エノカマの旅の途中

enokama.exblog.jp

旅と歴史と競馬のお話をします

ブログトップ

<   2014年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

まあ、どうでもいいことですが
適度な更新はしているつもりの当ブログですが、最近すごくアクセスが激減しております。
もう10年近くやってきて、ほぼ歴史に特化して7年ほどでしょうか
もうありきたりの人物とか藩のことは通り過ぎてしまったので
「なんでこの人物の書籍がないんだ」って思ったことを自分で調べて書いていったり
史跡巡りも「ガイドブック外」を行くことも多くなってきてるので「自己満足」で記録に残そうって感じに
なってるので致し方ない点もあるでしょうか。
ドラマの感想を続けて書くと一定の水準になるんだけど
(来年は「所郁太郎」と「松島剛蔵」「中島名左衛門」あたりがアクセスで来るような展開になってほしい)
「五代友厚」や「北垣国道」って、自分では坂本龍馬よりある意味凄い人物だと思って調べて書いたけど
やっぱり書き方がまずいのだろうか・・・興味を持ってほしいと願ってるんですけどね。
絶対、僕は「職業作家」にはなれないだろうな。
ウソでも興味を引きさえすればいいらしいから、この国の出版業界って・・・


何度か書きましたが今日は同志社に行って、長州関連の講演を聞きに行きました(→HP
場所は「良心館」と言う、ずっと工事をしていた相国寺寄りの場所(烏丸通り沿い)でまだピカピカな
建物でした。
薩摩藩邸の看板も新しくなっていましたよー
f0010195_031081.jpg

画像は撮るの忘れたのですが、今回のイベントでのお土産もおいしくいただきました。。。

以下の記事はFBに一旦載せたものに若干追記しております。

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-27 23:10 | 長州藩 | Comments(0)
本屋に行ったら別冊宝島「日本幕末史」ってのが売ってまして
西郷さん関係の著書を多く書かれている、明治大学の落合先生の監修ってことで少し立ち読みしましたが
(まあ、坂本龍馬と新撰組が表紙だから怪しいとも思いましたが)
新発見なんてどこにあるの?ほんと旧態然で30年前ほど前の古い史観と変わりないのと違うの・・・
大政奉還も「船中八策」中心に書かれてるし(→関連記事 その1その2その3) 
龍馬暗殺もいつもと変わりないことだし(後藤とか薩摩とか・・・いい加減にやめてくれ)
「庄内藩の江戸薩摩藩邸の焼き討ち」も、慶応3年の12月になってから孤立しかけた薩摩の劣勢を見て
西郷が指示したとか(関連記事→その1その2その3その4
落合先生はちゃんと細部までご覧になってるのでしょうか?
(出版社に文句言われた方がいいと思います)
この内容はひどい・・・20年ほど前の類似本とそれほど変わらないから
わざわざ1000円以上も出して買う必要ないし、間違ったウソの歴史を植え付けてほしくないです。


本題に入ります。。。
9月13日に明治維新史学会の関西大会に行ってきました。
(過去記事→20122013
青山忠正先生、中村武生さん、町田明広さんと知った方の講演発表でして、いい話を聞けました。

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-25 23:11 | 歴史全般 | Comments(0)
糾問書の提出とそれに対する長州藩側からの返書(従来からの主張で小倉藩との齟齬や朝廷との
やりとりに関する返答となっていた)が来たが、中根は朝陽丸が返ってこないと復命はできないと判断し
引き続き小郡に留まっており、長州藩側でも世子・定広を馬関に派遣するなど、藩庁の命に従わない
激派の説得に当たっていた。

八一八政変が起こり>>
[PR]
by enokama | 2014-09-22 21:46 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
犬山城下町は古い風情が残っています。

城が北、城下町が南はアジアでの典型的な形である。
f0010195_6295923.jpg


もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-18 21:28 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
12日は徳川美術館の後で、蓬左文庫の図書室と鶴舞の中央図書館に籠もったんですが
やっぱり尾張藩関連の「これ」と言った資料はないもんなんですね。
「名古屋市史」や「愛知県史」もちょろっとしか載ってないし、史料そのものが少ないのだろうか。
豊橋(吉田藩)は藩史的な物があったし、家老の日記もあったりするんだけど・・・
「青松葉事件」物はいくつかあったけど、個人研究者って方の書が多いので、それぞれに解釈が
全然違ったりするんですよね。
(慶勝を「独裁者」としたり「名君」としたり、正反対なんだな)


13日は名鉄に乗って犬山に行ってきました。
犬山遊園駅で降りて、犬山橋から写真を撮りました。
実は数年前まで犬山橋は道路の真ん中に名鉄の線路があって、ホーンを鳴らしながら電車が
乗用車と一緒に橋を渡っていたものです。
実は修学旅行と社会人4年目の時の旅行の宿が犬山橋のそばだったので、思い出の場所だったりします。。。
f0010195_2347011.jpg

