日市だって言っても「東近江」としか書かないから、わからんの。
それに単純な国名だし、合併でひらがなにするところもあって馬鹿にしてるように思える。
伝統ある地名から学ぶって言う教育もあるでしょうに・・・
こんなことマスコミも新聞も、今や御用聞きになってるから(批判は世論調査の数字でごまかす)
書かないことだろうけど、おかしいよね。




駐車場は相変わらず砂利の置きっ放しの形だったけど
駐車料金を取られたのはまさかで、びっくりした(苦笑)
入場口で入山料は一人500円也(山自体は總見寺の所有でパンフも「總見寺」発行となっていました)
そして時間は5時までに降りてきてほしいとのことで(夏季は6時までの時もあるとのこと)
前だったら、ゆっくり6時すぎぐらいまでいられたんだけど、行かれる方は時間に注意してほしいです!

そして急な大手道。
左右には羽柴秀吉や前田利家の屋敷跡があったと伝わる。
城は天正4年(1576)から築城に取り掛かり、3年後の天正7年(1579)天守の完成を見る。
高さ33メートルの例を見ない高層建築で5層7重の壮大なものであった。。。
(信長が天守に自ら住んでいたのは、よく知られた話)
その苦難は、映画「火天の城」でも紹介されている。
坂本の「穴太衆」の活躍もあった。
しかし「本能寺の変」で信長が討たれ、その混乱の中で一族によって火がかけられたと言う。
わずか3年でその例を見ないスケールの城は消滅し、幻となった・・・
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本丸のちょいと下の辺りに森蘭丸(乱丸)の住まいもあったんだ(あくまで「伝承」のよう)
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石仏も遠慮なく資材として利用
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天守跡(実際はもっと大きかったそう)ここまで20~25分かかる
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山上からの景色
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琵琶湖側。
ちょうど田んぼに水が張られているんで、往時の景色のようだ。
(当時は三方が水辺・琵琶湖の内湖に面していた)
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帰り道は總見寺に寄る順路になっている(前はなかったと思う。発掘が進んだから?)
總見寺は安土築城の際、信長の自らの菩提寺として創建。
安土城炎上の際も焼け残った(本堂は安政期に火災消失)
仁王門と三重塔は甲賀から移築された(1400年代の建築)ものが現存している
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降りたら5時を15分ほど回っていて、待ちかねたように係の方が帰り支度をしてました・・・


このあと、近江八幡へ。
駐車場も施設も完全に閉まっていました。。。
せっかくなんで、時代劇のロケによく使われる「八幡堀」に車を直接横付けして散策してきました。。。

今日の宿泊は彦根で。
ホテルはお城の真横で、絶好のロケーションでした!
by enokama | 2010-05-21 23:22 | 近江の史蹟 | Comments(0)