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エノカマの旅の途中

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北川村の方と京都の中岡慎太郎関連の史跡を歩く

京都・霊山の墓前祭の翌日、16日は「中岡慎太郎先生顕彰会」の方にお誘いをいただいて
バスで来られている北川村を中心とする参加者の方と、慎太郎のゆかりの地を訪ねてきました。


8時半に京都駅前を出発、堀川通を上り北山通を超え、国際会館の奥のトンネルをくぐって
岩倉へ参ります。ここは慎太郎とゆかりの深い岩倉具視が幽棲していた所。
実相院前には9時15分ごろに到着。。。
こういったバスで行ったのは初めてなんですが、同じ京都市内でもやはりこれだけの距離感が
あるんですね。
歩くしかなかった時代だと、やはり岩倉具視がどれだけの条件の中で、約5年幽棲していたのかが
偲ばれます。こう言った地でも危険人物とされ襲撃されたこともある一方、夜な夜な人目をさけて
彼に接触した人物も多かったわけです。

実相院の紅葉はまだ早い感じで「床みどり」でした。
展示は600年余りの資料が残されているという「実相院日記」の今回は室町時代編でした。
いつも思うけど、ほんときれいな状態で残されているんですね!
画像は以前(→こちら)の物をごらんください!



1時間弱ほど滞在してバスで移動、河原町あたりの幕末史跡めぐりをします。
バスは幅の広い御池通りの南側(西行き・京都オークラホテルの向かいあたり)で降りて
河原町通りや高瀬川沿いを歩いて、下がって行きます。


池田屋の前を通って、かつて海援隊の京都本部があった酢屋へ(→HP)
創業280年で場所を変えず、商売替え(材木商)もされていないそうです。
こちらに坂本龍馬らが滞在した理由は、東海道の終点だった三条大橋が目と鼻の先の上に
酢屋の前は高瀬川の舟入となっていて、水運にも恵まれていたからだそうです。
幕末当時のままという建物は全体的な改装は入っているものの、2階にあるしっかりとした木造の梁
は往時を偲ぶものであります。

1階が木をつかった製品のギャラリーとなっていて、2階に龍馬ら海援隊関連の資料が展示されています。
それらの「海援隊日誌」は昭和になってから、屋根裏から出てきたという貴重な資料で
今回は龍馬・慎太郎の暗殺前後の記述が、生々しく書いてある部分が展示されてありました。
暗殺の状況、慎太郎の墓標を陸援隊から海援隊に依頼したことや
のちの海陸両援隊士による復仇「天満屋事件」の状況まで事細かに書かれていました。
昭和になってからの発見で、そのころまで90歳を超えて長寿を保ち存命していた元陸援隊幹部・
田中光顕はそれを見て、はらはらと涙を流し「涙紺帖」となずけました。

これらの説明は女将さんが、じっくりとしてくださいました。
何度か行事等で話されているのは聞いたことがあるのですが、これだけ1時間近くじっくりと
今回は慎太郎を多目でしたが、とても詳しくわかりました。
ほんとよく知ってはりました。やはり代々語り継がれてきたんでしょうね!


この後は土佐稲荷神社、近江屋跡、土佐藩邸跡、中岡慎太郎寓居跡など石碑をめぐり
昼食は京都・南座に隣接する老舗そば屋・松葉で、名物の元祖・にしんそばを食べてきました。
店は知ってたけど来るのは初めてでしたが、にしんがごそっと乗ったそばは、何だが妙に懐かしい味がしました。
この後は祇園あたりで皆さんお土産を買われてバスに戻り、高知への帰路に。
僕はこちらでお別れしました。
このあたりは例の「北川・慎太郎半被」で歩いてたんですが、土佐稲荷神社前ではこちら(稲荷)の
世話役の方がちょうどおられて挨拶されて
また近江屋の前では商店会の方が挨拶にこられて、なんだかうれしかったです(笑)

お世話になったみなさん、楽しかったです。
ありがとうございました!
Commented by おつかれさまです! at 2009-11-25 00:11 x
ええですな~。私も皆さまと一緒に京都を歩きたかった~
Commented by わだん at 2009-11-25 21:57 x
上のコメント、私です。名前のとこにメッセージ入れてしまった(苦笑)
Commented by enokama at 2009-11-26 01:49
>わだんさん
結構気持ちよかったですよ(笑)
またの機会にぜひ!
by enokama | 2009-11-23 23:21 | 中岡慎太郎関連 | Comments(3)