人気ブログランキング |

エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

ライドライクアガール

あいかわらずの日々が続いてますが、仕事明けの平日に見に行く映画が数少ない楽しみともなっています!
二、三席は飛ばしたような座席とはなるけど、そんなに元々入ってることもないからまず大丈夫なんですよね。

今回はオ−ストラリアのG1を制した女性騎手のお話です
ライドライクアガール_f0010195_19012479.jpeg


もっと見る>>
# by enokama | 2020-08-06 19:01 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(0)
映画の上映やテレビドラマもなかなかこの時世では流せなくなったり、延期になったりしてますが
過去の放送の振り返りってのも逆に新鮮に感じたりします。

大河ドラマの「国盗り物語」も良いよね。
高橋英樹が信長で、近藤正臣が明智光秀、火野正平が秀吉・・・
これは見られてよかったし、二十代の出演者が生き生きとしていて、火野正平なんて最高じゃないか。
当時はこのドラマでほんとに評価受けてこれからって感じだったそうだけど
某女優と不倫してしまって(本人は現代のプレイボーイの代名詞的な「平成の火野正平」っていう表現は嫌なんだそう、まだ俺生きてるやろうってことで 笑)
東京では完全に干されてしまって(今の時代でいちいち文春で叩かれるような風潮では再起もできないね)
大阪のBKと京都の撮影所で再起を果たしたというオチがあったそうです。
大河の「麒麟」も朝ドラ「エール」もしっかりと見てるんで、再開を楽しみにしてます!

「やまとなでしこ」の再放送もよかった。
四時間でまとめるのはさすがにきつい感じだったけど、当時を知らない世代から見ても新鮮だっただろうと思う。
僕は桜子さんより若葉ちゃん派(実際にそんな言葉があったのだ)だったり、堤真一と西村雅彦と筧利夫の芸達者の掛け合いって最高だった。
それにしてもバブルがはじけて、少しIT関連で上向きになっていた時代背景だけど、日本はいつまで低成長で我慢ばっかりするような時代が続くんやろうね。

あと映画は「男はつらいよ」の50年で映画館で再上映が始まっています。
第二作の佐藤オリエさんの京都舞台と第三十二作「口笛を吹く寅次郎」竹下景子さんの備中高梁舞台の作品が特に大好きなので見てきました。
なんどもビデオでは見ているけど、やっぱり劇場で見てみたいと思ってたし画像もきれいになっていたので最高でした。
関西では大阪駅のステーションシネマ(作品制作年順)と京都の二条駅前TOHOシネマズ(順番はランダム)でやっているのでお勧めです。
あとはリリーさんの作品が見られたらと思っています。

本題に入りますが来年度の渋沢栄一が主役となる「青天を衝け」の第一弾キャストが出た(→こちら
なんか水戸色が強くってうれしすぎるじゃないですか!


もっと見る>>
# by enokama | 2020-07-16 00:56 | ドラマ感想 | Comments(0)
相変わらず行事等はほぼ中止を決めたので、外出は自宅と京都の通勤往復でたまに洛中散歩をして(マスクは熱くなってきたけど)
帰りにスーパーに買い出しって感じですごしている。
八月ぐらいの行事は未定がいくつかあって、どうにか出来ないのかなとは思うけど、ソーシャルディスタンスも沁みついてきたんで「密」になるのは抵抗あるなって感じはある。やりたい気持ちもあるけど行動が難しいとこです。
飲み会とかもまだできないかな・・・現状はまださみしい面もあるけど、一方でいろんな面で要らないストレスから解放されている面もあるような。
学校あたりも「早く友達に会いたい」の声をどうしても流すものだろうけど、いやな奴に会わなくっていいってとこもある。
仕事もリモートでできる面もわかっただろうし、全員職場で突き合わすような働き方も考えるきっかけになっただろう。

土日に家にいるときはグリーンチャンネルが今無料で、競馬は全場買いやすくって馬見てじっくり検討ができるし当たりそうなものだけどそんなことはないですね。
ただパドックでの蹄鉄の音や、ゴール後の騎手の声とか新鮮な感じがします。


もっと見る>>
# by enokama | 2020-06-09 22:31 | 総合 | Comments(0)

松岡司さん

泊まり勤務をしていて記事にするタイミングが遅くなってしまうので、すでにご存じの方も多いでしょうが
高知県佐川にある青山文庫元館長の松岡司(まもる)さんが亡くなられました。

