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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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今年も11月15日が近づいてきたわけですが、ちょうど休日になってるので京都・霊山護国神社に久しぶりに赴きます。

そこで中岡慎太郎先生顕彰会にお願いして「中岡慎太郎の行動から見た幕末維新」を北川村のブースで販売させていただけることになりました。
一人でも多くの方に知ってほしいと思ってますので、お気軽にお立ち寄りください!
「中岡慎太郎の行動から見た幕末維新」の画像検索結果

# by enokama | 2019-11-09 18:41 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
前回行ってから(かなり加筆してます→こちら)二年ぶりの刈谷。
平日の泊り明け第二水曜日に行ったんだけど(以前行った時の駅前の工事が終わっていて)観光案内所が移転していて間の悪い日に来てしまったようで、自転車も借りることができなかった( ノД`)シクシク……
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自転車は他に借りるところもないし、中京圏の駅からのアクセスが期待できないのは散々体験してきたので
刈谷北高校の横を通ってひたすら歩いて、前回は工事中だった刈谷市歴史博物館へ。
亀城公園よりだいぶ北寄りなので、地図を見てたら刈谷の一個手前の逢妻駅から降りた方が近かったみたい。

新しい建物
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このあたりは撮影OK(企画展示室は撮影禁止)
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ここは城町図書館にあったものがそのまま移されていた。
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正直、財政豊かな市が「とりあえず箱を作りました」って感じで、入館無料だけども取るまではまだまだ至らないなって感じがした。
資料閲覧室もあまりなかったし(こちらで市史編纂もしてるようだ)
これから収蔵も充実させて、企画展あたりも(有料になるようだ)期待したいものであります。

こちらから城下町を歩いて(と言っても雰囲気のある街並みはやはり全く残っていない。画像は前回の記事に追記しました)名鉄刈谷市駅まで。
コミュニティーバスの時間が合わないので、タクシーで依佐美送信所まで。


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# by enokama | 2019-10-30 00:57 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
例年ご案内している黒枝豆の販売ですが
今年は生育が悪い上に実付きが悪く、そのついている実も膨らみが足らなくおいしくないということで
量の方がかなり少なく告知もできませんで、例年注文いただいている方の分で終了とさせていただきます。
もう茎をいっぱい取っても、商品になる部分はこれっぽっちて感じとなってしまい残念であります。
全体的に周辺も不作気味なんですが、普通に取れてるとこもあるようなので
今年の気象もおかしかったけど、植え付けの時期とかも関係してるのかもしれません。
黒豆なんて多少放っておいてもって感じだったんですが、こんなこともあるんだな・・・
なかなか農業で稼ぐのは難しいものがあるんです。

# by enokama | 2019-10-27 00:05 | 北摂丹波 | Comments(0)
こちらに記事を書いたのが8年ほどになるんですが、この人物はまだ命脈を保って相変わらず「歴史家」として名乗っているようであります。        
今回の歴史人は八一八政変から、池田屋事件を経て禁門の変に至るくだり。

文久期の薩摩藩をやたらと佐幕派って強調しとる。対するのが尊攘派(倒幕派)で長州藩らしいが、会津も桑名も尾張も元来は尊攘派やないの。「攘夷を決行します」と朝廷に答えたのも将軍家茂そのものだし。
攘夷の手法や解釈の違いってのもあるけど、朝廷工作もあって「即時攘夷」を命じられたと解釈して、あんなバンバン実際に外国船を打ちまくるような長州藩の攘夷は国際問題にもなった。
それに対して在江戸幕閣だったり、横井小楠が顧問だった福井藩が兵を京都に出してそれを抑えようとしてうまくいかなかったのちに、薩摩藩と京都に兵力を持った会津藩が中心となって朝廷の長州側勢力を抑えたんだけど、それは孝明天皇も中川宮も承知の上のことであった。
だからこの文章はおかしすぎるでしょう。

池田屋事件については新撰組側の事情さえわかればいいってオーダーかもしれないね。
まあ目新しいこともないし、池田屋の中で亡くなった志士たちの名前が七名ぐらいあったけど、襲撃された側の事情なんてほとんどないし。
池田屋で沖田が吐血したのは本当ってことはやたらに強調してて、理由は「それを伝えた永倉新八が作り話をするわけがないから」
一回、この人物の講演聞いたけど「子母澤寛が書いていたから本当」ってレベルですわ。
客観的な見方や第三者の証言あたりもあって、違った説も出てくると思うんだけど全然説得力ないやんか。

禁門の変で長州兵を討ったのは御所に攻撃してきたからという名目。なおさら、なんで佐幕派になるねん。
「禁闕御守衛」ってのが薩摩藩にはよく出てくる大義名分なんよね。

とりあえず、こんなのでも書けるレベルでいいんだろうけど、前後の記事の研究者もいることだし
よく恥ずかしくないのかなってのが僕の思うところです。
こんな文字媒体だから、出版業界がいよいよだめになっていくのではないのかな。

