エノカマの旅の途中

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最近「BS歴史館」と交互にやっている番組ですが、阿部正弘を取り上げていました。
「開国」に揺れる時期ころの幕府宰相ですが
ペリー来航に関してはいわゆる「ぶらかし策」(一気に通商は認めなかった)で対応して
「和親条約」を取りあえず結び、国内の体制・世論を固めた上、次の段階で通商条約(「通商修好条約」と
して実現)と開国を実現しようとしました(だから二種類の条約があった)
体制としては蕃書調所と言う教育機関を設け、長崎海軍伝習所では海軍の人材養成をしました(→こちら

前任の老中首座・水野忠邦や、のちの大老・井伊直弼(堀田さんは無視でしたが 苦笑)は言論弾圧を行ったが
阿部の場合は、逆にあらゆる層の意見を聞いて(挙国一致を図る)政権運営を進めました。
阿部の人柄は陳情に大勢来る人々の意見にはしっかりと耳を傾け
その座の跡はべっとりと汗が残っていたと言い、なんかそこまでしたら、命縮めてしまうよなって
思ってしまいました。

阿部がもっと生きていれば>>
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by enokama | 2014-02-28 21:19 | 幕府東国諸藩 | Comments(0)
外国人居留地の北を通る西国街道は、幅二間ほどと当時はまだ狭い道であった。
この街道を東へ向け、家老・日置帯刀の率いる備前池田家藩兵400は縦隊で進む。
三宮神社の前を通り過ぎる頃、山手の商家から浜手の居留地へ行こうとしたフランス水兵が
その行列の前を横切ろうとした。一旦は藩兵らに制止されたものの、それを振り切って強引に横断して
しまったのである。
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よく似た事例は生麦事件でもあったが「供割」は当然無礼であり、攘夷の感情がまだまだ強いころでもあり、藩兵らは憤慨した。
隊長の瀧善三郎はその水兵目がけて、手槍の一撃を加えた。そのことをきっかけに発砲も始まる。
この一報を聞いた英国公使パークスは英国の警備兵、そして碇泊中だったアメリカ・フランス軍艦の兵士を上陸させて応戦、この場で銃撃戦となってしまった。
それを見た家老・日置帯刀はただちに発砲を停止させ、藩兵を山手の方に引き上げさせた。
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by enokama | 2014-02-24 23:14 | 歴史連載 | Comments(0)
さっきNHKの9時のニュースを見ていて、東京都内の図書館にある「アンネの日記」関連本が
ことごとく破られていたってことを報道されていた→こちら
でも一つ気になったんだけど、海外で街行く人(ドイツだったかな?)にインタビューして「日本でこんなこと
があったんですが」って質問していて(画面上には「国内外から非難」って出ていた。犯人も分かってないのに日本を非難みたいな?)もちろんその人たちも「許せない」って答えているし、僕のように図書館をよく
利用するものからしても破壊行為自体が許されないことだけど、なんかわざわざ海外の民衆に
「日本人にこんなやつが多い」って、言いふらしているような印象に感じて、気になりました。
やった奴自体がおかしいだけかもしれないのに「恥を広めてる」んやね。
こんな前の出来事(発言の一部を切り取って「問題発言」として、世界に発信し「国際的に非難」と報道)
を蒸し返している記事もありました

(朝日新聞)
「アンネの日記」や関連図書が東京都内の複数の図書館で相次ぎ破られた事件で、米国のユダヤ人
人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部・ロサンゼルス)のエイブラハム・クーパー副代表が
20日、「衝撃と強い懸念」を表明した。「日本の当局は犯人の特定と対処を」と求めている。

「アンネの日記」破損被害相次ぐ 都内各地の公立図書館

クーパー氏は「多くの日本人がいかにアンネ・フランクを学び、敬意を表してきたかを知っている」としつつ
「この事件は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲となったユダヤ人の子どもの記憶を中傷する
組織的活動の存在を強く示唆している」と非難した。
同センターは昨夏、麻生太郎副総理が憲法改正を巡り、ナチスを引き合いに「手口に学んだらどうか」と
した発言も抗議した。(ロサンゼルス=藤えりか)

何がしたいんやろうね・・・報道機関って。
それと、まだ犯人もわかってないのに「安倍政権」が悪いって言う方も多いようです(苦笑)

本題ですが>>
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by enokama | 2014-02-20 23:27 | 総合 | Comments(0)
この件で、裁判になるようです→こちら

おそらく弁護士のネットワークで「選挙の一票の格差是正」のような展開になるんでしょうね。
「国民主権でなく官僚主権の国家になってしまうことを心配している」とコメントされてますが
逆説的に言うとその通りになるとしたら、それだけうまみの出る「官僚」と言う仕事に魅力が出来て
競争力が高まり優秀な人材が揃うってことも、言えるんじゃないでしょうか。 
一方で「国民主権」ってなんだろうね・・・