一度だけですがこの時にお会いしております(関連記事→佐川再訪
当然、陸援隊がらみで田中光顕出身地ゆかりってことで同行の高知のYさんにお願いして、車で連れて行ってもらった経緯だったと思います。
当時の記事にも書いてますが二時間ほど話して、広報さかわに松岡さんが連載されていた記事(深尾氏や佐川脱藩の陸援隊士のことが詳しい)をまとめた冊子を買って帰ったものです。
田中光顕が昭和になって録った肉声で高杉晋作を語ったテープも聞かせてもらいました。
前に大洗の「幕末と明治の博物館」でも同じ音声を聞くことができたので、当時佐川に行ったことを思い出したものであります。

松岡司さん_f0010195_22414091.jpeg
本も買ってます。「中岡慎太郎伝」は本格的な慎太郎史伝がなかなか出されない中(だから自分でも書いた)で貴重なものです。
「坂本龍馬伝」は見ての通り分厚い膨大なもので、神戸での海軍塾(佐藤政養こと与之助を初めて知った)やいろは丸事件(紀州藩側の裏側にも触れている)のあたりをこれだけ詳しく書かれたものはないと思います。
近年では武市半平太や岡田以蔵(ゲームで火がついて、再販された本がかなり売れたらしい)の発信が印象的でした。


もっと見る>>
# by enokama | 2020-05-15 22:41 | 土佐藩 | Comments(0)
天保十五年(弘化元年・1844)五月に隠居謹慎を命じられた徳川斉昭は駒込下屋敷に入り、その間に藩人事でも支持層の改革派が処分されていく。
斉昭自身の謹慎は十一月に解かれ弘化〜嘉永にかけて、当初は斉昭の水戸藩政に介入した老中阿部正弘だったがその考えを改め、海防策や対外政策の意見を求められるようになる。
七郎麿(慶喜)の一橋家相続もその阿部の尽力で実現した。
ただ「攘夷論の巨頭」とされた斉昭だったが、外国勢力に対して直ちに打ち払いを行うことは現実的でなく「内戦外和論」として国内的には人心引き締めのため「外国の脅威」を唱えて武備充実を図らせる一方で、対外交渉はできるだけ引き延ばし時間稼ぎ(回答延引策)をすることで対抗できる体制を目指すものだった。
実際にのちのいわゆる「ペリー来航」(嘉永六年・1853)でも、回答の引き延ばしで対処し主張を続けている。
幕政関与後は外国船来航の相次いだ薩摩の島津斉彬との情報交換が始まり、阿部正弘、宇和島の伊達宗城、土佐の山内豊信、甥にあたる尾張の徳川慶恕、自身に師事した越前の松平慶永といった「賢候」のネットワークが広がり、幕政中枢にも影響を及ぼすようになる。
しかしながら、斉昭の正式復権は嘉永二年(1849)三月の「三連枝後見の廃止」「藩政参与復活」まで待たなければならなかった。


もっと見る>>
# by enokama | 2020-05-13 00:01 | 水戸藩と天狗党 | Comments(0)

後期水戸学と藤田東湖

水戸藩六代藩主治保は「水戸藩中興の祖」と呼ばれたが、その功績の中で立原翆軒が彰考館(史館)総裁となって停滞していた「大日本史」編纂の復興がなり、その過程でのちの藩政改革にもつながる人材を輩出し、立原門下から小宮山楓軒、青山延于、藤田幽谷といった人物が出た。
小宮山は郡奉行等農政において農民生活の実情に即した施策をとって「農村復興」を果たし、また農民の通う「郷校」を設立し実績を残し、青山と幽谷(郡奉行として農政にも携わる)は彰考館総裁となった。
また治保の代から水戸藩では能力のある者の武士への登用が増え、幽谷は古着屋の倅、その弟子の豊田天功も庄屋の身分から彰考館事業の中心となっていった。
従来の彰考館事業は「(前期)水戸学」と呼ばれていたが、この当時の外国船の漂着や天災の続発といった「内患外憂」の時代に学者たちは編纂だけにとどまらず、外交問題や農村再建といった実学の側面も帯びてきて(「後期水戸学」)平田国学に代表される尊王論も取り入れ、彼らの思想・意向が藩政に反映されることとなった。

