エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

<   2015年 02月 ( 12 )   > この月の画像一覧

正直、必死になってリアル放送で見ることもなくなってきたわけですが・・・(苦笑)
根本的にやっと「今回は史実とは思わずにドラマだと割り切らないと」とはわかったんだけど
そのドラマの部分(主役の周辺あたり)がやっぱり面白くないんですわ。
「野山獄」は一回、映画で見たし、新鮮な感動もなかったしね(井川遥が綺麗すぎて逆にダメ)

塾生集めに妹が走り回るのか・・・ふうん。
椋梨もどう描きたいのだろう。。。彼もビジョンなりはあった人物だろうけどね、見えてこないし。

ちょっときついこと書きますが>>
[PR]
by enokama | 2015-02-24 21:57 | ドラマ感想 | Comments(0)
大阪企業家ミュージアムという施設(大阪商工会議所の一部門)が本町にあって
そちらに「五代友厚」の講演を聞きに行ってきました。
このミュージアムの展示を見てたら、近代から現代に至る大阪の企業の原点の多くが
やはり、明治初期に大阪で五代が行った一連の施策につながってくるものになるんですね。
(大阪地盤の住友はなんとか幕末維新の波で潰れなかった例もある。五代の次が長州閥の藤田伝三郎だったり、近江商人の流れを汲む伊藤忠商事・丸紅)展示もなかなかよかったですよ。

まずは何度かこの画像は載せてますが、大阪にある五代友厚像の一つ・商工会議所の像。
f0010195_1843527.jpg

右足を半歩前に、右掌を上に一寸前へ出しているのは
示現流の使い手が、いつでも抜刀できるポーズだそうです。ちゃんと意味があったんだ!
ちなみに五代の像は大阪で四つ(もう一つ、計画中もある)

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2015-02-19 21:13 | 大坂発見 | Comments(0)

南禅寺山の同志社墓地

こちらでは滝行ができるようです
f0010195_9161939.jpg

f0010195_917232.jpg

待機スペースもあり
f0010195_9183710.jpg

滝の裏手をしばらく進むと
f0010195_9192845.jpg


もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2015-02-15 20:13 | 私の好きな京都 | Comments(0)
行った時期はバラバラなんですが、南禅寺周辺を歩いた時の記録です。
(南禅寺周辺→こちら


インクラインから
f0010195_23142573.jpg

f0010195_23162491.jpg


もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2015-02-14 22:08 | 私の好きな京都 | Comments(0)
吉川家関連の史料館は二つあって、まずは「徴古館」(→HP
f0010195_11422051.jpg

f0010195_11525858.jpg

第二次大戦中に建てられたもので、独特の建築となっている。
「岩国市史」の編纂や地域の歴史研究の拠点であって、問い合わせ等もこちらで答えてくれます。
展示としては岩国の歴史や江戸時代の吉川家の治政について、詳しく知ることができて
ちょうど行った時は「錦帯橋」についての架橋・架け替え・修復についての文書が時代ごとに
展示してありました。入館料は無料!

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2015-02-13 19:37 | 歴史連載 | Comments(0)
岩国城 は1608年 (慶長13年) に初代岩国藩主の吉川広家が、蛇行した錦川を天然の外堀とし
戦国の流れを汲んだ「要害」とした山城を、その背後にそびえる横山(城山・標高が約200m)に築城。
三層四階の桃山風南蛮造りの天守も築かれる。しかし幕府の「一国一城令」もあって、築城より僅か
7年後の1615年 (元和元年) に取り壊しとなり、その山麓にあった「お土居」と呼ばれた居館を陣屋とし
代々藩政を司り、周辺(横山地区)が上級武士の居住地や諸役所になっていた。

防衛上には有効な錦川の流れも「暴れ川」と言われ、対岸と連絡する橋も度々流されて
その対策も急務となっていた。
延宝元年(1673)10月1日、中国杭州の名勝・西湖に架かる橋をモデルとして(→参考記事
独特の景観を持つ「錦帯橋」が架橋され、以後修復・架け替えを繰り返し「名橋」として
観光名所となっている。