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by enokama | 2014-02-14 18:53 | 総合 | Comments(0)
神戸事件についての記事です。
参考文献は以前、NHKの教育テレビでやっていた「さかのぼり日本史」の番組本で
独立を守った”現実外交”←これ大事な事 です。
出てくるのが、幕府外交官の岩瀬忠震・井上清直、幕府老中の水野忠邦・阿部正弘
薩英戦争での五代才助・松木弘安、そしてこの「神戸事件」と4つ取り上げられています。
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1858(安政5年)日米修好通商条約を皮切りに、諸外国と次々に「開港・貿易」につながる
条約が結ばれた(→関連記事
神奈川(実質は横浜)・長崎・箱館の開港(安政6年6月)に次いで、12月に新潟(実際には大船を碇泊させるには水深等の問題があって、代替地の検討(酒田・七尾あたり)もされたことがあり、かなり遅れた開港となる)
太陽暦で1862年1月1日にあたる、文久元年12月9日には江戸開市。
1863年1月1日(文久2年12月7日)には大坂開市・兵庫開港と定められていた。

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by enokama | 2014-02-13 23:23 | 歴史連載 | Comments(0)
小ネタなんでFBに載せようかと思ったんですが
その中で庄内の事を書いても、あまり知っている人いないしな・・・
ってことで、少しだけですがブログ記事にします!

ネットでは知ってたんですが、まさか一面とはね。。。
ローカル紙ではそうなっていたところも多いようなので、共同通信の取材記事でしょうか。
(ふだんは気に食わないけど、たまにはいい仕事をしよる)
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細島とか飫肥とか生々しい書簡だな・・・

注目はここ
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前島密が岩倉具視に宛てて
「ご指示に従い、士族の動きが不穏な山形県には官軍の勝報を毎日、電信でお知らせします」
これは僕的には凄いことなんだけど、一般の読者には意味はわかんないだろうな。
なぜ、この部分を抜き出したんだろう(笑)

山形はもちろん西郷を慕う者が多い庄内士族のことだよね(詳細は「庄内藩」のカテゴリをご覧ください)
鹿児島に馳せ参じようとした者も多かったんだけど(黒崎研堂あたりは実際に鹿児島に向かったけど
たどり着くまでに戦が終わっていた)「官軍が圧勝だよ。君らが行っても無駄だよ」ってことで
情報を流し続けることによって、足止めをさせようとする意味なのですね。
さすがにそのあたりは岩倉も手を打っていたんだよね。

それにしても佐々木克先生のコメントも載ってるけど「重文に値する」ってことで
またの解析結果、大いに期待したいものです!
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by enokama | 2014-02-04 21:43 | 歴史全般 | Comments(0)
何人かの人にはお話はしましたが京都冬の旅・特別公開に合わせて
久しぶりに史跡めぐりをします。
今まではmixiのコミュに立ててましたが、現状あまり動いてませんので
こちらのブログで告知して、mixi・facebookで記事を反映しますので
また、参加希望・ご意見ご要望等はそちらの方でもお願いします!
この記事の非公開コメント・右欄のメールフォームからでもよろしくお願いします。
(一応、3日前ぐらいまでにご連絡ください)

日時 2月16日(日) 集合 JR山陰線・花園駅 12:30 (食事を済ませてきてください)
※当日は京都マラソンの規制が午前中にあるので、電車の方が確実かと思います

妙心寺(法堂・明智風呂 拝観300円)~大法院(真田家・佐久間象山墓所 拝観600円)・・・バス移動・・・
西ノ京円町付近の史跡めぐり~千本通り・・・バス移動・・・寺町今出川~阿弥陀寺
(織田信長墓所の一つ・拝観600円)~相国寺(薩摩藩関連の塔頭について)~同志社前・今出川駅(ゴール)
・・・地下鉄・・・烏丸か河原町付近で懇親会
(また人数によって決定します)

まだ細かい具体的な場所は、決定次第に追加して行きます。
レジュメ・資料も用意します!
参加希望・ご要望等、お気軽にご連絡ください。。。
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by enokama | 2014-02-03 23:28 | お知らせ | Comments(0)
僕の好きな幕末史研究者の一人である家近良樹さんが
新しく人物叢書「徳川慶喜」を書かれました。
レビューを書くとお約束もしてるんですが、元々がかなり難解な人物で、関わる人物も水戸・薩摩と
それぞれに派閥もあるし、京都における公家や会津・桑名、江戸における従来の幕府老中体制との協調・対立を含む関係と多岐に及びますので、そのあたりの相関関係を整理することから大変でありまして、まだまだ理解を深めてから、紹介したいと思います。
従来の定説的なことから、最新の研究での新しい論述として結構、衝撃的な部分もありました。

その本の後ろの方のページに京都における「幕末主要地図」が紹介されてるのですが
慶喜が文久3年(1863)12月から、大政奉還も近い慶応3年(1867)9月まで滞在した
通称「若州屋敷」(若狭小浜藩京都屋敷)のことに触れられていて
僕自身もあまり知らなかった場所なので(各種の幕末マップでもあまり触れられていない・・・)
興味をもって、行ってきました!


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by enokama | 2014-02-02 23:53 | 私の好きな京都 | Comments(0)