エノカマの旅の途中

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丹後田辺城(舞鶴城)

少し前の「こころ旅」で、桜の下で火野さんが手紙を読んでいたのが田辺城でした。
(綾部~舞鶴の間にあった昼飯のハンバーグ屋がうまそうだったので行ってみたいな・・・)

まず舞鶴は大きく「西舞鶴」と「東舞鶴」と分かれていて
元々「丹後田辺藩」と言われた城下町は西舞鶴のエリアにあり「田辺」と呼ばれていたが
明治維新後に「紀伊田辺」との混同を避けるため(京都南部にもあるし。丹波亀山が亀岡に変えた例もある)
田辺城が別名「舞鶴城」と呼ばれていたことから、このあたりの地名は「舞鶴」と改称されることとなった。
明治時代。日本海に開けた重要な港湾として、この「田辺」から東の地域に軍港が新たに整備され
「新舞鶴」と呼ばれるようになった(市制後は東舞鶴市となり、昭和18年に舞鶴市(従来の城下町の西舞鶴)
と合併して今日に至る)

城址は西舞鶴駅から少し北東の方向に広がっていた
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by enokama | 2014-05-24 23:27 | 歴史全般 | Comments(0)
先日の「歴史秘話ヒストリア」で三岡八郎(関連記事は福井藩のカテゴリをお読みください)が出ていて
アクセスもいただいているので、FBですでに上げた部分もあるのですが
改めて記事にしたいと思います。

メーンは「坂本龍馬の手紙」でしたが、どれだけ三岡八郎のことがすきやねん・・・思わず突っ込んで
しまいました(笑)
ちょっと気になったのは福井藩の神戸海軍操練所(正しくは神戸の勝海舟海軍塾)への出資は
5000両ではなくって実際は1000両だし、この手紙にあった慶応3年の三岡(由利公正)との対面の時に
「春嶽に会えなかった」ってのは、ずいぶん前に地元の研究者の方から僕は聞いてましたんで「今さら」って思ってしまいました(実際の対応は村田氏寿だった→桐野作人先生のブログ
それと「大政奉還」が戦わずに幕府を倒す方策って、もう30年ほど前の見解だし「五箇条のご誓文」も
横井小楠の直弟子なら常識なんだし「龍馬のアイデア」的なことは言ってほしくないな。三岡の名誉のためにも…
あと三岡の藩で行った事業が何もかもうまく行ったってのも違うし(失脚の遠因もいろいろあったようだし)
新政府の財政担当にはなったけど、そのやり方に、五代や陸奥あたりの龍馬とも近い人物からも
反発があって辞めざるを得なくなって、大隈に変わったこともあったので、実際に評価ってどうだったんだろうかなと最近は思い始めています(由利を調べている人いないのかな?)

本題でGWの後半記事>>
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by enokama | 2014-05-23 23:51 | 私の好きな京都 | Comments(2)
府中のG1が今の時期に、これだけ何週も続くようになって久しいです。
前から言ってますがNHkマイルってG1である価値があるの?って感じで、僕は「G1の乱発」には
反対な方で相変わらず馬券の調子も悪いので、しばらく競馬はしていないんですけど
先週の府中のスタンドは余裕あるなって見てたら「入場人数5万弱」なんですね。
府中のスタンドでの数字だから、これってどうなんだろ・・・新味の効果もなくなったってことじゃないの。
も一回「十大レース」ってのを頂点にしっかり盛り上げるようににして、その他を「白紙改正」みたいな
刺激もあっていいと思う。
レース番組の硬直化ってのは感じるし「適性番組」「適性距離」とか細かくしすぎて(なんでマイルばっかり?)
意外性なワクワク感ってのが、なくなってきているようにも思うのですがどうでしょうか?

今回馬券を買っていたとしたら、マンボとホエールキャプチャの2頭軸で決まるかなと思ってたけど
牝馬はやっぱりわからないものですね。
前行ったもん勝ちになってるけど、幸四郎は内をロスなくうまく乗れてたと思う。
(岩田はさすがに今回は遠慮あったな・・・)
いつものようにコメントを残しておきたいと思います!

マンボ陣営のコメント>>
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by enokama | 2014-05-19 23:50 | 競馬 | Comments(0)
GW明け、なんか変なくしゃみするし頭痛いしで、少し体調崩してたもので
ブログ更新も開いておりました。
なので少し前の出来事の記事となります。


来年のNHk大河ドラマは幕末の長州となりますが
その次の大河は「真田幸村」となるそうです。
まあ、前から僕も書いてきましたが「明智光秀」をぜひにと熱望しているわけですが
先に「三谷幸喜」脚本と出てきたので、僕としては逆に三谷だったらイヤだなと思っていたので
なんかほっとしています・・・(光秀は正統派の脚本でやってほしいと)

まあ三谷が好きな人も多いでしょうが正直、僕はアンチな方です(作品によって当たり外れが多いのもイヤ)
今週先週と「新選組」の箱館編をやってましたけど、当時よりはBSでも過去の作品も多くやるようになったので
時代劇の数はたくさん見てきたこともあるので、やっぱり改めて、この脚本は「邪道」やなと思った。
ただし前にも書いたけど(→こちらこちら)この片岡愛之助の榎本総裁はすごくいいんよね。
完全に主役の土方を食っているし、この大鳥を含めたやり取りは心に響いた。。。
さて再来年はどうなることやら?