昔の橋が鉄道専用になって、西側に道路専用橋が新しく架けられた
f0010195_23474050.jpg

犬山城は二年前も行ったんですが、城下は歩かなかったので散策してみました。

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-17 23:29 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
先週の12日に名古屋に行ってきました!
目的は蓬左文庫のこちら(9月28日まで)の展示が目的です。。。

徳川美術館の門(尾張徳川家大曽根別邸の表門)
f0010195_21482471.jpg


徳川美術館に隣接して文庫はあります
f0010195_21485647.jpg


もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-16 22:50 | 尾張三河美濃 | Comments(0)
朝陽丸は7月23日、豊前沖を経由して関門海峡に入った。
異国型蒸気船を見た砲台から、またもや威嚇砲撃を受けた。
長州側はもちろんだが、小倉領の田野浦及び門司の小倉藩台場からも砲撃を受けた。
小倉藩の「攘夷実行令」もあって、海峡の両側からの挟撃がこの時点で実行されていたのであった。
幕府軍艦だとわかると砲撃は止んだが、この予想だにしなかった事態に門司・白野江青浜沖に停泊した
朝陽丸からは小船を下ろし、河野・大八木の二人が上陸し、白野江村の庄屋を訪ねたことで
事情を知ることができた。
ただ、この二士の行動は多数いた小倉領駐留の長州藩兵の目に留まり(島村志津摩が帰国したとも思われた)
庄屋を捕らえ、脅しつけた上で小倉藩士の河野・大八木が乗船していることがわかってしまったのだ。
これが第一の悲劇につながることとなる。

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-14 23:54 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
12~13日。名古屋から犬山へと尾張藩関連の調べものをしてきました。
昼食と会社訪問をさせていただいた冨永さん。
蓬左文庫では「第一次長州征伐と尾張藩」の展示を見て
犬山城白帝文庫では成瀬正肥について、いろいろとお話を聞かせていただいたスタッフの方。
13日午後は京都へ移動して、明治維新史学会「第一次長州征伐」について町田明広さんの報告を聞いて
従来認識されているような西郷の動きとは違った側面を報告されていました。
(ピント外れた質問してすみませんでした・・・)
青山忠正さんはわかりやすくて明快だったし、中村武生さんの報告は「こんな切り口もあるんだな」と興味深く
会場で会った方と色々とお話もさせていただいて、勉強になりました!
取り急ぎ御礼申し上げます。。。
またブログ記事も上げて行きたいと思います。

家に帰ったら手紙が来てまして
f0010195_141479.jpg


もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-13 22:18 | 歴史全般 | Comments(2)
実は「攘夷期限」を受けた外国船への砲撃は、この長州藩の関門海峡以外にも数件あった。
摂海(大坂湾)防禦を担当した鳥取藩は6月14日、イギリス船が石炭を求めて天保山沖に入ってきたところ
実弾を発射したが、着弾はせずにイギリス船は立ち去った(ただ、幕府船を誤認して撃ってしまったとの
別の説もある)
この行動に大坂城代からは軽挙を諌められたものの、一方で朝廷からは褒賞を受けている。
ここにも幕府と朝廷の姿勢の違いが覗える。
鳥取藩藩主の池田慶徳は公武合体派であったが、一方で水戸の徳川斉昭の子でもあって
「攘夷実行」には妥協を許さない姿勢であって、朝廷からの褒賞には喜んだものの
実状は成果が上がらなかったこともあって、現場にいた藩士らには厳しい処分を課している。

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-07 22:34 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)
6月5日、フランス艦2隻が報復攻撃を行うべく関門海峡にやってくる。
両艦は小倉領・田野浦に停泊し、一部の船員は上陸して攻撃の用意がないか確かめた。
譜代藩である小倉藩は「幕命遵守」で、航行するだけの艦船には砲撃しないことの情報は得ていて
宣戦の理由を書いた文書で、小倉藩経由で真意を長州側に伝えるように事づけたりもしている。
この際の攻撃では前田砲台をフランスは占領し、長州側に大きな打撃を与えている。

このように長州藩の外国船への砲撃は圧倒的な実力差を見せつけられて
各国の報復攻撃を受けて各砲台は破壊され、防衛の無力さも感じられた。
こういった中で、高杉晋作が中心となって「奇兵隊」が結成される。
各地の破壊された砲台の修築や再構築も課題となったが、海峡対岸の小倉藩の傍観ぶりが彼らから見て
我慢ならないものであって、とうとう実力行使となるのである。

もっと見る>>
[PR]
by enokama | 2014-09-04 23:58 | 長府藩・小倉藩 | Comments(0)