エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

長州ファイブ・生きたる器械と真の攘夷

2006年に公開された「長州ファイブ」(→DVD)
以前見たんだけど、安くでDVDが手に入ったので、改めてじっくり見てみました!


最初のシーンが薩摩による生麦事件の異人斬り、そして高杉晋作ら長州攘夷派「御盾組」による
御殿山のイギリス公使館焼き討ちで
まだまだ「異人斬るべし」の声が強かった文久2年の暮れ。
「果たしてこのままの攘夷がいいものだろうか?」彼らはやりきれない思いを、女と酒に走らせる・・・
そして井上聞多・伊藤俊輔は、信州松代の傑物・佐久間象山に会いに行く。

象山役は泉谷しげる。
座して待つ二人に、一戦(性)交えてから「子種を増やすには良い畑が必要。だから、美人よりケツの
大きい女に限る」
(このあたりのシーンまでは、B級の幕末映画みたいな作りなんですが 笑・・・一応、文化庁後援)
そしてこの異才は、世界の技術を語り「敵を知り 己を知れ」「夷の術をもって 夷を征す」と諭す。
そして、戻った聞多は密航覚悟での海外渡航を藩に願い出る!
(長州言葉は「生きたる器械」が「きけい」ってなったり「航海術」が「こうけい」って発音になるんですね)

本当のところ聞多らは直接、象山に会いに行ったわけじゃなく、久坂玄瑞からその様子を聞かされている。
久坂は12月12日に「御殿山の焼き討ち」に加わった直後に、水戸~松代へと遊学に出ています。
そして同行していたのが、土佐のまだ光次(こうじ)と名乗っていたころの中岡慎太郎。
久坂って人は僕は正直、勉強不足なんですが「航路遠略策」の長井雅楽を死に追いやったり
激しいテロも辞さないような攘夷論をぶっている彼が(今回のこともあるし)一方ですんなりと
海外知識を受け入れることができるのかなとも思うのですが
象山は「長州の者は大変明敏なのに、土州の者は頑固で辞退すれば刺し違えるかと思うような
激論になった」と記し(らしいな・・・)この後、慎太郎は久坂の考えを「時勢論」にまとめたりして
大いに影響を受けたようです!

正式な渡航は国禁でできず、黙許で「そうせい」と許した毛利公が榎木孝明。
密航の資金を用立てる(藩の用意した費用では足らなかった)村田蔵六が、周防出身の原田大二郎
(大村らしい雰囲気出てました)
一人千両、用立ててもらい(藩の用意した手許金は出国までに、パーっと使ってしまったとか 笑)
断髪・洋装となり、武士ではこれ以上の屈辱で、後のない覚悟を持って彼らは旅立ちます。
船上では甲板みがきから、用を足すシーン(便所はなく、船から突き出た板に乗って海上へ。
落ちないように体をロープでくくりつけている)が印象的でした。

ロンドンではすぐに攘夷の不可を悟り(一方、俊輔はしっかり娼婦と寝てましたが・・・洋装でも白ふんどし
は笑った。そこで文明国の裏側の格差を知ることとなる)
聞多・俊輔は滞在半年ほどで長州の事変(下関攘夷戦)を知り急遽帰国するが、その後の活躍はめざましいもので
「密航者」がのちの総理大臣になったのだから、あまりにもドラマチックな人生だと言えますね。

最後は山尾庸三が、さらなる勉学を求めて工業都市・グラスゴーへ(たまたま会った薩摩留学生から
のカンパを受けて行ったのは実際の話。薩長の恩讐を越えて「日本人」と言う自覚を彼らは持った)
そこの造船所で自立して働く聾唖者(造船所は騒音がうるさいので、逆に働きやすい環境にあった)を見て
山尾は帰国後、工部大学校(人材育成を図り、工業を興す)と共に聾学校の設立にも奔走します。
このあたり、最初の方のシーンとは全然雰囲気の違う話になってますが、聾唖者・エミリーの一つ一つ
の言葉は重みがあって印象に残りました(「蛍の光」のエピソードもありましたね)

野村弥吉(井上勝)は、明治の鉄道の父となり敷設に奔走「日本人の手だけでのトンネル建設」
また退官後は、同じく米国留学中に鉄道(とベースボール)に夢中となり、技術を学んで帰ってきた
平岡凞(ひろし・旧幕臣の子)と共に、汽車製造と言う会社を作り「日本初の機関車」の製造に取り組みました。

遠藤謹助は造幣畑を進み、お雇い外国人と対立をおこしつつも(北海道の黒田清隆あたりも
そんな気概があった)日本人技術者だけでの造幣に取り組みました。
「桜の通り抜け」もよく知られた話です。


彼らは技術を学びつつも、またそれと違った精神も学んで帰ってきました。
文明国であっても起こる「持つ者と持たざる者」の違いも知りました。
また「攘夷」の点では「自分たちの手で成し遂げる」と言う精神に転化していき、自立した海外に対抗
できる工業国へと進化して行きました。

ぜひ、見て欲しい映画です!
[PR]
Commented by applepeach at 2009-06-24 08:34 x
長州ファイブは以前、深夜に放映されたのを勇気を振り絞って
見ました。