錦帯橋と陣屋>>
[PR]
by enokama | 2015-02-11 20:17 | 歴史連載 | Comments(0)
少し前ですが岩国へ行った時のレポをしたいと思います!
表題は「岩国藩」とはあえてしません。
藩が正式に成立したのは、もう明治と改元する直前の慶応4年となってからの話で
江戸時代の大半を吉川家は「岩国領主」として、萩本藩・毛利宗家から「大名として認めず」
陪臣の扱いとされ、正式な藩ではなかった。
これは関ヶ原の戦いからの流れで、吉川家が「防長二州」を毛利家の所領として死守すべく
運動した結果でもあったが、関ヶ原の不戦と言う吉川広家の行動に対して、一方の毛利の将・秀元は
元来主戦論を唱えていて、批判的な者が多かったからだと言う。
毛利秀元は支藩・長府藩の初代藩主であるとともに、まだ歳が若かった萩本藩初代藩主・秀就の後見となり
本藩にも影響力を持ったが、秀就の成長ともに不仲となり「長府藩の独立」も画策し(実現せず)
萩本藩と長府藩・岩国藩の不仲と共に、長府藩と岩国領の不仲という流れが幕末まで続いていたのである。
(→関連記事

一方で幕府・徳川家は事実上、吉川家を「大名」(藩主)と同様な扱いとし
定期的な参勤交代こそないものの、将軍家の代替わりや吉川家の継承等、一連の儀礼と言った際には参勤し
江戸には屋敷を構え、大坂には蔵屋敷を持ち、内実は一諸侯と変わらない体裁となっていた。

江戸時代の中ごろにはさらに、岩国は他の三支藩よりも冷遇されるようになるが、幕末になって尊攘運動に伴う
相次ぐ国難に関して、支藩との結束を望む萩藩主・毛利慶親は岩国領主・吉川経幹に「大名取り立て」を
以て、融和に努めている。
だが毛利本支藩間の不仲については、そこに幕府も付け込む動きもあって
慶応元年になっての「本支藩の一致」が実現しなければ、長州藩はそれこそ潰れていた可能性もあったのである。

岩国への行き方>>
[PR]
by enokama | 2015-02-10 21:14 | 歴史連載 | Comments(0)
今回の「花燃ゆ」の感想。やっぱり文の現代劇風パートのフィクション場面は僕は苦手です。
それより、松島剛蔵が長崎海軍伝習所に行ってるシーン(山尾庸三も行ってたな)の方を入れてほしい
もんだけどね。
獄舎が教育の場となって行くような場面は良かったけど(自由な雰囲気は史実だけど)
あんなに親族が頻繁に出入りって出来たのかな(他囚ともしゃべっていいの)野山獄って?
あとFBで教えてもらったり改めてくぐってみたら、このころの藩政で「周布VS椋梨」としたシーンは
合っているとのこと(この後は椋梨が一旦下がったり、復権したりと繰り返すんだけど)
長井雅楽は遥に二人よりも位は下だったんだけど、学識を買われての抜擢と言うことで
のちに大活躍だったんだったんだけど、まだ時期的には登場しないんですよね。
(てっきり安政のあたりは無知で不勉強でありました・・・)
長井が登場したら、そのあたりの藩政のバランスはどうやって進めるのだろうか。

「日米和親条約」に関しては小田村も松陰も「戦を避けるためにしょうがない」ってスタンスになってましたね。このあたりは「日米通商修好条約」の方は(止むを得ないけど)「未勅許」ということもあって、水戸の斉昭や
尾張・越前(春嶽は開国派ではあるけど)藩主を始めとして(久坂に代表されるような)「尊攘」って言われる
勢力にも(破約攘夷として)火を付けた面があったのだけど。
敬親公は「そうせい」で終わってしまうのでしょうか・・・

週刊ポスト>>
[PR]
by enokama | 2015-02-09 20:14 | ドラマ感想 | Comments(0)
2月の霊山歴史館の土曜トークで、現在は防府にある毛利博物館におられ
山口県文書館や山口博物館にも勤務された、研究者の小山良昌氏の講演に行ってきました。
現在の大河ドラマ「花燃ゆ」で資料提供者に名を連ねておられる方です。

題目は「吉田松陰」で、その生い立ちを語られましたが
レジュメは初心者の方にもわかりやすく、そこそこ知ってる人でも細かいエピソード等言っていただいて
大変、ためになるいい講演でした!

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2015-02-08 23:39 | 長州藩 | Comments(0)

江戸城の周辺と将門塚

久しぶりに皇居(江戸城)の周りを歩いてみました。

憲政記念館(彦根藩上屋敷跡)から外桜田門
f0010195_22133522.jpg


もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2015-02-05 22:10 | 江戸散歩 | Comments(0)