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エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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一つ前の記事の反応が多くって、庄内の方からいくつもメッセージをいただいています。
せっかく歴史番組に取り上げられたんだし、内容は完全なものじゃなかったって印象であっても、こんな機会は今まで一切なかったんだから、いい方面でアピールできていったらいいですね。
七星旗 白雲の間を動く」を出して久しいんですが、共著のお二人(Akiさん光夢世宇留さん)と僕の庄内藩へのアプローチは違っていて、またそれがいろんな角度で庄内藩をアピールできるのなら、それはそれでいいかなとも当時話してました。
僕は西国の人間なんで、北前船を通じた西国とのつながりであり、西郷隆盛や黒田清隆となりますが、この時は興味がだんだん時代を遡ってって感じで、天保が中心となったのが僕のパートの内容となりました。
幕末はいつからって議論もあるところだけど、庄内藩は「三方領地替阻止」って体験が前提にあっての幕末期の立ち回りになったのは十分影響あったでしょう。
だからあの時代を調べられてよかった。

お二人とも酒井玄蕃(了恒)を取り上げてまして、今その部分を読み返したり坂本守正氏あたりの著書で確認したら、ヒストリアの玄蕃自身の描写ってのは細かいところまでしっかりと紹介してあったんですね。
伴兼之と榊原政治を薩摩に送り出したのも玄蕃だし(榊原の兄に了恒の妹が嫁いでいる)明治七年に台湾出兵を巡って日清関係が悪化していた際に黒田の命で清国に派遣され(この時の武力衝突は回避された)その報告に「現状での戦いは避けるべきだと」述べたあたりです。
こうして地上波の全国放送で紹介されたんですから、うれしいことです。


なぜ朝敵になったのか>>
# by enokama | 2019-09-15 17:17 | 庄内藩 | Comments(0)
(今回の番組の反響があると思うので、賛同いただければシェア等拡散いただければありがたいです)

想像していたことだけども「西郷と」ってつけるなら、庄内藩側は菅実秀メインだった方がわかりやすかったんじゃないかな。
ビジュアル面で酒井玄蕃の方がよかったのだろうけど、も一つ焦点がわかりずらく感じた。




もっとみる>>
# by enokama | 2019-09-05 14:04 | 庄内藩 | Comments(2)
SNSでは上げたんですが、めったにないことなのでブログでもあげておきます。

こちら→こちら

日本最大の内戦「戊辰戦争」。この戦いで強大な明治新政府軍に一度も負けなかったサムライがいた。山形・庄内藩の酒井玄蕃(さかい・げんば)だ。当時20代の若さで美男、しかも無類のいくさ上手でもあった玄蕃は、固い決意と「北斗七星」の隊旗のもと戦い続ける。劣勢の旧徳川幕府軍で唯一負け知らずだった玄蕃たち庄内軍。それは敵だった西郷隆盛をも動かし、敗者庄内の運命をも…悲惨な東北・戊辰戦争での胸がすく秘話を紹介。

「悲惨な東北・戊辰戦争での胸のすく秘話を紹介」ってのがいいですね。
正直、僕は「敗者の美学」とか「判官びいき」とか興味は薄いんです。
「どうやって勝利したのか」ってのを研究した方が今の自分には役立つし、ためになるじゃないか・・・
だから東北からの戊辰戦争は「幕末最強の庄内藩」と、大勢の幹部が明治国家の建設にまい進した「箱館の榎本軍」ぐらい。
確かに「胸のすく」話が多いでしょう。


おそらくね。あれだけ昨年の大河で「西郷とゆかりの庄内藩」ってやって、脚本家も来たのに結果はこんなのだったから
その穴埋め的な番組も求めて求められるのが当然の結果で、そういう意味合いじゃないのかなと思います。
玄蕃が主役になるから、酒井右京や大山庄太夫の一件も出るのだろうか。
情報では菅実秀は確実に出るようですけどね。

また感想と突っ込みは放送が終わったらしたいと思います!




