エノカマの旅の途中

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旅と歴史と競馬のお話をします

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少し開きましたが、昨年に大阪龍馬会のイベントで訪れた散策の記録です(→こちらでも訪れています 追記あり)

石清水八幡宮のふもとにある淀屋旧邸
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豪商で知られた淀屋(淀屋橋の由来でも有名)が取り潰されたあとに、許されて住んだところ。


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# by enokama | 2017-05-30 18:48 | 私の好きな京都 | Comments(0)
小塚原回向院。
ちょっと文章を書くのは気が重くなるので、行ったと言う記録と顕彰の地であることだけ紹介しておきます。
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お墓の写真が多いです>>
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# by enokama | 2017-05-29 14:08 | 江戸散歩 | Comments(0)

小伝馬町から円通寺

2014年に南千住付近を巡ったのですが、まだ記事にしておりませんでした。
橋本左内も吉田松陰も刑死した後に小塚原回向院に葬られて、井伊直弼横死後にそれぞれ改葬されております。
この時は小伝馬町で合流して案内をしていただきました。

以前訪れた時はなかったんですが、発掘調査が行われて牢屋敷の遺構が見られるようになっていました。
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水道管や井戸、牢屋敷の石垣等が発掘された

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# by enokama | 2017-05-28 19:26 | 江戸散歩 | Comments(0)
今回の霊山歴史館のツアーでは福井郷土歴史博物館と養浩館庭園を角鹿館長と学芸員さんに案内していただけました。何度も行っている場所ですが、やっぱり説明していただけると違うものです。

続いて、前乗りで散策した以前行ったことのない場所を紹介します。
幕末の福井藩に橋本左内や村田氏寿より、少し前の世代の人物に鈴木主税(ちから・1814〜1856 安政三年・43歳没)と言う偉人がいる。
寺社奉行から藩主側締役として藩主・慶永(春嶽)を厳しく教導し、藩政か改革から藩校明道館の設立にも中心人物として携わった。
主税も吉田東篁の弟子であり、東篁を明道館助教の立場で抜擢した。
国事周旋にも関わり、藤田東湖・田宮如雲・長岡監物・横井小楠と雄藩実力者との交流ももった。
特に東湖には「今真に豪傑と称すべき者、天下唯鈴木主税・西郷吉之助あるのみ」と高く評価されていた。
しかし43歳の若さで早逝。本人も高く評価した橋本左内に後事を託している。

主税は行政手腕も発揮し成果を上げ、領民に敬慕を受けた。
「世直大明神」として生祠が残されたほどで、みどり町の二か所に世直神社がある。
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また主税の屋敷地も福井駅東口すぐの場所でわかっているのだが、石碑等は立っていない。


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# by enokama | 2017-05-26 12:05 | 福井藩 | Comments(0)
霊山歴史館の春の恒例のツアーが今年は福井だったので行ってきました。
例のごとく、先乗りの現地合流で個人的に鯖江にも足を運びました。
何回かに分けて書いていきます!
(一番の目的だった丹厳洞と瑞源寺はこちらに追記してます)

少し福井に行くのも久しぶりなので前回とまた違ったところもありました。
ここでも書いた由利公正関連ですが、幸橋南詰西側の生家跡の道路を挟んだ反対東側がちょっとした広場になっていて(→こちら
福井神社南側の福井中央公園(現在、整備中とのこと)にあった銅像が橋のたもとに移されていました。
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以下は個人的に行ったところ>>
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# by enokama | 2017-05-23 17:50 | 福井藩 | Comments(0)
先日、BSでやっていた番組の感想を書きました。
まあロシアとの外交史は松平定信あたりまでさかのぼる必要はあるだろうし、日清〜日露の戦争にも関わってくることなので、なかなか簡単には言えないんですけどね。


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# by enokama | 2017-05-15 08:59 | 歴史全般 | Comments(0)
御浜岬近くには旧戸田村によって昭和44年に開館した戸田(村立)造船郷土資料館があります
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# by enokama | 2017-05-09 01:54 | 歴史連載 | Comments(0)
造船の場所は牛ヶ洞(地図・紫印)となった。
廻船業で栄えていた戸田には多くの船大工がいたことも、この地が選ばれた理由であった。
もちろん洋式の船は初めてで戸惑う面も多かったそうだが、ロシア人もその仕事ぶりを高く評価し
異例とも思えるスピードの二か月半ほどで全長24.6m、100トン弱の洋式帆船が完成し、安政二年(1855)三月に進水式が行われた。
プチャーチンは建造に携わった人々に感謝して「ヘダ号」と名付け、二十二日になって乗組員47名と共にペテルブルグに向かって出帆した。
残る乗組員はアメリカとドイツの商船を雇って、ロシアへと向かった。