そして病弱だった八代斉脩の継嗣争いでは世子に御三卿の養子を求める(このことによって幕府からの財政支援が望めた)門閥派と、斉脩の弟の敬三郎(斉昭)擁立を求める改革派の対立があったが、改革派には幽谷の子東湖を中心とした学者層の支持が大きく、斉脩の遺言書も見つかったことから斉昭が九代藩主となった。
文政七年(1824)斉脩の代にイギリス人捕鯨船員による「大津浜異国人上陸事件」が起こり、藩とのちに対応した幕府は彼らに薪水や食料を与えて不問に付しあっさり釈放し穏便に済ませたが、その処置に幽谷やその弟子の会沢正志斎は危機感をもっていた。
程なく薩摩ではイギリス人来航時に要求を拒んで死傷者を出す「宝島事件」も起き、翌年に幕府は「外国船打ち払い令」を出して見かけ次第に砲撃を行い、外国人を上陸させず船も接近させない方策をとった。その攘夷実行が浦賀におけるモリソン号事件に至り、その対応にも時代時代に変化が見られている。
正志斎は大津浜事件の当事者でもあって『新論』をまとめたが、急進的な内容は斉脩に公刊を止められ、さらなる改革を求めた幽谷や正志斎は物足らない思いももって、斉昭に期待することで支持者となっていったものである。
そして彼らが斉昭の代となって、実際に藩政改革(天保改革)に携わって成果も上げ、その水戸へと吉田松陰に代表されるように全国から遊学するものも多かった。


もっと見る>>
# by enokama | 2020-05-10 18:30 | 水戸藩と天狗党 | Comments(0)
# by enokama | 2020-04-22 23:55 | 歴史全般 | Comments(0)

三井寺の桜と石碑 2020

まだある程度の外出ができた時に行ってきました
三井寺の桜と石碑 2020_f0010195_18141064.jpeg


三井寺の桜と石碑 2020_f0010195_18145039.jpeg
三井寺の桜と石碑 2020_f0010195_18152901.jpeg


もっと見る>>
# by enokama | 2020-04-19 18:11 | 近江の史蹟 | Comments(0)
水戸徳川家はいわゆる「徳川御三家」の紀州家・尾張家より位は下であったが「天下の副将軍」としての立場もあったとされ参勤交代はなく、藩主は江戸定府状態となり、義公(光圀)烈公(斉昭)治保(文公)と名君と呼ばれた藩主らは幕政に関与し、人事等にも影響を及ぼした。

紀州家は七代将軍となった将軍吉宗から、御三卿も創設し広がって幕末期にかけての将軍家血統となった。
附家老の水野氏は江戸定府であり忠央の代の紀州藩では開明政策を以て主流派となり、江戸の幕政においても井伊直弼と結び、病弱な十三代将軍家定の継嗣問題では、血統重視の紀州派(紀州藩主慶福→十四代将軍家茂)と英明の誉れ高い斉昭の実子である一橋派を推す(慶喜)対立から紀州派は勝利をおさめ、のちに井伊が一橋派を弾圧した「安政の大獄」へとつながった。

尾張家は吉宗のライバルとして藩主宗春が対照的な積極財政を行い失脚させられた後は、御三卿や御三卿から出た将軍家斉といった幕府からの養子が続き、幕末期に慶勝が登場するまでは藩独自の政策も出せずにいた。そして慶勝は斉昭の甥でもあって、改革派の斉昭に与して幕政改革にも参画した。

「幕府滅亡」や「倒幕」といった言葉で幕末維新は語られることが多いが、元はというと「内憂外患」の世情といった面もあったが、徳川家同士の争いから幕末期の混迷につながった一面もあったのだ。


もっと見る>>
# by enokama | 2020-04-13 08:00 | 水戸藩と天狗党 | Comments(0)

映画「Fukusima50」

「緊急事態宣言」が僕の県にも出ました(この県をひとくくりにするのもどうかと思うが)
僕の場合はインフラなんでテレワークとか関係なく、京都市内まで普通通りに通ってますが、さすがに電車の乗客は減ってますね。
行事がことごとく減って予定も無くなっていって、帰りに散歩するぐらいしかしてないんですけど(運動不足になるしね)
ともかく自覚を持った行動が必要かと思います

今のコロナ騒動で映画館も避ける人も多いのですが
僕も専ら平日の仕事帰りでガラガラの時に見ることが多いので(三月に行きました)今ぜひ見ておきたいと思って行ってきました。
映画「Fukusima50」_f0010195_18041013.jpeg


もっと見る>>
# by enokama | 2020-04-07 21:03 | 書籍・ライブ・映画 | Comments(0)