# by enokama | 2019-09-02 18:31 | 庄内藩 | Comments(0)

京アニの匿名報道

もう一週間ほどになるんですが、京アニの犠牲者の方の名前がすべて公開されて議論を呼んでいました。
(書きかけで置いていたんで時間が経ちました)

盆明けに京都の六地蔵めぐりをして、その一寺がその名の通り「六地蔵」(大善寺)にあって行ったんですが
地下鉄を降りて山科川を渡って、京阪六地蔵沿いの献花台(八月で撤去)で手を合わせてきました。
京アニの建物はちょうどJRと京阪の間ぐらいで建物はよく見えるけど、ほんと大善寺の前の道からだと
どこの路地から入っていくのかって場所だったので、犯行は下見をしっかりとしてないとできなかっただろうと感じました。

この名前の公開ってのは良いのか悪いのか僕にはわからない。
住所が宇治市や伏見区、左京区ってことで地元も多かったから、僕の職場も近いこともあって何とも言えない気持ちになったけど
ただ公開して、直ちに犠牲者の背景ってのを実名できょう都新聞が出していたから
名前を出さなかったら「ボツ」記事になっていたから、その分必死に公開を求めていたんだろうな。
昔の卒アルやらの顔写真って、今はデジタルでPCに入れとくもんだから最近の写真も手に入らないんだろうけど、いるものなのかな。
友達の談話ってのもSNSからかたっぱしで当たったものだったりしたら、遺族からして承諾できるものだろうか。
この人の夢は○○でそれが叶いませんでしたってのを見て、どう感じろっていうんだろう。
かつて福知山線事故の時に大勢の人の生涯的なものを、一時間ぐらい延々と特集でやっていたことも覚えてるけど「いい人だった」でうまいことまとめてるんだね。
自分自身はこんな大して功績もないし、人に自慢できるような人生も送ってきたわけじゃないから、こんなことしてもらえるんだろうかなと思った。
詐欺じゃ、暴行じゃって過去があっても「きれいな人」で終わらせてもらえるのだろうか?

犯人については障害も持ってるし、やがて「匿名」になってその背景はうやむやにされるんだろう。
加害者の人権とやらはこの国は大事にする傾向があるからね。
職場関連で同じような事件があっても、犯人が障害持ってたらすぐに放免で報道も皆無だけど
公務員や警察だったら在阪局がすべて来て詳しく流すからね。停職処分になって、依願退職って感じで。

名前出たって言ったら、大津で園児がはねられた事故で
衝突されて「もらい事故」になってしまった車の運転手なんてすぐに「容疑者」扱いで実名が出てたからね。
すぐに釈放されたけど、自分の車で撥ねてしまうかたちになって、容疑者にされてしまうし。
交通事故もはねられた側の責任もある可能性もあるのに、すぐに実名を出してしまうのもどうなんだろう。
今はネット時代で、下手したら一生残ってしまうから名前の公開は慎重にすべきだと思う。
「表現の自由」と「個人情報保護」の感覚もどうなんだろう。

# by enokama | 2019-09-01 18:10 | 総合 | Comments(0)
板垣退助顕彰会で祇園に9月22日建碑がされるそうです(→こちら

慎太郎の日記「行行筆記」からだと、慶応三年五月十八日に江戸から上がってきた乾退助がこの近安楼で石川清之助こと中岡慎太郎、福岡藤次、芸州藩士の船越洋之助に会って小酌し、慎太郎は宿泊。早速、慎太郎が西郷に書簡を発して、二十一日に御花畑小松邸で小松、西郷、吉井に退助が会談(毛利恭助、谷守部も同席)いわゆる「薩土討幕密約」が結ばれることとなる。
内容が内容だけに秘密裡にして詳しく伝わっておらず、西郷に発した慎太郎書簡と板垣の回顧ぐらいだが、いざ幕府との戦いに至るになると藩論の如何に関わらず、退助は土佐の有志を率いて薩摩と共に起つといったものであった。
慎太郎の日記の記述でそのころの土佐の有志との密議?場所は曙亭、?々堂、「薩土盟約」の結ばれた三樹が多い。
六月二十二日の三樹での「薩土盟約」は七か条からなり(上記と違ってしっかりとした条文を残した)大政奉還を土佐藩論とし薩摩藩も芸州藩も含めた「三藩連署」の建白で協力するというもの。この場には小松、西郷、大久保がいて、幕府側の反発も想定し「武威」として一定数の土佐兵の上洛を求め(土佐側は後藤象二郎、福岡、寺村左膳らが同席。慎太郎と龍馬も立ち会う)薩摩側からすれば「大政奉還を拒めば、挙兵の大義名分もできる」として「渡りに船」とした西郷の言葉も残っている。