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by enokama | 2014-05-16 23:30 | 私の好きな京都 | Comments(0)
この戦争で蒸気船を失った薩摩だが、文久3年9月に長崎にて安行丸を購入し
幕府から長崎丸等3隻を借入、越前藩・福岡藩借入の6隻で船団を組み、久光の上洛に与している。

翌元治元年には5隻を長崎で購入し、平時は商用・輸送船としての海軍力(武器を載せて転用する)の整備を再開している(ただ幕府借入の長崎丸は商用での航海の際に長州の砲撃が起因となって沈没。文久3年12月。人的被害も多く受けた)
そして艦船購入と共に人材育成に乗り出し6月に洋学館として「開成所」(海軍・陸軍・天文・器械・物理・医学等)の設立となる。
開成所当初の講師陣は、一連の「集成館事業」でも主要メンバーであった大和高取出身の蘭学者・石河確太郎や八木偁平(元悦と言う医家の名も持ち、大坂の適塾に学び種痘事業にも携わった)
幕臣となっていた中浜万次郎を3か年の契約で派遣してもらっていた。
慶応となって、石河が開成館から離れ、八木も若くして亡くなり、洋学館としては蘭学から英学へとの流れが強くなって、前島密・安保清康・嵯峨根良吉と言った講師陣が次々と招かれた。
(嵯峨根は英国海軍法規を翻訳の命あり)

これらの多大になるであろう費用の原資は各諸藩の物産を集めて、長崎から輸出すると言った「貿易立国」の
先駆けとも言うべき施策が「薩藩海軍史」には具体的数字とともに記されている。
小松帯刀は中浜万次郎の体験談も聞き、将来的には米国・英国への直航もできるような訓練方策も検討すべしとの意見も披露している。

そして藩重役(小松はすでに家老で他は大目付。慶応元年にはいずれも家老昇進)らの役割分担も決められた(主な実務官僚を上げる)
 小松帯刀・・・海軍掛、集成館、開成所、他国修行
 岩下方平・・・陸軍掛、造士館、演武館、銃薬方、甲冑方、台場掛(のちに渡欧し、パリ万博も担当)
 桂久武・・・御勝手方掛、勧業方、米穀金銭出納、琉球三島掛(財政担当。戦時の兵糧等、後方支援)
 新納刑部・・・外国掛、外国処置応接、西洋器械方、諸生遠航(実際に英国留学生を引率し渡航)
 

五代の藩復帰>>
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by enokama | 2014-05-14 22:14 | 薩摩藩 | Comments(0)

亀岡光秀まつり 2014

今年はGWに添乗の仕事がないと言う事態になりまして(昔ほど休日に集中しないからね)
前から機会があればと思っていた「亀岡光秀まつり」に行ってきました!

光秀公追善供養が10時から谷性寺で行われ、その後に丹波亀山城跡(現・大本本部)に移動して
11時半から光秀公供養祭が行われます(おそらく時間的に谷性寺から大本まで移動されるのだろう)
そしてメイン会場(南郷公園)ではイベントが行われて、午後からは「武者行列」が市街地を歩きます!

まずは大本での供養祭です
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by enokama | 2014-05-03 23:11 | 北摂丹波 | Comments(0)
こちらでも紹介した神戸事件ですが(→その1その2
切腹に至った備前藩の瀧善三郎の石碑が神戸市兵庫区にあるので行ってきました。

こちらは能福寺「兵庫大仏」で知られた寺だそうです(僕はそんなに知らなかったわけですが・・・)
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兵庫駅の南東へ歩10分弱の場所です。

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by enokama | 2014-05-02 12:24 | 歴史全般 | Comments(0)
今の大河ドラマ「官兵衛」は一応、見られる時は見ているって感じで見続けています。
僕は伊丹出身なんで、小学校の時から「有岡城」「荒木村重」については名をよく聞いてたんで
(有岡城は当時、ほったらかしだったな。。。村重自体はあまり知らなかったけど)
結構、俳優さんも個性がいい感じなので、これからの展開をどう見せてくれるか楽しみにしてます。

先日、歴史仲間の方と今の大河の舞台になっている三木市付近を巡ってきました!
まず、三木城の別所氏攻めのために築かれた平井山の山城跡です。
麓には広い駐車場(バスも来るとか)と仮設トイレ・案内板も整備してありました。
こんな感じの道を10分ほど登ります。。。
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by enokama | 2014-05-01 23:00 | 戦国ネタ | Comments(0)