>たまたま会った薩摩留学生からのカンパを受けて行ったのは実際の話

これ、一番気になっていました。そうですか~ 事実でしたか。
そこで殺しあってくれていてくれたら儲けものだったのに、、、
なってことは心の片隅だけで思っておきます。
藩を超えて「日本人」という気概が生まれたのは良いことですね。
それが戊辰戦争の何の役にも立たなかったことは極めて遺憾ですが。
Commented by 花衣 悠希 at 2009-06-24 22:22 x
この映画は全国公開初日にどこやねんっていう様なB級映画館で見ました。ホントやってるとこが少なすぎで、別の意味で必死(笑)。山尾くんがカッコ良すぎで。最後の方で一人で写真を眺めてたりするのにウルウルでした。
Commented by enokama at 2009-06-25 00:40
>applepeachさん
本文にも書きましたが、このあたりの長州の攘夷政策はまだ、僕もわからない部分
が多いのですが
いくら「そうせい」公でも、密航留学に5000両(換算は難しいですが5000万ぐらいかな)
出すのは、よっぽどの決断かと思います。
征長戦(長州側で言う「四境戦争」)で負けて、国(藩)がなくなってしまったら
すべてパーになってしまう可能性もあることですし・・・

薩摩の留学生は人数も多く組織的な派遣で、すでに藩に作っていた洋学校のエリート
(英語も習っていた)が選抜されてました。
そんな恵まれた彼らから見て、叩かれて叩かれての印象のある長州なのに
密航してまで留学生を出している現実を見て、ある意味、感動や驚きもあっての
この行動になったのかも知れません!
Commented by enokama at 2009-06-25 00:53
>花衣 悠希さん
僕も劇場上映って、気づかない間に終わってた印象があります(苦笑)
僕は伊藤俊輔が一番、はまってたかなと思います(知らん俳優ですが)
まだ若僧だけど、やたら白フンになって、女好きの片鱗も感じましたし(笑)
それにしても前半・中盤・後半で、それぞれ作りが違う映画も珍しいんじゃないかな!
Commented by 内藤昶 at 2009-07-18 00:43 x
初めまして。
長州人ですが、 あの言葉はビミョーだったと思いますよ^^;
「機械」。今の人は完全に標準語と同じ発音。
田舎のお年よりは「ききゃー」に近いかも。
ケータイなんか「こねーな せんない ききゃーは よー使わんで」(爆)。
「航海」も同じく「こーきゃー」でしょうね。
ついでながら、「~ちょる」は萩の人はよく「~ちょー」と語尾を流します。

それはそうと、長州ファイブはロンドンの大学に碑まで建っているというのに、肝心の山口には何もありません。
いや、山尾ゆかりのところに一応出来たんですが、ありゃ秋穂かどっかで、好きな人しか行かないド郊外です。
なぜ今も建っている藩庁門(正確には、政事堂の門)のあたりに作らないのか。情けないっす。
Commented by enokama at 2009-07-21 02:09
>内藤昶さん
ようこそ、はじめまして!
「長州ファイブ」山口の各市町のバックアップがあったみたいですが
ネイティブな言葉はやっぱり違うもんなんですね。
教えていただき、勉強になりました!

「長州ファイブ」の碑、確かにありそうでないですね。
防府の富海に、聞多と俊輔が一足先に帰国した時の上陸碑が
建ってるのはきいたことがありますが。。。

鹿児島では、鹿児島中央駅が西鹿児島駅から改称・新装なった時に
駅前に「留学生」の碑が建ってますしね・・・

「藩庁門」は場所としては最適でしょうね。
ぜひ、建てて彼らを顕彰してほしいです!
Commented by 内藤 at 2009-07-21 12:49 x
再びこんにちは。すみません、噓書きました〜。
2年くらい前だったか、山口大学構内に碑ができたのでした。
ただ、普通の人は入りづらい場所なので、知られていません(自分もつい忘れていました)。
数年前、鹿児島に比べてなさけないということで、「藩庁門周辺に碑を」という運動もあったのですが、県も市も、知識も関心もないという対応だったとききます。がっかりです。

富海の事は知りませんでした。調べてみたいです。ありがとうございます。
Commented by enokama at 2009-07-22 01:33
>内藤さん
確かに駅前の目立つところにある鹿児島に比べたらちょっと寂しい
感じもしますよね・・・
(去年5月の記事に鹿児島の画像貼ってます)
でも、ぜひ大学構内の碑は見てみたいです!
Commented by 内藤昶 at 2009-07-22 13:23 x
何度もすみません。
大学構内のほうは近々撮りに行ってきますね!
富海(とのみ)のほうは調べて…しかしこっちはわかってもすぐには行けません。
昨日の豪雨で山口と防府の間の峠が崩れちゃって大変です。
明治2年に脱隊騒動があった時の戦地、勝坂なんですけど、なんか数ヶ月は通れないっぽい。うげげ。

とりあえず大学行ってきます、(・θ・)/
大学の碑は、あの5人の写真をレリーフにしたやつだったはず。
Commented by enokama at 2009-07-22 23:54
>内藤昶さん
防府あたり大変だったようですね。。。
僕も去年、招賢閣や桑山、防府天満宮あたりに行ってきたので
文化財・史跡等も心配です。お見舞い申し上げます。

262号は確か、萩往還が山口から三田尻へ抜けていた主要道で
今も高速にも出られる重要幹線ですね。
自然災害なんで、どうしようもないですけどね・・・

>とりあえず大学行ってきます
あの写真がレリーフですか!
また画像見させていただきますね。。。
by enokama | 2009-06-22 22:58 | 長州藩 | Comments(10)