帰国した後藤だが、容堂は大政奉還論には賛同。ただ幕府軍との衝突に至る可能性もあった「出兵上洛」は国元の佐幕派の反発も強く認められなかった。
九月に後藤は丸腰で上洛するのだが、その上洛が遅々としている間、西郷らは次の展開を企図していてクーデター計画も踏まえた薩長芸の出兵計画も進む中、後藤は大政奉還論を芸州藩の穏健派も巻き込んで、最後には小松帯刀の決断が大きく実現にこぎつけることとなる。
しかしこのことは明治維新後「土佐の平和論」が喧伝され、なぜか坂本龍馬は戦争を望んでいなかったという話に変化する。
この「薩土討幕密約」の結果は乾退助の意を受け、慶応三年末から京師に展開した土佐軍が「薩長と会桑」の私戦であるとする山内容堂の指示を無視して、鳥羽伏見の戦いで薩長軍とともに戦闘に加わったことにつながった。

近安楼は西郷と退助が慎太郎を介して結び付けたきっかけの場所となったものです。
くわしくは「中岡慎太郎の行動から見た幕末維新」をごらんください)

# by enokama | 2019-08-30 20:50 | 中岡慎太郎関連 | Comments(0)
永井博氏の著作を見て「水戸市史」の引用が多かったので、改めて確認したいなと図書館に行ってきました。
県史だったら、それなりの規模の図書館で開架であったりするものだが、市史はなかなか近くで収蔵しているところが少なく(水戸市史は大阪府立中央図書館(東大阪)と京都府立図書館ぐらい)しかも貸し出し禁止だったりします。

近世編は「水戸藩史料」に拠るところも多いようで斉昭関連はくわしく、僕はしばらく本圀寺党を調べていたんで「天狗党敦賀以降」ってのを知りたくって(慶応期とか極端に 水戸藩の史料が少ない)前に水戸に行ったときに市史で見て「やはり少ないな」(両池田候が本圀寺党を支援していたことはわかった)って感じだったんですが、天保の改革から斉昭の失脚・復権、結城派の処罰もあたりもしっかり書いてありました。


もっと見る>>
# by enokama | 2019-07-30 00:24 | 水戸藩と天狗党 | Comments(0)

吉本の問題と2019参院選

一連の問題で宮迫と田村亮が会見しました。
金曜の某紙で「宮迫は引退して、何の釈明もせずに逃げる」的なことを書いてたとこもあったんだけど(酷いな)
本人たちは会見して話したい気持ちがあったんですね。
ついていた嘘も経緯もすべて話すことで、迷惑をかけた人や後輩芸人にも申し訳が立つとの判断もあっただろうし
「笑い」を売る人たちが、こんな暗い顔でいつまでも引きずってたらシャレにならないからね。

企業としては「嘘や隠ぺい」ってことになってしまうから最悪な判断でしたね。
文化人的な立場で司会やコメンテーターしている所属芸人も何人もいるから「組織や団体の不祥事」を語る資格なんてないってなってしまうからね。
まあ企業も不祥事があってもうまく対応できたって「ジャパネット」ぐらいしか思い浮かべないような。
嘘はやっぱりどこかで漏れてしまうもんだからね・・・
そのへんの不祥事を突っ込む番組にも、吉本所属が何人もいるってこともシャレにならない。

僕としたら、宮迫や淳のピンだけってのは特に好きでもないけど
宮迫とホトちゃんの雨上がり、淳と亮のロンブーっていうコンビとしての笑いが好きなので
また見られたらなと願っています!