大正十二年になって、この地に「造船記念碑」が建てられた。
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# by enokama | 2017-05-07 17:55 | 歴史連載 | Comments(0)
少し資料を読み込んでいたので更新が開きましたが、伊豆のレポを続けます。
韮山(地図の青印)から戸田(へだ・赤印)へは一旦、修善寺に出てから行くもんだ(路線バスなら修善寺経由)と思ってましたが
ナビだと江間と言ういちご狩りの盛んな地域から、狩野川放水路沿いに西に出て海岸を通るルートが示されます。
しばらく海岸線を通って、内陸に入り真城峠(さなぎとうげ)と言う峠を越えます(橙印)
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この手前(北側)からは富士山がくっきり。
ちなみにこのルートは安政元年に宮島沖(緑印)で遭難しディアナ号を失ったロシア兵が戸田へ向かって超えた峠でもあります(→こちらこちら
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# by enokama | 2017-05-06 18:03 | 歴史連載 | Comments(0)
欧州での産業革命は高炉が発達し、鉄の大量生産が始まったことも大きい。
技術の進歩で製造コストが安く、従来の青銅製の大砲と比べて強度も遜色がなくなり、大型化も可能な鉄製の大砲が広まっていった。
その鉄製大砲を鋳造し、生産する目的で日本でも製鉄の近代化を図って高炉が各地に建設され、炉内で発生させた熱をその天井で反射させ高温を実現し、鉄の熔解を可能とするその方式から「反射炉」と呼ばれた。

嘉永三年(1850)に佐賀藩(→こちら)が反射炉建造に着手し、大砲鋳造所も設け長崎警備の台場に据え付ける大砲を制作し、青銅製から鉄製に移行させていた(のちに幕府向け大砲も制作)。
五年には薩摩藩、六年には下田(韮山に移転)、安政二年(1855)に水戸藩が着手し、四年には水戸藩の事業に携わった南部藩の大島高任が那珂湊反射炉に供給する鉄鉱石を製錬する高炉を釜石に建設した。未稼働に終わったがにも反射炉が現存している。
以上に上げた施設にピンときた人も多いでしょうが、そのほとんどが世界遺産(明治日本の産業革命遺産)に登録されたものであるので、選考の基準にもなったものと思われます(なぜ萩が入って、那珂湊が外れたのかは疑問だが)。

佐賀藩が初の反射炉建造を果たしたが藩主の鍋島閑叟が直に江川英龍に面会して、藩士の本島藤太夫が英龍の直弟子となって学びその中心人物となり、英龍の召し抱えた技術者たちが支援した経緯もあって、自身でも反射炉建造を願い、品川台場築造の命が下りその台場に据え付ける大砲製作の必要性もあって、安政元年(1854)ようやく許可が出た。
当初は天城山の土を使った耐火煉瓦を使用し下田に建造していたが、日米和親条約締結後にペリー艦隊が下田に入港し、この際に上陸した米兵がこの工事を目撃してしまったこともあって、機密保持の観点から基礎工事まで済んでいた場所から韮山へと移転が決まった。
安政元年十一月の大地震で工事も影響を受け、翌二年一月に英龍は完成を見ずして死去。その計画は長男の英敏に引き継がれ、風水害も相次ぎ難航したが、佐賀藩からの技師派遣による協力も得て、安政四年七月にようやく連双二基四連による稼働を果たした。
周辺部には大砲製作に関連する建屋がいくつも作られた。
現在では反射炉のみ残され、炉周辺部は鉄骨での補強により外観が変わるも、当時実際に稼働したもので唯一現存する貴重な史跡となっている。

こちらはあまり観光客もいなくってゆっくりできた江川家住宅に対して駐車場も広く、マイカーや大型バスも多くってにぎわっておりました。
2016年3月に訪れたんですが「世界遺産決定」の効果も大きかったようで
以前は知らないけど、土産屋も大きく周辺も公園として整備がされておりました。
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# by enokama | 2017-04-22 14:42 | 歴史連載 | Comments(0)