あとこんな記事も出てきたんだけど
坂本龍馬が倒幕派になったり、徳川を温存しようとしたとか文脈が無茶苦茶だし
「大政奉還は龍馬の発案」や後藤象二郎に授けたとか、そんなもの近年の研究で否定されてるのになんか知らんけど拘ってるしね。
成長しないね、この人。

# by enokama | 2019-10-24 00:31 | 歴史全般 | Comments(0)

華岡家墓地

春林軒の少し北に華岡家一族の墓所があって、一画が公園となっている
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# by enokama | 2019-10-11 12:31 | 歴史連載 | Comments(0)

華岡青洲の春林軒

名手宿沿いの大和街道から台地を上がったところに春林軒はあった(→関連記事
駅からだと20分もあったら歩ける。
江戸時代の中ごろに華岡家はこの地(西野山村)平山に移り、青洲の祖父の代から専業医となった。

春林軒周辺は道の駅「青洲の里」として整備されている
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フラワーヒルミュージアム
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バイキングレストランと当地の名産品、華岡青洲に関する展示館があります。
メス、鋸、カテーテルといった手術道具や塾則一覧、乳がんをはじめとする患者の治験図譜
家人の犠牲の上に完成した麻酔薬「通仙散」の処方は難しく、みだりにそれを教えないようにといった門人向けの文書もありました。


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# by enokama | 2019-10-07 22:56 | 歴史連載 | Comments(0)

春林軒を訪ねて~名手宿

世界で初めて全身麻酔手術を成功させた華岡青洲の病院・塾の春林軒のあった和歌山県(旧那賀町)名手に(8月)行ってきました。

南海で難波から橋本へ。乗り換えて和歌山線で名手駅まで
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かなり古い車両だけども、この9月で新車に置き換えられたそうだ。

名手駅
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駅前にタクシーの営業所はあって常駐しているそうだがタイミング悪く(帰りにはいた)
台地上の春林軒まで歩いて行くことにしました。


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# by enokama | 2019-10-06 22:40 | 歴史連載 | Comments(0)
「中岡慎太郎の行動から見た幕末維新」→紹介

実は全国何か所の図書館に贈呈させていただいてまして
現在、検索をかけたら京都高知山口で読めるようになっているようです。

岡崎の京都府立図書館では開架で出てるようで、またお気軽にお読みください!
高知(ページ詳細が載ってます)、山口では維新郷土資料で並べていただいてるようでありがたいことです。

# by enokama | 2019-10-04 21:39 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)

神戸・湊川神社

四月に大阪龍馬会の長谷さんのガイドで神戸へ(→過去記事 その1その2)行って、FBでは載せましたがブログにも記録しておきたいと思います。

湊川神社(楠公。楠木正成を祀った神社)の楠木正成戦没地は普段は入れない場所であります。
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# by enokama | 2019-09-29 23:50 | 歴史全般 | Comments(0)
一つ前の記事の反応が多くって、庄内の方からいくつもメッセージをいただいています。
せっかく歴史番組に取り上げられたんだし、内容は完全なものじゃなかったって印象であっても、こんな機会は今まで一切なかったんだから、いい方面でアピールできていったらいいですね。
七星旗 白雲の間を動く」を出して久しいんですが、共著のお二人(Akiさん光夢世宇留さん)と僕の庄内藩へのアプローチは違っていて、またそれがいろんな角度で庄内藩をアピールできるのなら、それはそれでいいかなとも当時話してました。
僕は西国の人間なんで、北前船を通じた西国とのつながりであり、西郷隆盛や黒田清隆となりますが、この時は興味がだんだん時代を遡ってって感じで、天保が中心となったのが僕のパートの内容となりました。
幕末はいつからって議論もあるところだけど、庄内藩は「三方領地替阻止」って体験が前提にあっての幕末期の立ち回りになったのは十分影響あったでしょう。
だからあの時代を調べられてよかった。

お二人とも酒井玄蕃(了恒)を取り上げてまして、今その部分を読み返したり坂本守正氏あたりの著書で確認したら、ヒストリアの玄蕃自身の描写ってのは細かいところまでしっかりと紹介してあったんですね。
伴兼之と榊原政治を薩摩に送り出したのも玄蕃だし(榊原の兄に了恒の妹が嫁いでいる)明治七年に台湾出兵を巡って日清関係が悪化していた際に黒田の命で清国に派遣され(この時の武力衝突は回避された)その報告に「現状での戦いは避けるべきだと」述べたあたりです。
こうして地上波の全国放送で紹介されたんですから、うれしいことです。


なぜ朝敵になったのか>>
# by enokama | 2019-09-15 17:17 | 庄内藩 | Comments(0)