今回の選挙>>
# by enokama | 2019-07-21 22:51 | お知らせ | Comments(0)
京都で痛ましいテロと言ってもよい事件が起きました。
職場から四キロほどのところで、六地蔵から京阪に乗ることもあるし本当にショックだ。
何十年かけて完成した築き上げてきた上げてきた人材や財産、過去の資料も全部・・・京都の文化が失われたっていっても過言じゃない。
あまり今の時点で推測で語るのは何ですか、僕の仕事上でも危険物の持ち込みはなおさら注意しないといけないだろうし、更生施設も近くにあってトラブルにも(理不尽なクレームや迷惑行為)何回もあってきたのが現状だから。
人権じゃなんじゃって言われるかもしれないけど、自分自身の家族や知人が被害にあってみ。そんなこと言ってられないぞ。


選挙の話
# by enokama | 2019-07-20 00:44 | 総合 | Comments(0)
ブログでは紀州藩に関しては(→こちらこちら)あまり触れてませんが、王政復古後に陸援隊を中心とした隊が紀州(高野山)に出兵した背景を今回の「中岡慎太郎の行動から見た幕末維新」では堀下げてみました。

鳥羽伏見の戦いでは「討幕の密勅が偽物」「西郷が浪士を煽動して江戸を攪乱した」「錦の御旗はインチキ」的な陰謀論で、決して薩長側が卑怯な真似で勝利を収めたわけでなく
また旧幕軍の装備が薩長側と比べて劣っていたわけではないということは昨今のBS番組等でも放映され、人数的にも三倍で普通に考えたら旧幕軍が負けるわけがないのである(江戸薩摩藩邸焼き討ちも庄内藩側の求めに加えて、上方に展開する旧幕軍を見た主戦派幕閣の意向も大きかった)。

結局は薩長に加えて一部の土佐兵だけとなった新政府軍側に対して
旧幕軍側には譜代親藩を中心とした浜田・宮津・大垣(のちに小原鉄心の動きもあって新政府側につく→こちら)・伊予松山・藤堂といった兵も展開し、大藩の肥後藩も兵が上洛していて(慶応期は基本的に佐幕だったので)旧幕軍側につく可能性もあった。
そして背後の脅威は「第二次長州征伐」でも唯一と言っていいぐらい、長州軍を押し気味に戦いを進めた実績のあった兵制改革を行った紀州藩であった。
このあたりの連携ができず、指揮系統がバラバラで「第二次長州征伐」での教訓を活かせていない面もあっただろう。

この陸援隊を中心とした「高野山出兵」や王政復古~鳥羽父子の戦い〜主戦派と勤王派との対立も、和歌山には史料もあって今回調べてみた。
徳川将軍は吉宗の代から「御三卿」の成立もあって、紀州の血脈が綿々と続いていて
一橋慶喜を擁立する運動に対抗した「南紀派」の主導者は、紀州藩附家老の水野忠央であり大老の井伊直弼と結んだものであった。
そのあたりの背景も興味深いし、そこに「いろは丸」の一件が絡んで事件も起こったのであります。






# by enokama | 2019-07-14 12:12 | 歴史全般 | Comments(0)

井岡寺(鶴岡市)

前回、湯田川へ行く途中で井岡寺(せいこうじ)に立ち寄ったものの、致道館関連者の墓所がわからずに後にしたんですが、今回は人がいらっしゃったので場所を確認ことができました。
(このHPを紹介されました。墓所の位置もわかります)
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今回唯一撮った鳥海山
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こちらの寺ではの白井氏、三矢氏といった儒学者の墓が多く、墓石も丸い小さな質素なものが多い。


お墓の写真になります>>
# by enokama | 2019-07-13 10:09 | 庄内藩 | Comments(0)