エノカマの旅の途中

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先日。表門から入って建屋にも上がれて、学芸員さんの案内を聞けるイベントがあったので再度(→関連記事)行ってきました!
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by enokama | 2017-07-27 05:50 | 私の好きな京都 | Comments(0)
Eテレの「知恵泉」と言う番組で宇和島の伊達宗城のことをやっていた。
知ってそうで実は知らなかったことも多かったのでまとめてみます。
この方も旗本の出で幕末の賢候に多い養子なんですね。高野長英や渡辺崋山の影響もこのころからで、海外情勢や科学技術への関心も元来からあったようです。
宇和島にはロシアやイタリア史、化学技術、航海術軍事と言った専門書が多数残されています。


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by enokama | 2017-07-24 09:04 | 歴史全般 | Comments(0)

筑前赤間宿と五卿の滞在

小倉・常盤橋を起点とする長崎街道は直線的なルートで内陸の筑豊を経由して鳥栖から佐賀へと至る。
現在の鹿児島本線沿いから博多を経て、唐津まで海側を通るのが唐津街道である。

黒崎宿に三泊した五卿は一月十八日に長崎街道を木屋瀬宿まで進み、ここから渡し船で遠賀川を越えて赤間宿に入った。
ここでは赤間宿本陣(御茶屋)に入ることとなる。
赤間宿は木屋瀬宿への分岐点であり、バックに筑豊の産炭地や玄界灘に面した各漁港からの程よい距離から「物資の集散地」として、当時は商工業が栄え、大いに賑わったと言う。
しかし明治になって鉄道が開通してからは、この地域の中心地が東郷(宗像市役所の所在地)となり
赤間駅もこの宿場から離れた場所に設置され、寂れて行った。
現在は宿のほど近くに教育大前駅(福岡教育大学)が設置されたが、昭和63年とかなり後になってのものである。
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駅にほど近い法然寺のそばには「五卿西遷の碑」がある
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by enokama | 2017-07-20 06:00 | 福岡藩 | Comments(0)
小倉から八幡西区の宿場町だった黒崎に移動します。
実は最近まで知らなかったことだけど、イメージ的に遠賀川だったり北九州市で分かれてそうな
「豊前」と「筑前」の境界ってのは、今の小倉と戸畑の間であり、同じ北九州市でもカテゴリ(福岡藩へ)変更いたします。
福岡藩の上方への玄関口としての湊町でもありました。

元治元年の長州征伐での「征長軍解兵」条件の一つは、いわゆる「五卿」の第三国への動座であり
元治二年(1865)一月十五日。長府の功山寺に滞在していた三条実美、三條西季知、東久世通禧 壬生基修、四条隆謌の五卿は長州領の彦島から船で九州で向かい、黒崎に上陸した。
なぜ小倉や門司に渡ったのではなく黒崎なのかなと思ってたんだけど、前述の通り筑前領(福岡藩)となってるので
譜代藩の小倉領を避けて「五卿動座」や長州救済にも尽力した福岡藩士も待ち受けるこの地になったものと思われます。
今回は行けなかったのですが、その上陸地の碑も建てられています(→こちら
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by enokama | 2017-07-09 10:53 | 福岡藩 | Comments(0)
昨年秋に小倉に行った時のレポを書きたいと思います。
まずは小笠原家の菩提寺である福聚寺(ふくじゅじ)へ、交通は小倉駅から西鉄バスに乗った郊外となります。
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慶応二年(1866)の長州藩との戦い(小倉戦争)で諸堂の大半を焼失するが、中央に見える一番大きな仏殿(本堂・1822年再建)・不二門・鐘楼等が残されている。
仏殿の右背後にある祠堂(歴代藩主らの位牌を安置)の裏を流れる小川の周辺には歴代藩主ら小笠原家墓所が広がっている。
仏殿の左手にも大きな墓域がある。


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by enokama | 2017-07-07 19:37 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)

小倉山二尊院

少し前の画像ですが嵐山の二尊院に行ってきました。

近くにある土佐四天王像
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二尊院
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二尊院は元来から御所の仏事を司っていたこともあって、公家との交流が盛んで、今でも二条家、鷹司家、三条家、三条西家、四条家と言った菩提寺になっており
パンフレットにも紹介されております(案内図の精度はちょっと低いですが)。
以下はお墓(幕末の公家が多い)の写真になりますので隠します。。。


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by enokama | 2017-07-05 14:40 | 私の好きな京都 | Comments(0)